ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (21)

第四話「死体」 その二
見事に一刀両断された頭が一列に幾つも並べられます。辺りには腹を裂いて、湯気の立つ内臓がドロリと出てきた時の独特の臭気が未だ立ち込め、洗い流された血で海水が一面真っ赤に染まっていくのです・・・・

これは私が幼い頃から幾度となく見てきた、町の港の市場にゴンドウクジラが水揚げされた時の光景です。
町は「古式捕鯨」発祥の地でもあり、私が小学校の頃も近海での捕鯨が脈々と続けられていました。
足が速く船首に銛(もり)の発射台が装備されたキャッチャーボートが現役で稼働していたし、独特の方法で行う「追い込み漁」も盛んに行われていました。クジラが音に敏感であることを利用します。群れで行動している小型のクジラの集団を小型船数隻で取り囲み、「船のヘリを叩いて音を出す」事で巧みに誘導していき、港の湾や近くの入り江に群れごと追い込んで網で囲い込むのです。

クジラは大まかに「歯クジラ」の仲間と「髭クジラ」の仲間に分けられます。
前者は主に小型のクジラでゴンドウクジラもそれです。字のごとく口に歯がありイルカやシャチなども含まれます。マッコウクジラがこの仲間では最大の大きさ。
髭クジラは大型で、上顎に板状の髭が縦に並んでいてオキアミ(小エビ)など海中に漂う群れをそのまま口の中に入れ、海水だけを吐き出す方法で捕食します。ミンククジラやセミクジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラが有名です。シロナガスクジラは哺乳類最大の大きさです。

近年「捕鯨」は保護の観点から世界的に全面禁止に傾く現状ですが、それはまたの機会に触れる事として、古来からクジラは町を潤す貴重な食料で、肉や内臓、皮にいたるまで「捨てるところがない」といわれていました。牛肉などが高価だった頃のタンパク源として、全国の学校給食でも利用されました。
当時私が見ていた光景もクジラが哺乳類であり高い知能を持つという事を除けば、マグロやサメなどの魚の解体と何ら変わりはなかったのです。

ただ港の海面を染めていく真っ赤な血の色彩は、幼い私に強烈なイメージを与えたことは間違いありません。

次回、別冊付録の予定です。

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (20)

第四話「死体」 その一
アポロ11号アームストロング船長が月面に人類史上初となる第一歩をしるし、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」と語った1969年、私は小学五年生になっていました。
この大イベントがあったのは確か間もなく夏休みに入ろうかという一日で、午前中教室で先生からこの偉業に対する「高説」を賜り、帰宅して午後はテレビ中継を見続けた記憶があります。
周りの大人たちにつられる形で多少の興奮はしたものの実際の映像は正直退屈なもので、私が興味をそそられたのは月面着陸船のシステムや形状。のちに各玩具メーカーがこぞってプラモデルを発売した際にはすぐさま買い求め、月着陸船「イーグル」、司令船「コロンビア」を組み立ててドッキングさせたり切り離したりして、「静かの海」への軟着陸を何度も何度も再現したものです。

1960年代初頭のケネディ大統領の約束が実現し、アメリカ合衆国はその後もアポロ計画を続けていくわけですが、その頃の私の住む町にも大変革が起こっていました。
大規模な町の観光地化計画です。

私の町は「古式捕鯨」発祥の地でそれを観光資源の一つと位置づけ、海沿いの山を崩し大規模な埋め立てを行ってその場所に「くじらの博物館」を中心とする様々な施設を整備していきます。風光明媚な景観と近隣の町の温泉ホテル群とが相乗効果を生み出すであろう立地は、大きな集客力が期待できたのです。

町が変貌していく様は、アポロ11号のモノクロの映像よりもはるかに刺激的でした。
駅に向かう連絡バスの路線も変わりました。海沿いの埋め立てられた土地に広く美しい道路が整備され、やや遠回りにはなりましたが「例のトンネル」は徐々に使われなくなっていきました。
ただこれから語る「死体」のお話‥‥やはりこの「トンネル」の風景とともに今も私の記憶の中にあるのです。

次回へ続く