ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (24)

第四話「死体」 その四
ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ
ぼくらはみんな生きている 生きているからかなしんだ
手のひらを太陽にすかしてみれば まっかに流れるぼくの血潮
ミミズだってオケラだって アメンボだって
みんなみんな生きているんだ 友達なんだ

生命賛歌とも言える童謡「手のひらを太陽に」の歌詞です。
子どもの頃元気よく何度も歌った記憶がありますが、薄気味悪く思っていた部分があって、その箇所を歌う度にある種の「死のイメージ」が頭の中に湧き出してきたのを覚えています。
「まっかに流れるぼくの血潮」の部分です。

どくんどくんと全身からまるで噴水のように血が吹き出し、真っ赤に染まって息絶えていく自分の姿‥‥
「クジラの解剖」やテレビ・映画の影響もあったのでしょうか、死とはこういうものなのかもしれないと漠然と思ったものでした。

二つ目の「人の死に関する体験」も突然やってきました。
9月の台風シーズンに入ると、私の町は高い確率でその脅威にさらされます。台風の通り道、台風情報で度々登場する紀伊半島の南端串本町「潮岬」からそう遠くない場所に位置していたからです。
その年もそこそこの勢力の台風がやって来て少なからぬ被害をもたらして行きました。
一過の数日後だったでしょうか、放課後小学校のグラウンドにたむろしていた私達に思わぬ情報がもたらされました。町のM湾(市場のある港とは違う少し離れたもう一つの奥行きのある入り江で、小規模ながら真珠貝の養殖用のイカダがいくつか並んでいた)に死体が流れ着いたというのです。S市で台風の波にさらわれ1人が行方不明になっていたが、その人かもしれないという信憑性のある解釈まで付け加えられました。

私達は色めき立ちました。
「見たい!!」
「俺も見てみたい!!」
「本物の死体やぞ!!!」
集団心理も働いてか、好奇心が頭の中を支配していました。自分でも驚きですが、身近な人の死と違って見ず知らずの他人の死は好奇心の対象たり得たのです。
各自家に帰って自転車に飛び乗り再び集合、私を含め五人の小学生はM湾に向かうべく最短ルートとなる「例のトンネル」へと続くどれどれ登り坂を、全力の立ち漕ぎで上って行きました。

次回、第四話「死体」完結です。

 

「ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (24)」への2件のフィードバック

  1. リアル「スタンド・バイ・ミー」な体験ですね。私も「死」に直面したのは小学生の頃で父方の祖母の死。私らの学校はメインの校庭の他に二つサブ校庭みたいな場所がありましてそのうちの一つが柵をかいして公園と隣接されていました。その公園のベンチで老人が亡くなっていたそうです。冬の夜に酔っぱらってそのまま寝てしまったのでしょう。その酔っ払い老人、顔知っていたような気がします。騒ぎを聞きつけ私らが見に行った頃には既に警官がいて遺体にシートがかかっていました。後は中学生の時に母方の祖母が亡くなった時でしょうか。
    大人になってからは「死」は間接的な情報として入ってきますね。「あそこの歯医者の先生が亡くなったよ」、「自転車屋の主人が亡くなった」、「近所の誰それが亡くなった」という感じで。ご近所あるいは知り合い、顔見知りという程度の関係なれど、この人達が亡くなったという事はそれだけ年月が経過したんだと実感しましたと同時に心の中でご冥福をお祈りする他ないのも実感しました。

    ご無沙汰しておりました。10月からの職場移動、10月上旬の資格試験に向けての対応で気を張っていました。ひと段落ついてホッとしています(試験落ちてるかもですが・・)。明けや休みの日には思いっきり読書や散歩、武術の練習をしたいこの頃です。先生もお忙しいようですがお体ご自愛下さい。

    それではまた来週を楽しみにしております。

    1. コメントありがとうございます。お久しぶりです。
      「スタンド・バイ・ミー」については次回少々触れるつもりでおりました。
      人が様々な訃報に接するという事は、全ての生命が持つ避けては通れない宿命を少しずつ学習し認識していく作業なのかもしれません。

      お仕事、順調にいきますよう応援しております。

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