悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (51)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十六

俺が小学生の姿に戻っていたのと呼応するかの様に、委員長の姿もまた、少女へと変貌を遂げていた‥‥・。

「委員長に‥‥‥いったい何をしたんだ?‥‥‥‥」
委員長がただならぬ様子であるのは明らかだ。
「あの子のことなんかほっとけよ。どうでもいいじゃないか」「そうだ、そうだ」「生意気だし」「あの子がいると面白くないよ。もうかかわるなよ」彼ら子供たちが口々に言った。
「‥‥‥‥‥ほっとけない‥よ」俺は彼らに言い返した。「だって、ほっとけない‥・だろう?」次に出た言葉は、自分自身に言い聞かせていた。
たとえ彼女が、俺の感情が拵(こしら)えた存在の委員長だとしても、教壇でへたり込んでうなだれている彼女は、あまりにも愚かだった俺の子供時代が根底から揺さ振られるきっかけとなった原点の場景である様な気が、その時していたのだ。後になればなるほど、どんどん膨らんでいった「後悔」が始まった原点だ。
目の前に立ててある鏡。その鏡に、何かを取り戻したいと願う少年、出来なかった事をやり直したいと願う少年の、素直で切実な表情が映っていた。
俺は、握りしめた両の拳(こぶし)にさらに力を込めた。
「ほっとけるわけ、ないじゃないか!」
彼らの言葉を振り切る様に、俺は教壇に向かって歩き出した。

近づいてみると、委員長は見るも無残な格好であるのが分かった。
ブラウスやスカートはこれでもかという程に裁断されて、辛うじてその切れ端が体にへばり付いている状態。肌は大きく露出して、下着が見えていた。
しかし最も酷かったのは髪の毛である。委員長のトレードマークだった長くてきれいな髪は出鱈目に切り刻まれて、まるで使い古された箒(ほうき)みたいみすぼらしくなっていた。最悪なのは頭の左部分。ごっそりと切り落とされていて、俺はそこに、彼女の左こめかみのやや上に、デジャブみたいに「あの日」とまったく同じものを見る事となった。

直径2センチの白く丸い「はげ」が‥‥‥‥隠しようもなく‥・露出していた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
俺は委員長に近づくこうとする足が止まり、言葉を失った。
予感は当たっていた。まさしく原点ではないか。だったらどうしたらいい?何をやり直せばいい?‥‥‥‥‥‥
しかし俺は足が竦(すく)んだ様に、頭の中も体も竦んでしまい、結局何の良案も持ち得なかった。

「この子、ハゲがあったんだよ」と彼らの一人が言った。
「ハサミで切っている時見つけて、からかったら」「急に涙をポロポロ流し出して‥‥‥‥」
「止まんないんだ」「見てごらん、君の足元‥・」他の彼らが指摘した。
俺は言われた通りに足元を見る。「あ‥‥‥」
足元のすぐ手前に、水たまりが出来ていた。どうやらそれは、今委員長がへたり込んでいる床を中心に広がっていて、半径2メートル程の大きなものになっていた。
「‥こんなに‥‥‥‥泣いたのか‥‥‥‥‥‥」俺は小さな声で言った。急に切なくなって、小さな声しか出なかった。
「泣いてたけど、声は出さないんだ」「そう、涙だけポロポロポロポロ出して、それがやっと止まった頃には‥」「そう、この子の体が小さくなってたんだ」「気味が悪いだろ?」「気味悪いよ」
「変な子‥」「変なの!」「変なヤツ!」

俺は‥‥‥ショックを受けていた。

血まみれなのは心?それとも‥‥‥‥‥‥
委員長の呟きが、俺の脳裏に甦(よみがえ)った。
この涙の水たまりは‥‥‥‥‥‥彼女の心が流した血の‥‥血だまりなのだ‥‥‥‥‥‥
そう思った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (50)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十五

はたして‥‥どれくらいの時間が経過していたのだろう‥‥‥‥‥‥
視界に入るものの輪郭と色彩が徐々に戻り始め、今自分の居る場所と自分の置かれている状況が認識できる程になった時‥‥マイム・マイムの音楽放送が止んでいるのに気がついた。

