悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (68)

第二夜〇仮面 その十二

「自分探しの旅」と言うものがあるのなら‥‥‥、私にとって今回の修学旅行はその逆で、「自分を見失う旅」となってしまった。
このままでは自由行動を終えて、しれっと集合場所に戻る事など到底考えられない。
「‥‥‥戻ったところでみんなを認識できない‥‥‥‥。みんなに会えはしないんだ‥‥‥‥‥‥」
道路に膝をついていた私は、まるで腰が抜けた様に力が入らなくなり、頽(くずお)れて尻を落とし、両手をだらりと投げ出した。

夕暮れにはまだ早い。澄んだ青い空には在り来たりの雲が浮かんでいるだけで、時々出くわして足を止めてしまう、何か暗示めいたものを感じさせる色彩や形状を持った雲では無かった。道路には相変わらず観光客の姿は見当たらないし、両側に並ぶお店にも一切の人の出入りは無い。「まるでこの世の終わりを予感させる雲」が空を覆っていたり、「旅の恥は搔き捨て」みたいな騒がしい観光客達が行きかっていた方がまだ気が紛れていたかも知れない。
今‥この世界には、私しかいない‥‥‥そう感じた。
私が道路に座り込んだままここで朽ち果てても、永遠に何の騒ぎにもならないだろう‥‥‥そんな気がした。
私はやっぱり‥‥今も‥独りぼっちだったんだ‥‥‥‥‥‥

小学校の頃‥‥誰とも上手くやれず、どのグループにも入れなかった私。気がつくと教室の片隅の机に一人ポツンと座っていた。
除け者にされているとは考えなかったし、惨(みじ)めだとも思わなかった。ただ、こうやって人は仕分けされ、それが常態化して、覆(くつがえ)しようのない序列が定着していくのが世の中の現実なんだとぼんやりと考え、それがひどく寂しく悲しい事だと思った。同級生達は序列が出来上がると、自分より上の人間の数には目をつぶり、下にいる者の数だけを至極(しごく)丁寧(ていねい)に数えていた。
そんな日常の中でも私は、何の手立ても講じずただ現状に甘んじていたのだが、気がつくとだんだんと卑屈になっていく自分がいて、その事にイライラする様になり、やがて少しずつ腹が立ってきて、自分の有り様(よう)自体が虫唾(むしず)が走るほど許せなくなった。
中学に上がる時、過去の自分を捨て去る良い機会が来たと思った。これを転機にして生まれ変わるのだと心に誓った。精一杯自分を鼓舞(こぶ)し、新生活に乗り込んだのだ。
結果は惨敗だった。身体に染み付いた空気は早々容易(たやす)く拭い去れるものではなかった。それに小学校の頃の私を知る子達が数人まわりにいただけで、かつての序列が伝染する様に継続されてしまった。
しかし、生まれ変わる方法を模索する事はできた。収穫があったのは学力だ。前向きに勉学にも励んだおかげで良い成績を取った。それだけで一目(いちもく)置く人間が現れた。序列にも当然変化が生じた。
そして高校進学。成績をどんどん上げていく事で少しでも上のランクの高校合格を目指し、それを果たした。小学生の自分を知る人間は消えていた。過去の自分を完全に捨て去り、新しい自分をデビューさせる時がついにやって来たのだ。
高校生になった私は、成績を上げるのに努力が必要であった様に、友達を作るのにもやはり努力が不可欠に違いないと固く信じ、実行に移した。
相手と同じ方を向き、同じものを見、同じ言語を話し、同じ空気を吸った。時には気持ちを押し殺し、演技して、作り笑いを浮かべるどころか、泣きまねをする事もあった。それらの努力がやっと実を結びかけて来たと感じたのは「噓から出た実(まこと)」、演技では無しに本気で笑ったり泣いたりできる様になった時だった。
私はもはや独りでは無く人と人との中にいる。私は「友達」と呼べるみんなと今、同じ時間と空間を共有しているのだと‥‥‥‥‥。

