悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (97)

第三夜〇流星群の夜 その十一

彼女は、彼女の父親が彼なりの何らかの答えに辿り着いていたと信じている。それはつまり彼女が、父と母両親の相互の愛を信じているからで、彼女の信じている二つの事柄は、僕には同じ意味に思えた。
しかしどうやら今の僕は、そんな彼女を納得させるだけの知識も能力も持ち合わせていないようで、彼女の僕を見る目を受け止めきれないでいる。

ただ、彼女の気持ちに寄り添う事はできるはずだ。ベストとは言い難い、僕なりのやり方になってしまうであろうが‥‥‥。
僕は彼女に、やや北寄りの星空を指し示した。
「メドゥーサを退治したペルセウスは死後、女神アテナによって天空の星座となったんだ。ほうら‥そのペルセウス座なら、あそこにある」
ほとんど動くことのない北極星を中心に、円を描いて夜空をゆっくりと移動していく星々。北斗七星とカシオペア座は判りやすい配列からすぐに見つけられ、真北の空にある北極星の位置を知る手掛かりとなる。そのカシオペア座の『W』の形の二つのとんがりの左の方を、天の川の流れに沿ってオリオン座のある南に向けて少しだけ辿っていくと、『ペルセウス座』がある。派手に輝く1等星を持つ星座ではないが、三大流星群の一つ、『ペルセウス座流星群』の放射点である事と、『悪魔の星』の意味を持つ変光星アルゴルが存在する事で有名である。
ペルセウス座の星の配列にペルセウスの雄姿を投影した時、ペルセウスは片手に剣をかざし、もう片方の手に自らが切り落としたメドゥーサの首を持っていて、アルゴルはその首の目の部分に当たるのだ。
「明るい星が二つあるよね。二つとも2等星なんだけど、右側のペルセウス座 β星 アルゴルはちょっと変わった星でね、食変光星て言って二個の恒星がお互いの周りを回っていて、そのせいで見かけの大きさや明るさが変わるんだ。不気味な怪物メドゥーサの目だと言われている。つまり、『メドゥーサの首』はあそこにある‥‥‥」
淡々と解説をする僕の横、彼女は黙ったままその星座と星を見上げていた。
「君の父さんが口にしていた『メドゥーサの首』は単なる比喩表現で、星のことではないと思うけどね‥‥」
「分かってる。でも‥‥‥宇宙が、今地球上で起こっていることと無関係ではない気がする」
「‥‥‥‥なるほど」僕は彼女の父親が残していたメモ書きに、もう一度目を落とした。確かに並んだ言葉だけを見ると、そう言う気がしてくる。

彼女の父親の考えでいた事を確かめるのは、もはや不可能だ。それに、世界中の優秀な学者 研究者が挙(こぞ)って血眼(ちまなこ)で探し求めている答えが、こんな『たった一枚の紙切れ』の中に収まっているとも思えない。
「直観と‥‥‥想像力‥‥‥‥か」僕はなぜかそう呟いてみた。
「そう‥‥‥‥。まるでよく当たる‥‥占い師みたいだった」彼女がそう返した。
「そうか‥‥‥‥‥」

‥とその時、僕と彼女の頭上を一筋の星が流れた。

僕は北の空に捻っていた上体をもとに戻して、南に向き直った。そして、オリオン座の左に並ぶ『ふたご座』に目をやり、三大流星群の一つ、一年を通して最大の流星群である『ふたご座流星』の時期が間もなくやって来るんだと思った。
さらにはぼんやりと‥‥・、もしこれから今の事態に輪をかけた何かが地球で起こりうるとしたら、それはこの目の前の宇宙からもたらされるものであるかも知れない‥‥‥‥と思った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (96)

第三夜〇流星群の夜 その十

「もしかしたらお父さんは、体が石の様に硬くなる原因が何なのか突き止めていて‥‥‥、お母さんと同じ時間の流れの中に自分の意思で身を投じたのかも知れない。‥・近ごろそう考えることがあるの」
満天の星空の下、見晴らしの良い丘の斜面に座り込んで寄り添う僕と彼女。僕の肩に頭を傾けたまま、彼女は言った。

「なぜ‥‥そう考えるんだい?」僕は彼女の方を見る事もなく、さり気なく問いかけた。
「離れて暮らし出した頃、お父さんが考え事をしている時によく口にしていた言葉があって‥‥‥」彼女は徐(おもむろ)に僕の肩から頭を起こし、横を向いて僕の顔を見た。僕もそれにつられる感じで首を回し、彼女の視線を受け止めた。
「メドゥーサの首‥」
「え?」
彼女の口から思いもかけぬ言葉が飛び出したので、僕は少々面食らった。
「お父さんが‥『メドゥーサの首は何なのか?』『メドゥーサの首は必ず存在する‥・』と、独り言みたいに頻(しき)りに呟いていたのを憶えているわ‥‥。調べてみたら、『メドゥーサの首』には人を石に変える力があるんでしょ?」
「そう言うことか‥。なるほど。メドゥーサの目は、見た者をみんな石に変えてしまう。つまり君の父さんは、世界の人々を石の様にしてしまうものの正体を見極めようとしていたんだね」

僕はギリシャ神話を思い出していた。小さい頃から夜空の星を眺めて大きくなった僕には、ギリシャ神話への興味は今も尽きる事はない。なぜなら輝く星座の名と由来は、ギリシャ神話に満ち溢れていたからだ。
ギリシャ神話に登場する『メドゥーサ』はゴーゴン三姉妹の末妹で、髪の毛が無数の毒蛇でできているおぞましい姿をしていて、見た者を立ちどころに石に変えてしまう力があった。ゼウスの子、半神の英雄ペルセウスに首を切られて退治されるが、メドゥーサは死んでも、切り離された首にはまだその能力が残っていた。ペルセウスは『メドゥーサの首』をかかげることで大海獣ケートスを石に変え、生贄にされかけていた美しき王女アンドロメダを救う。『メドゥーサの首』はたびたび、ペルセウスの冒険での窮地を救い、後に女神アテナが持つアイギスの盾に取り付けられる。『メドゥーサの首』は敵を石にしてしまう最強の武器でもあり、防具でもあった。

「それで君の父さんは、『メドゥーサの首』の正体をどこまで知り得たんだろうか?」僕は率直に彼女に尋ねてみた。
「実は‥‥、奇妙なメモ書きが居間のテーブルに残っていたの」彼女はそう言って、ジャケットのポケットから折りたたんだ紙切れを取り出し、広げて僕に見せてくれた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」僕と彼女は、しばらくの間二人黙ったままでその紙切れを見つめていた。そこには大小様々、たくさんの数字や記号 アルファベットが走り書きされていて、それらから何らかの意味を見い出すのはどうも難しそうだった。ただ、いくつかの単語も確かに紛れ込んでいる。
「‥‥宇宙線?‥‥‥‥、未知の素粒子‥‥‥‥、始まり‥と終わり‥‥‥、差し伸べられた‥‥‥神の手????どうも僕には、手に負えそうもない」僕は正直に音を上げた。そんな僕に、あるいはもしかしたら自分自身への言葉だったのかも知れないが、彼女はこう言った。
「お父さんは‥‥‥直観と想像力の人‥だった」

次回へ続く