悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (60)

第二夜〇仮面 その四

「最近‥‥よくあるんだよ‥」
それが、「私と行動を共にしていた五人の友達が突然顔だけを残して消え失せた出来事、いや事件と言ってもいい」への店のおばさんの返答だった。

つまらない世間話でも始まりそうな台詞。私はおばさんの、深刻さの欠片も感じられないその凡庸(ぼんよう)な言葉に少々面食らったが、しかし同時に、もしかしたらこの事態を収拾するのは簡単で、すぐにその方法を彼女の口から聞けるかも知れないという期待を持った。
だがその期待はすぐに裏切られた。おばさんが次に口にしたのは、まったく突拍子(とっぴょうし)もない指摘の言葉だった。
「もうあんたは‥その友達らに会えないだろうよ。諦めな」

「えっ?えっ?どういうことですか???」
「だってそうだもの。今まであんたと同じ目に遭った人たちはみんなそうだったもの。仕方ないよ」
いとも簡単に突き放されたかたちの私は泣きそうになった。思わずその場に座り込んでしまった。
「どうしよう‥‥どうしたらいいの?もうわけが分からない‥‥・」
おばさんはそんな私に対して、ここで初めて気の毒そうな顔をして見下ろした。

「困ったねえ。そりゃあ困るだろうよ‥」
「‥‥修学旅行で来たんです。時間までに集合場所に全員一緒で帰らないと‥・きっと大騒ぎになります‥‥・」私は手の中にあるみんなの顔を、涙で霞んでいく目で見つめた。

「‥もう一度探してみます。警察の人にも相談してみます‥‥‥」私は独り言の様なか細い声でそう言って、ふらりと立ち上がった。みんなでここへ歩いてくる途中、玩具のプラスチックブロックの白と黒で拵(こしら)えたみたいな小っちゃな交番があったのを思い出していた。
おばさんが首を振った。私に忠告する。
「警察に頼んでも無駄だよ。消えた人達は行方不明になったわけじゃあないみたいだからね‥。どうも姿を消した後でも、元の場所で普段通りに生活してるらしい。あんたの友達らもたぶんその集合場所に時間通りに現れて、何の騒ぎにもならないはずさ‥・」
「????」私は目を丸くした。「いっ、言っている意味がわかりません」
「要するに、消えたのは顔を拾ったあんたの前からだけで、これからずっと会えないのもあんただけだって事だ。不思議だね」
「ますますわかりません!」
一つ一つの言葉の意味がこんがらがって繋がらない。私は頭が混乱した。

そんな私にお構いなしにおばさんは続ける。「骨董屋のじいさんが上手い事言ってたよ。落とした顔は仮面だったんだって。仮面が外れて透明人間になったんだってね」
「か‥・仮面?」
「ああそうだそうだ。そのじいさんに聞くといい。商売人にしちゃあ取っつきにくい学者肌の偏屈者だけど、あたしや警察よりはずっとマシだよ。ちゃんとあんたの相談に乗ってくれるだろうよ」

 
私は背負っていた小振のリュックを降ろし、みんなの顔を中に仕舞った。因みにそのリュックは、自由行動の際に使おうと凪子とお揃いで新調したものだった。
「ありがとうございました。早速行ってみます」
頭は混乱したままだったが、私はリュックをしっかりと背負い直し、おばさんに丁寧に頭を下げて店を出た。

道路には相変わらず人の姿は無い。
「仮面‥‥。仮面が外れた透明人間‥‥‥か」
私は一本道を、おばさんの指示通りに右に歩き始めた。確かこの先の向かい側の並びに、目指す骨董屋があるはずだ。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (59)

第二夜〇仮面 その三

みんなはどこへ行ったの?
残されたこのお面の様な顔は何なの?

それはまるで‥‥・手品のトリックにまんまと嵌められた感覚だった。
私は、地面に落ちた顔の一つを拾い上げた。

沙織だ‥。本物の沙織の顔だ。いつも場を和ませてくれる魅力的なえくぼもそのままだ。目を近づけて観察しても作り物には見えない。
表面は皮膚の手触りだし、産毛まで生えている。体温さえ感じる気がする。ただ開いている両目だけは生気が無い。まるで死人の目だ。
裏返してみる。裏側はまさしく「お面」の作りで、鼻のへこみがあって鼻の穴はちゃんと開いていた。目の部分は裏からだとマジックミラーみたいに向こう側が見透かせた。
凪子‥・、文音、陶子‥、実奈‥‥‥。私はみんなの「顔」を拾い集めた。
「一体全体、何が起こったって言うの?みんなどこへ消えちゃったのよ‥‥‥‥‥」
私は気が動転していた。一瞬、これはみんなが私に仕掛けた手の込んだ「ドッキリ」ではないかと思い込んで落ち着こうと試みたが、今手の中にある精緻な五人の顔の不可解さに、やはりただ事ではないとすぐに打ち消した。

じっとしていられなかった。やはりみんなを探さずにはいられない。私は顔出しパネルを一周してみた。駐車場を隅から隅まで見渡し、道路の方へと歩いて行く。その間、震える指でスマホを操作し、みんなに連絡を取ろうと試みた。しかし誰からも応答、返信は無かった。
長くだらだらと続く一本道の道路に出て、右と左の可能な限りのずっと先までを眺めてみたが、ここにもみんなの姿は発見出来なかった。

‥‥‥・そうだ。私達のこの出来事の一部始終を目撃していた通りすがりの観光客はいなかっただろうか?

それも‥期待できないという事にすぐに気づかされた。道路の見えている限りの範囲にはまったく人影と言うものが無い。車一台走っていない。いくら平日の寂れた観光地とは言え、こんな事があるものなのか?これだけお店が並んでいると言うのに‥‥‥‥‥‥
もしかしたら‥‥この世のすべての人間が、みんなと同じ様にに消え失せた?
そんな想像を打ち消すために、私は土産物屋の一軒を覗いた。奥の方で影が動いた。店にはちゃんと人がいる。当たり前だ。

そうか!そうだ。今私が覗いている角(かど)のお店は道路側だけでなく、顔出しパネルの立つ駐車場側にも確か入口が開いていた。店員が目撃していた可能性があるではないか。

私はその土産物屋に足を踏み入れた。

「はいいらっしゃい‥」
店の名前の入った緑のエプロンをつけ、ハンディーモップを手に土産物に積もったほこりを掃っていた小柄な年配女性があいさつした。まるで小学生が吹くリコーダーの様な高くて細い声だった。
「あ‥あのゥ‥‥‥‥‥‥」私は何て切り出そうか迷った。
店員のおばさんは私の様子から、私が買い物客ではなく何かのトラブルで立ち寄ったのだとすぐに理解したらしい。眉間に軽くしわを寄せて言った。
「どうか‥・したのかい?」

「友達とはぐれちゃったんです‥‥あそこのパネルで撮影してて‥」私は駐車場側の出入り口の方を指差しながら話し始めた。案の定、ここからでも外の駐車場の顔出しパネルの一部分が見える。
「高校生の女子五人なんですけど‥、私が写真撮ってる間にどこか」
「あんた」いきなりおばさんが私の話を遮った。
「手に持っているのはまさか、その友達の顔かい?」
「え⁉ええ!」私はびっくりして、思わず持っていたみんなの顔を前に差し出した。

話しが早い、と喜んでいる場合ではなかった。明らかにおばさんは今までにも、別の人から同じ種類の相談を受けている。
おばさんは、差し出された五人の顔を吟味するまでもないと言う様に私の目を見つめ、リコーダーのドとレの音でこう言った。
「最近‥‥・よくあるんだよ」

次回へ続く