悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (55)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その四十

小学六年生の三月‥‥‥‥‥
卒業式の日の朝。

式を前に俺たちクラスの全員は、その時間が来るまで教室で待機していた。
そんな‥‥僅かな時間の中の出来事だったと思う。

ある者は浮(うわ)ついた感じで誰かれなく声をかけ、ある者は落ち着きなくただ歩き回る。席に着いていた俺もこれから行われる卒業式への緊張感から、どこか平常心ではいられなかった。
こんな時でもやはり俺は、委員長の姿をさり気なく目で追っている。
委員長はレース飾りのついたネイビーブルーのワンピースを着て、教室後方で数人の女子と立ち話をしていた。
髪には洋服に合わせた同じ色調のヘアバンド‥‥‥。あの日のものと少し色が違っていた。
彼女とはあの日以来、一切言葉を交わしていない‥‥‥‥‥‥

「ねえ‥」「ヒマだよね」
声をかけてきたのは、前の席に座っていた高橋と山本だった。振り向きざまにメッセージ帳と五色のカラーペンセットを俺に差し出す。
「あんたも何か書いてよ」「ただし!バカなことはナシね。私達の大切な思い出にするんだからさ」
「なっ 何だよ?バカなことって‥‥」俺はしょうがなさそうにそれを受け取った。

『おまえたち二人が、いったいいつまでいっしょにいるつもりなのかが気になって‥‥おれは今夜も眠れないよ』
水色のペンを使って俺はそう書いた。そしてふと思った。
委員長にメッセージ帳を渡されたら‥‥・何て書くだろうかと‥‥‥‥‥‥

今日が終われば‥‥・、委員長とはもう二度と会う事は無いかも知れない。
そう考えた時、このままで、こんな状態のままで終わってしまっていいのかと酷く悲しい気持ちになった。手紙とか何かを書いて、彼女に今の自分の気持ちを百分の一でも伝えるべきではないのか‥‥‥‥‥‥

委員長に手紙を書こう。それを帰る前までに渡すのだ。
出来るかも知れない、良い考えだと思い、俺は急いで探し始めた。紙と書くものが要る。しかし、卒業式当日にノートや筆記用具などを持ってきている訳がない。ロッカーや机の中にあった物もすべて昨日までに家に持って帰っていた。
それでも諦めきれず、机の中に何か残っていないかと両手を突っ込んだ。

「あ‥」
ほとんどゴミ同然のものが、奥の隅にへばりついていた。
書道用半紙のクシャクシャになったビニール袋でまだ二枚入っている‥と、4センチ程に短くなった4Bの鉛筆。
無いよりはマシだ。俺は急いで紙のしわを伸ばし、持ちにくい長さの鉛筆を握った。
もう会えないかもしれない委員長に伝えたい事‥。伝えておかなければならない‥事‥‥。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
いざ書く段になって、俺は何も書けなかった。
書けない。書くべき事が多過ぎてまとまらないし、適切な表現も思いつけないのだ。

ガラリと教室のドアが開いて、正装をした先生が俺たちを迎えに入って来た。
離れていた生徒も急いで自分の席に着いた。
俺は慌てた。慌てて鉛筆を走らせ、紙をポケットにしまった。
書いたのは自分の否を認める三文字の言葉だけ。
『ごめん』‥‥‥‥と。

 

「結局‥‥、このちんけな手紙も‥委員長には渡せなかったんだよな‥‥‥‥‥‥」俺は手に持った紙に書かれている拙(つたな)い文字を、目を細めて懐かしく眺めていた。
「渡せるわけないよな、こんなもの。帰り道、どっかの屑入れに捨てたんだっけか‥‥‥‥‥。ありがとうな、小川。おかげですっかり思い出したよ」
俺は、紙を見つけてきてくれた粘土の小川に語りかけた。しかし彼は流れ込んできた土砂に埋まり、ほとんど見えなくなっていた。
まだ声を出して泣き続けている委員長もへたり込んでいる分埋まるのも速く、土砂はすでに彼女の喉元まで来ていた。
俺自身も下半身が埋まり、もう動けなかった。それでも俺は何とか手を伸ばし、委員長の肩辺りの土砂を搔き分け、彼女の腕を探り当てた。
腕をゆっくりと引き抜く様に上げてもらい、力無く開いたままの手に優しく紙を握らせた。

「ごめん‥‥委員長‥」

すっかり遅くなった。でも、伝えた。何もかもが自己満足に過ぎないかも知れないけれど、これでも十分安らかに死んで行けると思った。
別に本当の委員長が存在するなら、生まれ変わってその時に会いに行って謝ればいい。そしてその時にはお願いして、ちゃんと話の出来る友だちになってもらうんだ。

委員長の泣き声が、くぐもって小さくなっていった。口が埋まり、頭が埋まろうとしていた。
俺も埋まる。埋まっていく。
俺は、目を閉じた‥‥‥‥‥‥

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (54)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十九

