第一話「防空壕」 後編
子供は嘘をつきます。
幼少期、始まったばかりの人とのコミュニケーションを試行錯誤しながら無難に切り抜けていく為の術なのか、人が生まれながらに持つ自己防衛本能の一つなのかその理由はわかりませんが、リラックスした仲間との他愛のないやり取りの中にも嘘がふんだんに散りばめられている事がよくありました。
その日、放課後だったでしょうか。同級生の一人が奇妙な話を始めます。
「防空壕に住んどるぞ」
「何?何が?」
私と数人が興味を示したのを知ると彼は明らかに話のギアを上げて、おそらくは嘘を盛り込み始めたのです。
「そいつはなぁ・・・」
・・そいつはどうやら人間のようです。しかし彼の口から飛び出したその人物像は道徳的に極めて不適切な言葉の数々で形容されていました。
小学校は三方を山に囲まれていて、グラウンド側の山の5メートル程の高さの所を隣町へと続く生活道路が走っています。その道に沿ってほぼ等間隔に掘られた5、6個の防空壕が残されていました。
とてつもなく怪しいまるで化け物のような人物が、最近そのうちの一つを住処にしている・・・私はそう理解しました。
一人になった帰り道、小さな商店の向かい側に物置代わりに使われているやはり防空壕があります。私はそこを横目で見ながら足を速めます。
その時、「防空壕」への認識が明らかに昨日までとは違ったものになっている事に気づきました。
「防空壕」は遊び場ではなく隠れる場所、身をひそめる場所だったのです。
昼間でも闇を抱えた穿たれた穴の中から、何かが私をじっと見つめ始めました。
HBの鉛筆の線が真っ黒ではないように、夜は真の「闇」ではありません。
月が昇るし雲も流れます。月の出ない夜は目が慣れると満天の星空が広がります。
「闇」は昼夜を問わず一切の光を拒絶し空気さえ重く澱む、そういう場所なのです。
私は何の力もない一人の子供でした。
「防空壕」への認識が変わった時から、私は「闇」を恐れ「闇」の中に潜む何者かを想像し震える日々を確かに手に入れたのです。
話の続きが気になりますね。子供の話とはいえその年代でしたら戦後住居を失ったり帰るとこがない人達が防空壕に住み着いてしまった例もありそうですね。
そういう人たちと防空壕を遊び場と認識してきた子供たちが接触するとお互いどう反応するのか・・何か想像すると冷や冷やしますね。
中上健次さんの本、図書館で借りてきました。「熊野集」と「紀州物語」です。私にとって今のところ作品やジャンル、著者もとらえどころがなくあるいは一筋縄ではいかない感じですが紀州地方の情景などを想いながら世界観に入り込めたらいいですね。返却日まで読了できるか分かりませんが・・。
それではまた来週を楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
中上健次氏の著作ですが、映画の脚本として書かれ後に小説として出版された「火まつり」があります。
新宮市の神倉神社の「御燈祭り」を題材にしたもので、神倉山は「古事記」に既に記述があるらしくお祭り自体も神秘的なものです。
俳優の故原田芳雄さんも毎年参加されていたと聞きます。
お勧めしたいのですが、残念ながら今は絶版状態のようです。