悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (24)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その九
「入り口のトビラを塞いでもらったのは、あなたの迷いを断ち切る為だったけど、校舎の中に入れてあるものを外へ出さない意味もあったの‥‥‥」

委員長は、いつもの冷静さと誠実さを忘れてはいなかった。
ただ、俺は以前からそういう彼女に時々胡散(うさん)臭さを感じることがあって、この時もそうだった。
彼女は最初から何もかもを知っていて、彼女の目指す目的へと俺を誘導しようとしているのではあるまいかと‥‥。

だから俺はあの時、彼女の本当の素顔を垣間(かいま)見た気がして‥‥・あんな事を始めてしまったんだ‥‥‥‥‥

小学五年生で委員長と同じクラスになって、二ヶ月が経っていた。
俺は相変わらず、委員長のいる場所と彼女の視線を意識しながら行動していた。
その日も休憩時間の教室で、後方の席に陣取る男子数人と他愛のない話をしながらも、背中を向けているふたつばかり前の委員長の席が空白である事をちゃんと認識していて、彼女は何処に行ったのだろうと頭の隅で考えていた。
三時限目が始まるチャイムが今にも鳴ろうという時刻になって、委員長が教室に戻って来た。そのまま真っすぐ自分の席に向かう。
素知らぬ振りをして背中を向けて置きながら、俺は彼女の動向に全神経を集中した。

「はっ!‥‥‥‥‥」

恐らくは教室にいる誰一人気づかなかったであろう、委員長の息を吞む様な小さな声。俺だけがそれを聞き逃さなかった。
俺は、髪を直す振りをして顔を横に向け、さり気なく彼女の方に目線を流した。

椅子の背もたれに手を掛け、席に着こうとする体勢で委員長は固まっていた。顔はこわ張り、見開いた目は机の上を凝視している。
何が起こったのか‥と考えるより、俺が驚いたのは、委員長の見せていたその表情である。彼女と出会って以来一度も見たことがない、まるで無防備で赤裸々な、幼ささえ感じる無垢(むく)な少女の顔‥‥‥‥
俺は感動していた。
いつも高い所に居て、見上げてばかりいる存在の委員長が、俺たちの場所まで降りて来た感じがした。

委員長が固まってしまった理由はすぐに分かった。
彼女の視線の先、机に置いてあったノートと筆入れの上で蠢(うごめ)いているものがある‥‥・。蜘蛛だ。体部分の大きさだけでも2センチはあろうか。長い足を繰って、ゆっくりと机上を横切っていった。
蜘蛛が見えなくなって数秒後、委員長は仕切り直しでもする様に瞬(まばた)きを素早く二度してから姿勢を正し、静かに椅子を引いて席に着いた。表情は何の未練も余韻もなく、いつもの委員長のそれに戻っていた。
一部始終を見届けた俺は、見慣れた日常が戻った事に心底がっかりした。無意識のうちに「はぁ‥・」と溜息をついていたほどだ。

チャンスがあったら、委員長のさっきの表情をまた見てみたいと強く思った時、始業のチャイムが鳴り響いた。

「そうか‥‥・虫が‥苦手なのか‥‥‥‥‥」
三時限目の授業中、俺は頭の中で呟いた。
きっとその時、俺は間違いなく、ほくそ笑んでいたに違いない‥‥‥。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (23)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その八
それが‥‥たとえばテーマパークのアトラクション体験で、ふたり手を繋いでのデートだったらどんなに嬉しかったことだろう‥‥‥‥‥
俺は‥・委員長に手を引かれて、得体のしれない空間に足を踏み入れている。見せかけは学校の廊下だが‥‥そうであるはずがない場所に‥‥‥‥‥。

リノリウムの床が微かに、怪しく光っている。
俺と委員長はその光に一歩一歩足を載せる様にして、ゆっくりと進んでいった。

「‥‥震えてるの?怖い?」委員長が小さな声で言った。
「震えてなんかない。怖かないさ、ただ‥‥‥‥」俺は慌てて答えたが、後の言葉は出てこなかった。まさか正直に、きっと君と手を繋いで胸が高鳴っているからだとも言えまい。
しかし、良く言われる「吊り橋効果」の解釈で、今のドキドキがもしかしたら、この「とんでもない吊り橋」を渡っているせいではないのかと思えてきた。

と‥その時、誰もいないはずの背後で、キュッと床を鳴らす靴の音がした。
振り向く暇(いとま)も無く、何者かが、委員長と俺の間をこじ開ける様に体当たりしてすり抜けて行った。瞬間、何故か白い煙が上がった。
「何⁈」「ゴホゴホ!」
俺と委員長の繋いでいた手が解(ほど)けた。
黒い小さな影法師が駆けている!両手に何かを持って、大量の白い煙を立てながら走り去って行く!
「おい!待て‼」俺は追いかけようとした。
きゃはははははははーー
不気味な笑い声を響かせながら、そいつは物凄い敏捷さで、遥か前方の薄暗がりにあっという間に見えなくなった。

「‥チョーク‥‥‥」
委員長の呟きに、俺は振り向いて彼女を見た。
彼女のブラウスとスカートは、真っ白に汚れていた。
「だっ、大丈夫か?」
「大丈夫‥・どうやらこれ、チョークの粉‥‥」彼女は俺を見て、小さく笑った。「あなただって真っ白よ」
委員長の言う通りだった。

「私達、チョークの粉がたっぷり付いた黒板消しで叩(はた)かれたみたい。大した歓迎だわ」
「よっ、良く落ち着いていられるな。驚かないのか?この中に人がいたんだぞ!」

委員長は、俺の詰問に答えること無く、真っ直ぐ俺を見て静かに言った。
「タイムカプセルはただの容器。入れてある中身を保護する入れ物に過ぎない。この校舎がタイムカプセルなら、やっぱりただの入れ物‥‥‥‥」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「最初から問題は‥‥何を入れてあるかなのよ」

次回へ続く