ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (43)

最終話「夕暮れ」 その三
不可解な物事に対して不安や恐れを抱き、原因を推し量ってどうにか納得する事によって「安心」を手に入れる。
「安心」の獲得は、頭の中にわだかまっている記憶を、心の抽斗のどこかに整理をつけてしまい込み、忘れてしまう‥・忘れてしまえる意味を持っていたのだと最近気付きました。
「安心」出来なかったものの記憶は、どんな些細な事でも、いつまでも忘れられません。いつまでも残り続けて、後の生活に何らかの影響を及ぼしていきます。

小学生の私が、日常生活の中で不安や恐れを抱き、「安心」が獲得できなかったものは様々ありましたが、突き詰めればそのほとんどが大人達(人間)の行動に起因するものだった気がします。

先生の言動への不信感に始まり、連日テレビで流れる「公害問題」や「ベトナム戦争」などの報道。
高度成長期のツケだったのでしょうか、四大公害病に加え「光化学スモッグ」や「ヘドロ」という言葉を覚えます。
変わらず続く冷戦の、資本主義と社会主義のイデオロギー対立と戦争。
「七十年安保」の顚末で、目的を見失いつつあった活動家の人達のその後の驚くべき行動。

勿論当時は難しいことはわかりません。野次馬の人垣の後ろで、何とか様子をうかがおうと背伸びをしていた子供だったのです。しかしながら、傍観者を決め込む「対岸の火事」でも、伝わってくる熱さは確かに感じていました。

そして小学六年生の秋、11月下旬のある日、私にとって極めて印象的な、決してどの心の抽斗にも収まりがつかない、一人の作家が起こした事件を知るのです。

次回へ続く

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