リアリティー回想記 「サトル」

「リアリティー’88」の月一シリーズを連載している最中の事です。
古い記憶なので詳細は事実と異なるかも知れませんが、「女学生が休日、友達通しで海を見に行き、その後ビルの屋上から一緒に投身自殺をした。」という簡潔なテレビ報道がありました。彼女たちの自殺の動機・原因は不明。結局、続報もなかったように思います。

その時は、若い子が自ら命を絶つという現実に心を痛めた私でしたが、情報があまりにも乏しかった分、「何があったんだろう?」と様々な想像が頭の中を巡っていきました。

彼女たちは友達通しで「海を見に行った・・・」その後ビルの屋上に上って夕刻、暮れゆく街を見下ろしただろうか・・・夕焼け、星空・・・そして手をつなぎ・・・

具体的にお話にしてみようと思った時、「自殺」をテーマにしようとは考えませんでした。彼女たちの自殺は、いじめを発端とする日々の閉そく感や虚無感からは何故か違うところにあるように思えたのです。
私が表現したかったのは、大人になるにつれ忘れてしまう中高生だった頃の一日一日の長さ、重み、あらゆる物事に反応してしまう純粋で過敏すぎる感受性だったのかもしれません。
その頃は、日々のすべての経験・情報を一つ一つ精査し引き出しに仕分けし、バランスをとっていく暇や能力などありません。一日一日を生きていくことで精一杯だった、そんなヘトヘトな日常の心の中に知らぬ間に入り込み、浸透し支配していく異物的な観念、それが「サトル」だったのかもしれません。

お話の中、彼女たちは目を見開き、何かを目指して手を伸ばし掴み取ろうとするように中空に身を投げ出します。

ちなみに
月、火、水、木、金、土、日・・・私は「クイズダービー」が好きです・・だって明日は日曜日だから・・・私は「サザエさん」が嫌いです・・だって明日は月曜日だし・・・・・
のくだり。表現しようとした事は、今でいう「サザエさん症候群」のそれでしょう。

次回は、「REALITY」。私が実質的なデビュー作だと認識している作品です。そのあとに「土色画劇」、「仮面」と続きます。

「リアリティー回想記 「サトル」」への2件のフィードバック

  1. 80年代、私もうろ覚えですがそういう事件ありましたね。女生徒が二人で飛び降りたというのは。
    それ以外にも某アイドルの自死、中学生いじめ自殺で当時は社会問題になっていたような気がします。

    中学生の頃、妹(一つ下)の同級生がビルから飛び降りた事件がありました。テニス部か体育会系の部活に所属していて、試合に勝てないあるいは上手くならないのを悩んでの自死だったようです。

    大人になった今では何故そんなことで死を選んでしまうのか自死した本人、その周りの人たちに対して憤り、あるいはモヤモヤした感情を抱いてしまいがちでした。しかし十代の人の狭い世界では選択肢(思考あるいは考え方の)も限られていますし先生のおっしゃる通り経験、情報を精査し心身のバランスをとる能力もまだ未発達なのでしょう。

    大人になった今でも将来、未来への不安、大人だからこそ直面する職場、家庭での問題、課題、悩みは絶えませんが子供たちも立場、年齢、思考が違うとはいえ同じ人間。彼らなりにそういうのに直面しているのでしょうね。願わくばそういう時に導いてあげる存在(カウンセラーなど、サトル君は?)が身近にいる社会にしたいですね。

    当時でも今でも想像するのですがいまいち「ぱっ」としない存在であるリアル(現実)な自分、その自分がいる現実世界。違う世界、次元、違う惑星に行けて暮らせたとしたら「ぱっ」とするのでしょうか、何か変わるのでしょうか。不安、悩みが解消されて幸福になれるのでしょうか。
    そういう非日常を求めて幻想、ホラー、sf等の作品を好むのでしょうね。

    「サトル」は永遠を求め時を止めたいと考えるに至った少女たちとそこに導こうとするサトルという善か悪か分からない存在の物語。作品を再読して当時の自分の前にサトルが現れたら感化されて物語の少女たちと同じような行動をとるのかあるいは拒絶するのかどっちだろうと想像すると少し冷やっとした感じになる物語でした。
    それではまた。

    1. コメントありがとうございます。
      「サトル」はテーマは重く難解な作品かもしれませんが
      自分にとって大切な作品です。

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