俺は生きていた。
さらに、信じられない事に‥‥全身の痛みが消えている。
よ‥良かった‥‥‥助かったんだ‥‥‥‥‥‥
いや‥‥待てよ?もしかしたら死んだのに‥それが分かっていないだけかも知れないじゃないか‥‥‥‥そう考えた時、背後から声が聞こえた。
「これですっかり、もとに戻ったよ‥」

「もとに‥・戻った?」俺は振り向いた。
彼ら子供たちが少しの距離を置いて、全員で俺を見ていた。そして俺が振り向く事を待っていたかの様に、すぐにその内の数人が動き出した。細長い板状のものをそれぞれ二人がかりで抱えてこちらにやって来て、俺のまわりの前後左右に四枚、等間隔にそれを据(す)えた。
据えられたのは鏡であった。校内のあちこちに姿見(すがたみ)として掛かっていたものを持ち出して来たのだろう、鏡の中には椅子に腰かけたままの俺の全身がすっぽりと映し出されていた。
「‥え??」

俺は自分の目を疑った。思わず椅子から腰を浮かせ、正面に据えられていた一枚にふらふらと近づいていった。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
確かに戻っていた。顔や体には傷一つ見当たらない。しかし、「戻った」の本当の意味はそれではなかったのだ。
鏡に映っていたのは少年。信じられないといった表情でこちらを向いている、見覚えのある小学生の頃の俺の姿だったのだ。
「俺はいったい‥‥どうなったんだ?」
「こんなものを身につけていたから、虫に食われたんだ」彼らの一人がそう言って、粘土でできた例の巨大排せつ物のオブジェの側を指差した。
そこにあったのは無造作に床に積み上げられた肉片。おそらく俺の全身から削ぎ落とされた皮と肉。赤い血にまみれ、黄色い脂肪でてらてら光ったそれらにはまだたくさんの虫たちが食らいついたままになっていて、もはやはっきりとした虫としての特徴を有していない大小様々な黒い異形たちが今もなお、かつて俺の一部だったものを攻撃し続けていた。
「‥こんなものを身につけていたから‥‥‥‥‥」俺は呟いた。そして、その言葉の意味を推し量った。

俺が小学生に戻ったのなら‥‥‥‥削ぎ落とされた血肉は、つまりは成長して今に至るまで俺が少しずつ身につけ、身につける事によって縛られていった(彼ら子供たちにとっても一番気に入らないものでもあろう)知識や常識 良識の類(たぐい)だとでも言うのだろうか‥‥‥‥‥‥。
否、違う。委員長との事だ。虫が関わっているんだ、そうに決まっているではないか。
思い当たるんだ。鏡に映る自分の姿が、表情が、教えてくれている。
あの日‥・だ。あの日から始まった事‥‥だ。あの小学六年生の夏休みが終わって最初の登校日だ。あの日あの場所でヘアバンドを外した委員長の頭にハゲを見つけ、彼女を笑い者にしたあの時から始まり‥‥‥そしてそれ以降、忘れるどころか年々大きくなっていった感情‥‥‥‥‥‥‥

「後悔‥‥・」
俺は鏡の前に跪(ひざまず)いた。

後悔だ。
きっと削ぎ落とされた血肉は‥‥俺の今まで纏(まと)ってきた、纏い続けてきた「後悔」で出来ているんだ。
後悔が、やがて裁きを求め、罰として虫の苦痛を連れて来たんだ‥‥‥‥‥‥‥。

「この顔が‥‥‥後悔が始まったあの日の顔かも‥・知れないな」そう言って俺は、鏡の中の自分の顔に静かに手を置いた。

 
「はっ」俺は我に返って息を飲み込んだ。
突然、委員長を見た最後の光景を思い出したのだ。
「委員長!」俺は叫んでいた。
「委員長はどうなった⁉」そう叫んで、彼女が立っていた教壇を見た。

教壇には‥‥‥‥‥‥
少女がいた。
放心した様子で、床にへたり込んで俯(うつむ)いている。
どう見ても、小学生にしか見えない華奢(きゃしゃ)な身体つきの少女であった‥‥‥‥‥。

「‥・委員長」
俺には分かった。彼女は、あの時の委員長だった。

次回へ続く