悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (74)

第二夜〇仮面 その十八

私には‥・、何が本当の自分の気持ちだったのか分からなくなる事がよくある。
友達が欲しいと思った時も、ずっとひとりでいるのが寂しかったからなのか、単なる学校での社会性が必要だったからなのかが今ではもう分からない。結果的に集団に属する事に成功し、それをできるだけ良好な状態で維持しようと心掛けてきたわけだが、居心地の良さは感じるものの、中途半端な生温(なまぬる)さや緩慢(かんまん)な従属感が絶えずつきまとい、果たしてこれが本当に「自分の欲していたもの」だったのかを疑う事も頻繫(ひんぱん)にあった。更にはその疑いも、時が経てば経つほど風化していくみたいにどうでもいいものになっていき、人はこうしてすべての物事の「最初の意味」を忘れていって、習慣としての日常に埋没してしまうのだろうと、世の中の道理の一部を垣間見ている様な気になった。現に私が「ポイ捨てゴミを見過ごせないでゴミを拾う女」になって、今もそれを実行し続けている事にはもはや意味など無い。悲しいかな、考えるより先に体が勝手に動いてしまっているのだ。
苦悶の中にいた中学時代だったらきっと、何もかもすべてを破壊してどこかに葬ってしまいたい衝動が突然何の前触れもなく湧きあがってきて、その気持ちを抑えるのに四苦八苦していた事だろう。今もそう言う衝動はあるにはあるが、集団での高校生活と言うものをある程度享受(きょうじゅ)してしまった分、あの頃とは比較にならないくらいちっぽけで、角砂糖一つ壊せやしない代物になり果てた。
しかし‥‥、そんなみんなとの毎日が、いざこうして「みんなを認識できない」と言う予想だにしない事態に陥ってみると、みんなの存在の意味が改めて分かった気がする。私は酷く感情的になっているし、悲しんでいる。どうしていいか分からなくて途方に暮れている。
私はやっぱりみんなが好きだったんだ。みんなとの生活を失うのが耐えられそうにないんだ‥。
この気持ちは偽りでなはなく、本当の自分の気持ちである‥気がする‥‥‥‥‥‥‥

夕暮れはすでに始まっていた。
考えていたより長居をしてしまったみたいだ。

私は沼に、社殿に‥、今度こそ背を向け歩き出した。
背中のリュックが軽くなった意味を知りつつ足を速める。スカートのポケットに手を突っ込んで、中に入れてあったお菓子の包み紙を握りしめ、懸命に足を運ぶ。辺りが明るいうちにどうにか、胎内くぐりの洞窟に辿(たど)り着きたかった。その行動がまったくの矛盾の中にある事は分かっていた。過去の認識の象徴である「みんなの顔」を沼に沈め、新しい認識の到来を祈願してきたばかりなのに、今は「実奈が捨てていったお菓子の包み紙」だと信じるゴミ屑をポケットの中でしっかりと握りしめている。先を急いで、「並行世界」にいるかも知れないみんなを追いかけ、胎内くぐりの洞窟に向かっている。矛盾しているからと言って、このままみんなを認識できないでいる集合場所に帰って、祈願が成就するのを大人しく待ち続けるなんて事は無理だ。並行世界の何かの齟齬(そご)でみんなと接触できる可能性があるのなら、その一縷(いちる)の望みにしがみつくのは当然の行動だ。
私はひるこ神社の敷地内から元の山道に戻るべく、境界にあたる鳥居を抜けた。

ゲボゴ‥コ‥‥ココ‥‥‥‥‥

私は振り向いた。
空耳ではない。今確かに、沼の方から何かの鳴き声の様なものが聞こえた。
「‥何?‥‥‥何だろう‥‥‥‥‥‥‥」
遠くなった沼の水面に波紋などの変化は確認できない。
沼の水の中は見る限り藻が控えめに繁っている程度で、魚や亀どころか‥貝一つ見つけられなかった。水がきれい過ぎる環境は返って生きもの繁殖には適さないのかも知れない‥‥、泡が出ていたのはきっと湧き水の流れのせいだろうと勝手に納得していた。

「カエル?‥だったのかも‥‥‥」
私は、それ以上は考えるのをやめにして、沼から目を背けた。
そしてもう振り向く事なく、胎内くぐりの洞窟目指して山道を歩いて行った。

次回へ続く

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