悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (106)

第三夜〇流星群の夜 その二十

満天の星空。
遥かな星々のきらめきを、時を忘れ望む‥‥二人きりの丘。
そこは確かにその夜、地球の頂上であった。
僕と彼女は間違いなく、広大な宇宙と、その丘から繋(つな)がっていた‥‥‥‥‥‥

星と星とを結び、星座を紡(つむ)いでいく様な久しぶりの彼女との会話は、いつしか途切れがちになり‥‥、やがて深い沈黙が支配し始めた。
それは予期していた事であった。彼女はもうほとんど、動かなくなっていた。
僕は彼女の背中越しに二の腕あたりに手を回していて、彼女は僕の肩に頭をもたせかけていた。僕の頭も自然に彼女の方に傾き、彼女の頭髪の感触を僕の右頬(ほお)が受け止めていた。
このままで‥‥‥、ずっとこのままでいようと思った。彼女と一緒に、彼女と寄り添ったこのまま、時を止めるのだ。覚悟はできていた。

彼女から聞いた、「謎の病によって石の様に硬くなる事が決して死を意味するものではなく、発病したとされる人間は、周りの世界との時間の流れ方に差異が生じていき、結果時間が止まってしまった状態になったものだ」と言う彼女の父親の考えは痛く腑に落ちて、僕の心を随分と落ち着かせてくれていた。
死によって滅び朽(く)ちていく事と時間が止まる事との間には、天と地ほどの差がある様に思われた。
ただ‥‥、問題なのはこの謎の病が世界を席巻していった理由である。彼女の父はこうも言った。「石の様に硬くなった人々は、人類全滅を回避する為の『時間の流れ方の違う蛹(さなぎ)』ではあるまいか?近い将来、人類にとって全滅の可能性のある一大事が地球に起ころうとしている‥‥‥‥」と。
『よく当たる占い師の様だった』彼女の父の予感が的中しているのなら、一体全体この地球に何が起こると言うのだろうか?‥‥‥‥‥

ふと見上げた頭上の星座が、ゆっくりではあるが、移動していくのがはっきりと見て取れた。北極星を中心に一時間に15度ずつ反時計回りに移動していく天球の動きが、加速した様に見え出したのだ。つまりは、自分の時間の流れが遅くなってきていると言う事。僕の時が止まり、動けなくなるのも、どうやらもうすぐみたいだ。そして当然だが、結局僕にはもうこの先地球に何が起こるのか、知る事はできなくなるのだ。

星々の輝く‥・いくつもの星座を貼りつけた天球が、見る見るうちに回転して行く。僕はその様子に心を奪われ、すっかり見とれていた。
このままでは、あっと言う間に夜明けが来てしまうだろう。

‥‥とその時、ある考えが僕の脳裏に閃(ひらめ)いた‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (105)

第三夜〇流星群の夜 その十九

世界の主(おも)だった国々が協力を惜しまなかった『ジェイコブズラダー(ヤコブの梯子)』と呼ばれる『軌道エレベーター計画』は、発表の当初から今に至るまで滞(とどこお)る事なく着実に進行し、その進捗(しんちょく)状況は公式な発表として、包み隠さず逐一(ちくいち)報告されていた。
‥‥いや、されていると‥‥‥‥‥‥思われていた。

しかし、『人の口に戸は立てられぬ』とはよく言ったもの。世はまごうことなき情報化社会である。真偽や源(ソース)は不明だが、インターネット上で様々に呟(つぶや)かれては消えていく(おそらく意図的に削除されていったものであろう)幾多の情報が存在し、それらを丹念(たんねん)に紡(つむ)いでいくと、『軌道エレベーター計画』とは全く異なるもう一つのシナリオが見えてくる事に気づかされた。世界中のほとんどを占める、傍観する立場でしかない人々にとってそれは、『一筋の光明』とは程遠い、むしろ絶望の香りが漂う内容であった。

計画は本来、低コストでの宇宙進出を目指すものであったはずである。ところが、準備段階と称して膨大な予算を掛けて、短期間の内にかつてない数のロケットが宇宙に向けて打ち上げられていた。そしてそのほとんどが、すでに運用されて久しい『国際宇宙ステーション』に向けてである。
『軌道エレベーターの資材と、その建設に必要となる諸々(もろもろ)の機器』と言うのが公式発表の名目であった。『国際宇宙ステーション』は宇宙での計画遂行の拠点として指名されたわけで、作業施設や機材置き場、作業人員の居住スペースなどなど、増設に次ぐ増設を繰り返して行った。
その頃ネット上に流れ、すぐに消えていった書き込みがあって、居住スペースがかなり大掛かりなものになっているとか、宇宙ステーション全体を移動させる為の出力の大きい推進装置が取り付けられたとか‥‥いずれも文末に何故(なぜ)の疑問符が付けられたものであった。各国の首脳や王族、大手企業や資産家らの謎の動きや関わり方、巨額な資金の流れも取り沙汰(ざた)された。そして、頻繁(ひんぱん)に登場する様になったのが『ノアの箱舟』とか、『ノアの箱舟計画』と言う名称である。『箱舟』とはどうやら、『国際宇宙ステーション』を指し示すものらしかった。

『軌道エレベーター計画』はフェイクで、『ノアの箱舟計画』を推し進めるための隠れ蓑(みの)ではあるまいか?
『国際宇宙ステーション』は、選ばれた少数の人間を収容する『ノアの箱舟』になろうとしている?‥‥‥‥‥‥

そう言った考えを導き出す者も少なからずいたはずだ。
だが、『謎の病』がまん延する地球から脱出して宇宙空間に非難するなど、病の正体が依然不明のまま(感染性のものかどうかも分かっていない)であると言うのに、はたして意味があるのかとか、宇宙ステーションで滞在できる期間などたかが知れていて、病が終息するまでそこに避難し続けるのは到底無理であろうなどと、すぐにその考えを取り消してしまった。そして、地球の未来にかかわる別の可能性についてさらに考えを巡らせる事になる。
だったら一体、他にどんな事が考えられるのか‥‥‥‥‥‥・‥‥

「近い将来‥‥、この地球自体に何かが起ころうとしている‥‥‥‥‥のでは‥‥あるまいか?」

次回へ続く