悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (5)

序〇糞(ふん) その五
次の糞を求めてか‥少年は立ち上がり、歩き出した。男も後に続く。
「‥‥またそいつを探すのかい?」
「ああ‥商売だからな」
「商売?」

相変わらず少年は、男に背を向けたまま話し続ける。
「集めたものは、ネットの上で売りさばく。一粒で一万円の値が付く代物なんだぜ」
「一万円だって!」
「そうさ‥出品したとたん、ものの数分で完売よ。こいつの価値は人間様が一番良く御存知ってわけだ」
「‥‥‥ハハ‥まさかぁ?」男は、少年の戯言に、いや、その戯言に乗せられている自分に気がつき、自嘲気味に笑った。

少年が歩を進めるのを止めた。そして、男の方を振り返った。男も、何かあったのかと立ち止まる。
「あんたも‥この世界に迷い込んで来たってえことは、ストレスで精神がぶれ始めてる確かな兆候だぁ‥‥つまりはおいらの、将来の大事なお客の一人ってことだ‥‥・」
「どっ、どういう意味だい?」
男は、少年のいきなりの指摘に戸惑った。どうやら少年は、男がここにいる理由を知っている口振りである。それどころか、全部を見透かされている気さえする。
少年は続けた。
「そういう時こそ、精神の凝りを解(ほぐ)す強い刺激が必要なんで、獏の胃袋でも消化できねえ程のすげえ悪夢を味わってみるってえのも、ひとつの手さぁ」
「き‥君は一体‥‥何者なんだ?」
「商売人さ・・・」

少年はズボンのポケットに手を突っ込み、黒い欠片を取り出して手のひらに載せた。
「砕けちまって売り物にならないもんだが‥‥良かったら試してみるかい?」
そう言って、男に差し出す。

「こいつを飲みゃあ、見ず知らずの他人様の悪夢を体験出来るって寸法よ。論より証拠、百聞は一見に如かずってやつだ‥‥」
男は、出会ってから初めて、少年の表情に変化が生じたのを認めた。
少年は口元に、微かな薄笑いを浮かべていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (4)

序〇糞(ふん) その四
「‥ここいらは‥・奴ら霊獣の通り道だからな。気紛れに糞を落として行きやがるのよ‥‥」
興味津々といった体で覗き込む男に、棒を動かす手を止めることなく少年は言った。

「霊獣‥・て、君が言っているのは、伝説とかに出てくるあの夢を食べる獏のことなのかい?」
「ほう、飲み込みが速いじゃねえか」

少年は、棒で選り分けた糞を、素手でさらに細かく砕き始めた。
「獏の野郎、夢を喰って生きてやがるんだが‥‥・」
指で糞の欠片をつまんでは捨てつまんでは眺め、少年は何かしらを吟味している。
「人間の夢てのは特別でね‥妙な添加物が紛れ込んでいるもんだから消化に時間がかかるのよ。特に悪夢なんてのは、悪夢が悪夢なほど消化不良のまま、糞に紛れて出しちまう‥‥」
少年の手が止まった。

「おっと出た!」

少年は糞の欠片の中から、丸薬のような黒い玉をつまみ上げた。
 「ほう‥こりゃあ上物だ」
「つまりそいつは、消化されなかった人間の‥」
男が身を乗り出して口を挟んだ。
「そうさ、悪夢の塊。こいつは今日一番のとっておきの悪夢だぜ」
肩に掛けていた布のバッグから、コルクでふたをした透明な広口瓶を取り出す少年。ふたを開け、つまんでいた黒い玉をそれに落とす。
瓶の中にはすでに、同じような黒い玉が半分程貯まっていた。

少年の妄想・・・・・にしては良く出来た話だ、と感心すると同時に、これはやっぱり昆虫採集みたいなものじゃないか‥‥男はそう思った。
昆虫採集は、カブトムシやクワガタを捕ることだけが楽しいわけでは無かった。蝉の抜け殻や謎の卵塊、正体不明の毛虫、何でもかんでも虫かごやポケットに入れて持って帰った記憶がある。

男は、そもそも自分がなぜこんなところにいるのかを考えた。
営業先で、取り付く島もない相手に頭を下げ、へつらう毎日にうんざりしていて、だから自分はここに、こんな田舎に休暇に来たのだろうか‥‥
きっとそうだ。たまには童心に帰って虫捕りでもして、自然の中でリフレッシュするつもりで‥‥‥
少年が自分を遠ざける素振りも見せず、ぶっきら棒ではあるもののあれこれと話し出したのは、事情を察して自分を誘ってくれているのかも知れない。

男は嬉しくなった。
たとえ少年の話が何から何まで噓っぱちで、瓶の中味が全部ダンゴムシだったとしても、それはそれで愉快だと思った。

次回へ続く