ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (45)

最終話「夕暮れ」 その五
学校への道すがらも、「写真」の事が頭から離れませんでした。
もしかしたら自分は、大変なものを目にしていたかも知れない‥‥。

事件は、三島氏が「盾の会」のメンバー四名を引き連れ、自衛隊市ヶ谷駐屯地に東部方面総監を訪ねることで幕を開けます。
「盾の会」は、三島氏自らが立ち上げた民兵組織。組織結成を目的として三島氏は若者達と共に自衛隊体験入隊を定期的に繰り返しており、総監訪問は決して不自然な行動ではなかった様です。
皆、「盾の会」の制服を着て、三島氏は軍刀仕様にした「関ノ孫六(真贋は不明)」を所持、他に短刀なども持ち込まれたはずです。

総監室に通された三島氏らは、総監と暫く談話し、機を見て行動に出ます。
総監を椅子に縛りつけて拘束し、総監室の出入り口にバリケードを築きます。総監を人質に立てこもったのです。

総監室のただならぬ気配を察した幕僚らが中に入ろうとし、バリケードに気がつきます。体当たりなどで入室しますが、乱闘となって刀などで自衛隊員数名が負傷、総監人質の事もあって彼らは一旦退散します。
この後、自衛官を本館正面玄関前に集合させるよう三島側から要求書が出され、自衛隊側はそれを受け入れるのです。

皆さんも恐らく一度はご覧になった事があるであろうニュース映像。本館バルコニーから、集められた数百名の自衛官に向かって演説をする三島氏の姿です。
自衛隊の現状を嘆き、憲法改正のために自衛隊自らの決起を呼びかけたものですが、記録音源も存在していて、頭の回転が速いせいか大蔵省官僚経験者だからなのか、三島氏の声は早口でまくし立てる印象があります。
実際現場に居合わせた方の話では、上空を舞う報道ヘリの音と、集められた自衛官らの野次と怒号で、何を言っていたのかほとんど聞き取れなかったそうです。

私はこのニュース映像を見て、見る度に、強く感じる事があります。
檀上(バルコニー)で檄を飛ばす三島氏と、要求によって集合させられた自衛官らとの間のあまりにも顕著な温度差です。
およそクーデターなどと言うものは、政治的社会的背景の流れを受けて、組織の内部から徐々にその機運が醸成され、事に至ると考えます。
三島氏は、文字通り命を賭して呼びかけた声が、耳を傾ける準備が出来ていない聴衆に即効的に浸透すると、本気で考えていたのでしょうか‥‥。

次回へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (44)

最終話「夕暮れ」 その四
「一枚の報道写真」について‥‥これから記していこうと思いますが、小学六年生のその日見たのが最後で、現在まで二度と同じ写真を目にする事はありませんでした。
あの写真は本当に存在したのだろうか?子供の頃の自分の妄想か、夢か何かの後付けされた記憶ではないかと考える事もありました。
何とも心許ない話ですが、やはり自分を信じることとします。
お読みになる皆さんは、その辺に留意してお付き合いください。

1970年11月下旬の朝、私はいつものように学校へ行く仕度をしていました。家族はもう全員出かけていて、学校が近いので通学時間が短い私が一番最後に戸締りをして家を出ます。
前日の都内は恐らく騒然としていた事でしょう。新聞の号外まで出たと聞きます。テレビを点ければ朝から報道であふれていたでしょうが、私にとっては普段と同じ朝。愚かにも私は全く、何も知らずにいたのです。
居間のカーペットの上に無造作に新聞が置かれています。A新聞の朝刊(地方だったので夕刊はなく、配達は朝だけ)が一面を見せていました。
ふと目をやると、「三島由紀夫」の活字が、はっきりと読み取れました。

隣県三重を舞台にした漁師と海女さんの話、「潮騒」の著者。それが、その時の私が「三島由紀夫」について知っている全てでした。
ふだんはテレビ欄しか見ない私でしたが、紙面のただならぬ雰囲気に吸い寄せられ、屈み込みます。読めない漢字、意味不明の難しい用語を避けて、拾い拾い、読み始めました。

事件の経緯は後に語るとして、著名な作家の突然の人生の幕引きと、誰もが耳を疑ったであろう最後の瞬間。内容を把握しきれないまでも、ただならぬ事態だという事はひしひしと伝わってきました。そして何より、紙面を支配するがごとき一枚の写真‥‥‥
モノクロで暗く、ピントが合っているのかいないのか。恐らく事態収拾の直後、窓越し或いは開いたドアの隙間から部屋の中(総監室)に向けてシャッターを切った感じの、混乱が写り込んだ様な一枚でした。

私は暫くの間‥‥写真のある部分に目を凝らしていました。
「‥‥‥‥これって‥」
問いかけようと顔を上げましたが、もちろん誰もいません。

再び写真に視線を戻し、再び目を凝らしてみる‥‥・・
様々が写り込んでいるフレームの中、私は、床にあった黒い丸っぽいものが何なのか、はっきりと判別できずにいたのです。

次回へ続く