委員長の「泣き声」に共鳴して、教室全体が細かく振動していた。

ピシッ! パシッ! ピシリ! ピシーン!
教室中の窓ガラスに次から次へと亀裂が入っていく。
地中の土砂を遮っている外側に面した一連の窓ガラスがその圧力もあってか、いち早く割れて落ち始めた。
ガシャーン!ガシャーン!ガシャガシャーン‼
やはり教室と一緒に振動しているのだろう、外の土砂が細かく砕けながらパラパラサラサラと、そしてサササーッとまるで水の様に徐々に教室の中へ流れ込んで来た。

「彼ら」子供たちが口々に何かを叫びながら教室出入り口のドアに殺到し、我先にと出て行こうとしている。泣き続ける委員長と傍らに立つ俺にはもはや目もくれない。
廊下に出た子供たちはさらに大騒ぎをしている。ガラスの割れる音と共に聞こえてくる叫び声、バタバタという足の入り乱れる音は彼らの混乱ぶりをうかがわせた。
どうやら「泣き声による振動」は廊下にまで及んでいるらしい。もしかすると校舎全体が今その影響下にあるのかも知れない。

やがて廊下の喧騒は遠ざかり、未だ泣き続ける委員長と俺だけが教室に残された。
ザササササーッッ ザザザザーァァー
土砂は外に面した全ての窓から着実に流れ込んで来ていて、俺の足元にまですでに押し寄せて堆積(たいせき)していた。恐らく数十分もすれば、教室の中は土砂で埋めつくされるだろう。

「‥それでいいか‥‥‥‥」俺は呟いていた。
不思議だったが、ここから逃げ出そうとは思わなかった。子供らしく声を出して泣き続ける委員長と一緒にここにこうしている事に、安らぎの様なものを感じていた。
このまま土に埋まって死を迎える事で過去の罪が償えるのなら‥‥‥‥‥‥
それでいいのだ。もう‥それでいい。

実際‥‥俺は何て愚かで卑怯な人間だったのだろうと考えている。人を貶(おとし)め悩ませ、笑いものにして‥‥逃げたのだ。
今傍らにいる委員長が本当に「俺自身が拵(こしら)えた委員長」なら、遠まわしではあるが、俺は罰を受ける事を自ら望んだ事になる。それはこんな俺にとって、ある意味ささやかな救いである気がした‥‥‥‥‥‥
そんな考えを巡らしている間にも土砂はまったく着実に、教室を、俺と委員長を埋めていった。

ギシィイーッッ ガシャッ ツッッー ー
「排せつ物のオブジェ」を作る際に教室の隅に寄せられ乱雑に積まれていた椅子や机も土砂に埋まりつつあった。その一部分が突然動いた。
そこから這い出す様に現れたのは、「滅亡」したはずの「粘土のクラスメート」の一人だった。倒れた机の陰にでも隠れていて、「ウンコ」の一部になるのを免(まぬが)れたのだ。
俺にはその人形が誰なのか、誰を模(かたど)ったものなのかすぐに分かった。小太りで小柄な「小川」だ。
ただ、彼は半分だけだった。真っ二つにされたのか上半身だけになっていて、すでに堆積している土砂の上を両手で這って、ゆっくりと俺に近づいて来た。

「今さら‥‥‥まだ何か用があるのか?」俺は小川に問いかけた。
彼は粘土の人形である。喋れない。その代わり小川は、右腕を懸命に俺に向かって伸ばしていた。
右手には何かが握られていて、どうやらそれを俺に渡したいらしい。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
俺はそれを無言で受け取った。
受け取ったのはクシャクシャに丸めた紙。明らかに見覚えのある紙だった。
掲示スペースに貼られていたものを剥がしてポケットに突っ込み、その後委員長の指摘にしらばっくれる為に誰かの机の中へ慌てて隠した、例の‥‥‥書道の半紙だ。
「まったく‥‥今さらだな。おまえは気が利く男じゃなかったのかよ‥‥‥‥‥‥」
拡げて見るまでもない。書いてあるのは委員長に見せたくない文字だ。否‥‥・違うか、俺が俺自身の為に隠しておきたかった文字か‥‥‥。
俺はしばらく考え、現実を見つめて自分を正す意味を込め、クシャクシャに丸まった紙をゆっくりと拡げていった。

紙には‥‥筆で大きく‥・、「ハゲ」と書かれていた。
俺は深く静かにため息をついた。

ところが粘土の小川は、俺の行動を否定する様に首を横に振っている。
「何だよ?何が言いたいんだ?」
今度は小川は、手のひらを裏返したり戻したりの動作を繰り返し始めた。
「‥‥‥裏。裏返しにしろと言うのか‥・」
俺は紙を裏返しにしてみた。

「あっ」
驚いた。そこにも文字が書かれていた。
おそらく鉛筆で書かれた文字。おそらく俺の筆跡の‥‥三文字だ。

俺は完全に忘れていた記憶を‥‥‥‥‥手繰(たぐ)り寄せ始めた。

次回へ続く
次回、第一夜完結です。