悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (30)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十五

「‥‥‥つまりあの泣き声は‥‥・私達をおびき寄せるトラップてこと?」
「たぶん‥‥‥‥‥」

委員長は、何か他にも問いたげに俺を見つめた‥‥‥。

俺は委員長の視線を振り払って、辺りを見回した。
六年の教室があった三階は存在しない、存在しない場所へと続く階段は罠だ‥・と考えたからには、その証拠が欲しい。俺は何物も見逃すまいと、ぐるりを隈なく観察し始めた。
委員長は、そんな俺を黙って見ている。すすり泣く声は、俺の判断に異を唱える様に途切れることなくずっと聞こえていた。

「‥・もっと深いところに‥‥‥‥」俺は自分が口にした言葉を呪文のように繰り返し、目線を下げていった。
階段の右横、手摺りの壁と隣接するトイレの壁とに挟まれた細長い空間がある。折り返した階段が更に上へと伸びていくちょうど真下のスペースで、階段の裏側にあたる斜めの天井が窮屈そうなイメージを与えていた。目が止まったのはその床部分だった。
「‥ん?」
リノリウムの床の質感がそこだけくすんで見える。
屈み込んで顔を近づけ、目を凝らした。「‥‥‥‥‥‥‥‥」
覚えのある微かな匂いが鼻に届いた。さらに顔を、鼻を近づける。
「‥‥‥‥絵の具か‥・水彩絵の具の匂いがする」俺は、床に手を置いて撫でてみた。
「ど‥どういうこと?説明して」業を煮やしたのか、委員長が口を開いた。
それに答える代わりに俺は、床に置いていた右手に思いきり圧力をかけた。

ズコッ!

右手が二の腕まで床下に入った。いとも簡単に床が抜けた。
「大丈夫⁉」委員長が駆け寄って来た。
「紙だ。床が紙で出来た張りぼてだったんだ」
バリ!ベリリリッツ!
画用紙や工作用紙を何枚も継ぎはぎして重ね、表面を絵の具で着色してあったのだ。俺は、手の入った部分からそれを引きはがしていった。
バリン‥‥・
物の一分程の作業で現れたのは、従来からそこにあった様なれっきとした下り階段であった。

「あーあ‥」「チェッ」
どこからか、がっかりした様子の子供たちの声が漏れてきた。
すすり泣きの方は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

本当の校舎にはない階段の出現は、俺の考えが間違っていなかったことを示すと同時に、このもう一つの校舎への俺の明らかな関わりを暗示するものとなってしまった。
俺は屈み込んだまま、委員長は俺の傍らに立って、地下へと続く階段を覗き込んでいた。もっとも、今いる場所だってすでに地下なのだが‥‥‥‥
「‥‥本当に‥巣窟らしくなってきた。降りていくんだろ?」俺は委員長に言った。
委員長は真っすぐ俺を見て、何の躊躇もなく頷いた。
「もちろん」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (29)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十四

「お‥女の子の‥‥‥‥声だ‥‥」俺は言った。
「‥・そうかしら?私には変声期前の男の子の声に聞こえる‥‥・」委員長は言った。
目を閉じて、もう一度ふたりして聞き耳を立てた。

余りにも微かで判別するのは難しいが、すすり泣く声が子供のものであるのは間違いない。
「‥‥もっと近づいて確かめるしか‥・なさそうね」
委員長と俺は、連絡通路からの突き当りの廊下を右へ、声がする方向へと歩き出した。

「泣き声の子は‥‥悪意の犠牲者かもしれないわね‥‥・」さっきまでと同じで、やはり俺の前を歩いている委員長が言った。
「‥‥‥‥‥」俺は答えなかった。別のことで頭の中がいっぱいになっていたからだ。
俺は自分を疑い始めていた。
グラウンドで‥‥みんなの前で‥・島本が指摘したように、このもう一つの校舎を埋めたのは俺自身なのかもしれない‥‥‥・と。
もちろん身に覚えはない。しかし、いつか遠く闇の中へ追いやって見えなくなった記憶が、突然ぼんやりとその輪郭を取り始めることがある。今がそんな感覚で、疑わしい記憶が、委員長と行動を共にする間に、徐々に焦点を結びつつあった。

「子供が泣いている場所まで行けば、この悪意の巣窟を統(す)べるものの正体を突き止められるかもね‥」委員長は言った。
「‥‥‥‥‥‥」今度も俺は答えなかった。
委員長が、俺を誘導しているように思えてならなかった。これではオブザーバーと言うより、ナビゲーターだ。
やはり彼女には、何かの意図があるのだろうか‥‥‥

前方、廊下の左手に、上へと通じる階段が現れた。
委員長が立ち止まり、俺も立ち止まる。
すすり泣きがさっきよりも幾分明瞭になった。明らかに階段、階上のどこかから反響気味に聞こえてくる。
この階段を三階まで登れば、六年生の教室が並んでいるはずだ。少なくとも俺たちの在学中はそうだった。
委員長と俺は顔を見合わせた。

「‥‥行くわよ」委員長が一段目に足を掛けた。

「ちょっと待ってくれ」
「ど‥・どうしたの?」
「何か‥‥違和感を感じるんだ‥‥‥‥」
委員長は足を引き、真っすぐに俺を見た。

俺はこの時、随分と疑り深くなっていたし、妙に頭が回った。
「この校舎の入り口を見つけた時から思ってたんだが‥‥‥、本当に三階はあるのか?」
「どういうこと?」
「入り口があったから、校舎も丸々土の中に埋まってるんだろうと思い込んでないか?入り口を掘り当てたのは、地上からせいぜい五、六メートルの深さだった。もしこのもう一つの校舎が三階建てなら‥‥、屋上と三階部分は、グラウンドの土の外に出てたはずだ」
「‥‥‥そ、その通りね」委員長は頷いた。

俺は委員長の眼差しをしっかりと受け止めていた。さらに説明する。
「それに‥‥・ここが、何かを隠したり封じ込めるために埋められた場所なら、肝心なものはもっと深い所へ埋められてる気がする‥‥‥」
そして最後に、こう付け加えた。
「俺なら‥‥そうする」

次回へ続く