ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (1)

今回タイトルとして掲げた「ぼくらのウルトラ冒険少年画報」は、シリーズ連載が終了した「巨人真伝トキ」の後に企画した案の一つで、私の小学生時代(1964年東京オリンピックに始まり1970年大阪万博に終わった盛りだくさんの時代でした)を投影した主人公が、感受性豊かで先入観のない子供の目が映し出す「不思議」で時には震え上がるほど「恐ろしい」世界を体験していくお話でした。
その頃のありったけの情報を交えながら描けたら厚みのあるストーリー展開が望めるとも考えました。

ちなみにタイトルは、当時の月刊漫画雑誌「ぼくら」(講談社)・「冒険王」(秋田書店)・「少年画報」(少年画報社)と、ウルトラQに始まるウルトラシリーズからいただきました。
漫画雑誌はすでに「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」後追いで次々に創刊された「少年ジャンプ」「少年チャンピオン」と、週刊漫画誌の時代でしたが、付録のついた(別冊の漫画小冊子や今でいうペーパークラフト的な紙工作が付いていた)月刊漫画誌が私には妙に記憶に残るものであり、少ない小遣いではなかなか買えない憧れだったのでタイトルに盛り込みました。
更に私は最初のテレビアニメ世代で、黎明期のテレビアニメ情報も話に絡めていこうという考えもありました。

当時の出来事、アニメや特撮番組などで年表を作成し、およそ八話構成でネームを描き始めましたが、残念ながら採用されることはありませんでした。

後に浦沢直樹先生が「20世紀少年」を掲載し始めそれを拝読した時、自分が描きたかったのはこういうものだったのか、読み物としてやはり大きなドラマ性が必要だったのだなと自分の力の無さを痛感したのを覚えています。

漫画でのリベンジはもはや叶いませんが、いくつかの面白いお話を時々絵を交えながら今後不定期でブログにあげていきたいと思います。
よろしかったらお付き合いください。

新人作家時代の素描 (8)

「カゴメ」執筆後、ビジネスジャンプ編集部に移動した前の担当編集者さんからお話がきて、「リントハイムの石」とういう読み切り短編を創刊間もない雑誌(ビジネスジャンプ1985年12月号)に掲載していただきました。
この作品はスプラッターホラーというような内容で、純粋な娯楽作品を目指して描いたのはこれが最初だったような気がします。作家になって初めてファンレターもいただき、嬉しくもあり気恥ずかしい感覚を味わいました。

「リントハイムの石」より数ページを抜粋してみました。
この辺りまでが私の「新人作家時代」と呼べるものでしょうか。

当初、自分の「新人作家時代」を顧みることは実は至極気乗りのしない行為でした。
おそらく、できれば封印しておきたい拙く恥ずかしい記憶がそこにあるだろうと考えたからです。
しかしいざ過去をたどり記憶を紐解いてみると、実際そこにあったのは「理想に向かってひた走る熱を帯びた自分の姿」でした。
いったいどこまでが「新人」で、どこからが「新人」でなくなるのか???
私の場合、絶えず新しい表現を求め今までにない漫画を描いてやろうという熱のようなエネルギーに満ちた日々を送っていた頃の自分がそれで、仕事がある程度軌道に乗って熱が収まりかけた時「新人」でなくなったのかもしれません。