悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (163)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十八

芝生広場の‥目的の地点まで近づいて行くのに、まるで退屈しのぎの散策でもしている振りを装い続けて歩いた‥‥‥‥
途中、誰かが芝生の上に広げたままにしてあったレジャーシートを見つけて、さり気なく拾い上げた。
そのままにして置けないあの『無残な亡骸(なきがら)』に、掛けてあげようと考えたのだ。
やがて雑木林の下にいるみんなの姿がすっかり見えなくなった頃、ぼくはそこに到着した。

すべてが視界に入った途端、世界が一変した気がした。
いくつかに分断されて散乱している風太郎先生の遺体は、改めて眺めてもやはり壮絶で、ぼくは足が竦んでしばらく動けないでいた。しかし、最初に見た時と違って、『襲われかけていた生徒を守ろうと、自らの身を投じてその盾(たて)となった風太郎先生』の、勇敢な行動への少なからぬ敬意が生まれていた。
ぼくは目を瞑り、そんな現場に黙礼(もくれい)した。そして、バラバラになっていた上半身と下半身、右腕と左手、かなり離れたところに転がっていた首を一か所に集め、用意して来たレジャーシートで静かに覆(おお)い、十分な時間をかけて『風太郎先生』に手を合わせた。

本来なら、警察が駆けつけるまで、事件が起きた現場を保存するというのは常識で、死体を動かすなど以(もっ)ての外(ほか)なのは百も承知だったが、そんなことはもはやどうでも良かった。気持ちの整理がついて幾分落ち着いたぼくは、気の向くまま辺りを隈なく歩き回り、何か気に留めるべき痕跡でも在りはしないかと自分なりに調査を開始した。
それにしても風太郎先生は、どうしてここまで酷い殺され方をして、ここにそのまま置き去りにされたのだろうか? 彼より先に殺されたはずの水崎先生、それに教頭先生は、例の巨大迷路の廃墟に運ばれ、腹を裂かれてその外壁に並べて吊るされた。獲物を仕留めて持ち帰り、トロフィー(戦利品)の様に壁に飾りつけていく‥‥それが『ヒトデナシ』の行動パターンであるように思える‥‥‥‥‥
「‥よっぽど‥‥『ヒトデナシ』を怒らせた??」

ゴリッ‥
右に左にと動かしていた足が、芝草に隠れていた何かを踏んづけた。硬いものである。
「何だ?」
ぼくはしゃがみ込んでそれを拾い上げた。一瞬ドリンクの空き缶ゴミかと思ったが、手を広げて見てみると、少し小ぶりの大きさのスプレー缶だった。「そっ そうか‥」すぐに思い当たったのは、葉子先生の話していたことだ。風太郎先生は『ヒトデナシ』の背後から飛びついて組みつき、手にしていたスプレーらしき物をヤツの顔に噴射していた‥‥と。
ぼくは、それが『ヒトデナシ』にかなりのダメージを与えていたと聞かされて、おそらく護身用の催涙スプレーだったのかも知れないと想像し、それと同時に、風太郎先生がなぜそんなものをこの遠足に持ってきていたのかと不思議に思った。しかし、スプレー缶の表示を読むとそれは単なる『虫除けスプレー』で、野外活動に携帯するのに何ら不自然ではないものだった(もっとも、風太郎先生みたいに昆虫採集をする人間が、虫除けスプレーを携帯していたのは、どこかおかしな気もするが‥‥)。
「‥肌に優しいタイプ‥て書いてある。確かに目に入れば多少なりとも染みるだろうけど‥‥、こんなものでヤツを苦しめ、もしかしてすごく怒らせたのか?‥‥‥」
ぼくは、さほど危険な成分が入っていそうもない虫除けスプレーの表示を、もう一度確かめていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (162)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十七

今‥、芝生広場は、静けさを取り戻している。
空は厚い雲に覆われているものの、何物かが潜んでいる気配はどこにも感じられない。
もっとも、本来ならばこの時間、子供たちの歓声がそこかしこから聞こえているのが正常なのだろうが‥‥‥‥‥


ぼくたちは、雑木林と芝生広場との境目の場所から動いていなかった。
葉子先生は草の上に俯(うつぶ)せに横になっていて、背中の傷の出血と痛みのせいか、身動きをしないでいる。容態は刻々悪くなっている様で、もう木に登るのは無理かも知れない。
傍らにはフタハとミドリが座り込んで、先生を見守り続けているが、もはやなす術(すべ)がないといった様子だ。
モリオは、リュックの中の新しいチョコレート(確か四種類目だったろうか‥)に手を出して、周りの誰にも分け与えることなく、一心に食べている。それを少し離れたとことからじっと見ている態(てい)のツジウラ ソノだったが、目の焦点は明らかにモリオに合っておらず、何か別のことで物思いに沈んでいるのが分かった‥‥‥‥‥‥

「待つしか‥無い‥‥‥というところか‥‥」と、ぼくは呟いた。
事ここに至って、おそらくみんなは、『助けが来る』のを期待している。警察と救急が駆けつけて来るのを待っているに違いないと思った。
葉子先生の話では、草口ミワが先生の携帯電話を使って、110番と119番に連絡しているのだ。
しかし、それが確かな事だったのかどうかがはっきりしない。草口ミワは途中で『ヒトデナシ』に襲われそうになり、携帯電話を投げ捨てたはずだ。しっかりと連絡が完了していたかどうかは疑わしい。それに『小学生の通報者』の言葉を、いたずらと判断した可能性だってある‥‥‥‥‥

ぼくは、自分のリュックを背負い直し、ゆっくりと立ち上がった。
葉子先生以外のみんなが、ぼくを見る。
「どこへ行くんだ?ヒカリ‥」チョコを摘まむ手を止め、モリオが問う。
「ちょっと、歩いて来る」
「大丈夫なの?『ヒトデナシ』はもう、現れない?」代表する様にフタハが意見した。
「大丈夫かどうかを‥確かめるのも含めて、いろいろ確かめてみたいんだ」
「‥‥‥‥‥‥‥」一同の顔にそろって、不安の表情が浮かぶ。葉子先生からの反応は全くなかった。疲れ果てて、本当に眠ってしまったのかも知れない。

「心配いらない。これでも人一倍(ひといちばい)用心深いんだ。面倒なことには巻き込まれない自信がある‥‥」ぼくはそう言い置いてみんなに背を向け、さっさと広場に向かって歩き出していった。


ぼくが向かったのは、そう遠い場所ではないのに、雑木林の方からはちょうど死角になって見えなくなっている、芝生広場の少し窪んで低くなっている一帯だ。結局みんなには話さなかったが、そこには芝生のあちらこちらを真っ赤な血に染めて、バラバラになった風太郎先生の無残な遺体が転がっている。他にも様々な物が散乱していて、確か風太郎先生のデイパックも落ちていたはずだ。
ぼくは背を向けて来たみんなの目線が届くうちは、その場所まで迂回(うかい)ぎみにわざとのんびりと歩いた。彼らに気取(けど)られて『そこ』が見つかりでもしたら、たちまちパニックを引き起こしてしまうのは目に見えている。
「まさに‥ 地獄絵図だったからな‥‥」と、独り言を言ったが‥‥‥、その声が震えていたのが自分でも判った。

次回へ続く