しかし‥‥‥その成果がすべてここで‥‥失われた‥‥‥‥。
私は脱力して道路にへたり込んだまま、いつまでも虚空を見ていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (67)

第二夜〇仮面 その十一

「‥・私は楽などしていません。一生懸命生きているだけです‥‥‥‥‥」
私は、漸(ようや)くそれだけの言葉を絞り出した。
涙は止まっていた。一滴たりとも、もう込み上げては来なかった。私の心を占める感情が、さっきまでのみんなにもう会えないと言う単純で分かり易い悲しみから、複雑でかなり深刻な痛みに変貌してしまっている事に気がついた。何故か頭の中には小学校の頃の、誰とも馴染めず教室で一人でいる自分の姿がぼんやりと浮かんでいる‥‥‥‥。

店の中に流れている音楽がいくつかの楽曲を経て、いつの間にかショパンの「別れの曲」に変わっていた。
そのピアノの旋律に抗(あらが)う事のない絶妙のタイミングを見計らって、私を気遣う様に、おじいさんが語りかけてきた。
「‥・以上の推論が、現時点であなたにお話しできる全てです。あなたには結果的に辛い思いをさせてしまったかも知れない‥‥。しかし落ち着いて考えてみて下さい。今回この地でもたらされた変化は、これからのあなたがより理想的な生き方を見い出していく為の試金石(しきんせき)となるものではないでしょうか?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」私は何の言葉も返せない。ただ顔を上げて、虚ろな目でおじいさんを見ているだけだった。
「気休めを言ったつもりではないのですが‥‥‥すみません、謝ります。あなたにとっては大きな試練となるのかも知れないのですね‥‥・」おじいさんはそう言って、謝罪の意を示す様に丸眼鏡の奥の両目を静かに閉じた。

相談は終わった。それが好むと好まざるとに関わらず、おじいさんからの信頼できる情報は得られたわけだ。
私は椅子からゆらりと立ち上がり、おじいさんに深く頭を下げた。「ありがとうございました」とお礼の言葉を発したつもりだが、無言だったかも知れない‥‥。
机の上に置いてあったみんなの顔を回収してリュックに入れ、再び頭を下げておじいさんに背を向ける。覚束(おぼつか)ない足取りで出口に向かった。
遠ざかる途中、背を向けていたはずのおじいさんが、まるでその役目を終えたとでも言う様に店の奥の薄暗がりに溶けて消えていくのが見えた‥‥‥‥‥

 
どれ位の間‥店にいたのだろう?
私は骨董屋を出て立ち止まり、スマホを手に取った。もちろん時刻を確認するためだったが、この期に及んでもまだみんなから、何らかの通信が入っていやしないかと言う微かな期待もあったのだ。
しかしその期待は見事に打ち砕かれた。履歴どころか、時計さえ見る事が出来なくなっていた。ディスプレイに表示されるはずの文字や数字、並んでいるはずのアプリの絵まですべてが文字化けしたみたいに(いや、もっとそれ以上の状態だ)、判読判別不能になっていたのだ。
「ああ‥‥‥」私は絶望の呻(うめ)きを漏らした。おじいさんの指摘した「友達を認識で出来なくなった」とはまさにこんな事までを言うのだと、そしてその状況は刻々とわが身に降りかかってくるのだと痛烈に実感した。
全身から力が抜けていき、ガクリと膝をついていた。

みんなが‥‥、私の大切なたった一つの居場所が‥‥‥、私にそっぽを向いた。
一生懸命作って来たのに、育てて来たのに‥‥‥‥‥、また爪弾(つまはじ)きの独りぼっちだ‥‥‥‥‥‥
頭の中にまた、小学校の教室で一人でいる自分の姿が浮かんだ。

「間違っていたんだ。取り繕ってばかりいたから‥‥‥‥」
「間違っていたんだ。生きる方法自体が‥‥‥‥」
「全部自分のせいじゃ‥ないか‥‥‥‥‥‥‥‥」
どこからか、そんな声が聞こえて来た。

次回へ続く