ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (43)

最終話「夕暮れ」 その三
不可解な物事に対して不安や恐れを抱き、原因を推し量ってどうにか納得する事によって「安心」を手に入れる。
「安心」の獲得は、頭の中にわだかまっている記憶を、心の抽斗のどこかに整理をつけてしまい込み、忘れてしまう‥・忘れてしまえる意味を持っていたのだと最近気付きました。
「安心」出来なかったものの記憶は、どんな些細な事でも、いつまでも忘れられません。いつまでも残り続けて、後の生活に何らかの影響を及ぼしていきます。

小学生の私が、日常生活の中で不安や恐れを抱き、「安心」が獲得できなかったものは様々ありましたが、突き詰めればそのほとんどが大人達(人間)の行動に起因するものだった気がします。

先生の言動への不信感に始まり、連日テレビで流れる「公害問題」や「ベトナム戦争」などの報道。
高度成長期のツケだったのでしょうか、四大公害病に加え「光化学スモッグ」や「ヘドロ」という言葉を覚えます。
変わらず続く冷戦の、資本主義と社会主義のイデオロギー対立と戦争。
「七十年安保」の顚末で、目的を見失いつつあった活動家の人達のその後の驚くべき行動。

勿論当時は難しいことはわかりません。野次馬の人垣の後ろで、何とか様子をうかがおうと背伸びをしていた子供だったのです。しかしながら、傍観者を決め込む「対岸の火事」でも、伝わってくる熱さは確かに感じていました。

そして小学六年生の秋、11月下旬のある日、私にとって極めて印象的な、決してどの心の抽斗にも収まりがつかない、一人の作家が起こした事件を知るのです。

次回へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (42)

最終話「夕暮れ」 その二
幼年期の終わり‥・少年期の終わりは‥‥‥
例えるなら
遊びに夢中になっていて迫りくる夕暮れに気づかず、我に返って辺りを見回してみた時にはすでに日が落ちきって、薄闇が広がっている。暗くなっては遊べない。
「それじゃあまたね、また明日遊ぼうよ。」顔の表情も読み取れなくなった友達とそう言い合ってとぼとぼと家路につく。
そして翌日、窓の外は雨。雨は降り続き外遊びはお預け。
次の日も雨。その次の日も雨で、当分は外遊びは無理みたい。
「そのうち晴れるさ。止まない雨はない。」
その通り、雨は数日後には上がった。
しかし、その時にはもう僕らは、あれだけ夢中になった遊びの遊び方を、すっかり忘れてしまって‥‥・いた‥とさ。
というような感覚でしょうか。

「夕暮れ」が知らせてくれた「終わり」に気づかず、随分あとになって「あの日の夕暮れの意味」を自覚するのです。

小学六年生の夏休みが終わり、大阪万博も閉幕して、やがて秋が深まりつつありました。
私が学習塾に通い始めたのは、確かこの頃だったと思います。学習塾といっても田舎ですから、民家の畳の部屋に長机を並べて10人ほどが先生を囲むという規模のものですが、内容は厳しくしっかりとしていました。
習ったのは中学の英語と数学で、お下がりの教科書(私の場合兄のお古だった)を使って、「鉄は熱いうちに打て」と言わんばかりにまだ体験してもいない中学の授業を先取りして、どんどん進んで行きました。英語などは実際、四月になって本当に中学に入学した時には1年の教科書はすでに習い終えていて、さらに二巡目で一冊全部の丸暗記を始めていた程です。
勉強は嫌いではなかったと思います。しかし週に三日、宿題もあって、自由に過ごせる時間が急に少なくなったのを実感していました。

道草、寄り道、回り道、様々なものに好奇心を向ける機会は、着実に減っていきました。不思議不可思議より、英語の文法や数学の方程式。
少年時代の日が暮れようとしている‥‥・おそらくそんな時期でした。

次回へ続く