悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (129)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十六

「人を無理やり巻き込んでおいて‥‥おまえ一体何を企んでる?」とモリオが、ぼくの耳元に口を寄せて小声で言った。

ぼくとモリオと‥ツジウラ ソノの三人は、舗装道路の上にいた。芝生広場の北側に位置する駐車場からフィールドアスレチック施設の跡地を貫く様にさらに北へと伸びて、数キロ先の国道につながっている片側一車線の道路である。教頭先生が安全を確認しながら駐車場を出て先頭を行き、それに従う形でぼくたち三人は、路上を10メートル程下ったところに来ていたのだ。

「企んでるって何の事だい?」ぼくも、教頭先生やツジウラ ソノに聞こえない様に小声で返した。
「だっておまえの目的は、巨大迷路の廃墟かも知れないあの‥こんもりした場所の探検だっただろう?」やはりここからでも遥か左手前方に確認できる『こんもりした緑の小山』をぼくに目配(めくば)せして示しながら、モリオが言った。
「違う、違う。ぼくはただ、水崎先生がどこに行ったのか早く分かればいいなと考えているだけだよ。モリオも水崎先生のファンの一人として、そう思うだろ?」
「‥ふん‥‥もういい」モリオはそう言って呆れ顔をぼくから背け、右手に立てて持っている『虫取り網』の竿(さお)の先の白いネット部分を見上げた。
実はこの虫取り網‥、タスクから無理やり借りたものである。

ぼくが、水崎先生の携帯電話探しを志願した時、葉子先生も教頭先生も危険だからと反対した。
こんな場面で大人を説得するコツをどう言うわけかぼくは心得ていて、『安心の担保』となるものを一つでも提示できれば、それに感心した彼らを、後はなし崩しに説得できると考えた。
ちょうどその時、駐車場近くの芝生の上を、虫取り網を両手に握り締め駆けて行くタスクの姿が目に入った。蝶を捕まえようと彼が振り回している虫捕り網の白いネットが、まるで人魂(ひとだま)が舞うみたいに揺れる。
「そっ、そうだ!」ぼくに、ある閃(ひらめ)きがあった。慌ててタスクを追いかけ、呼び止めた。
交渉の末、渋るタスクから虫取り網を借り受け、すぐに先生たちの前へ戻った。

「携帯電話を探している間、これをぼくたちの目印にしていようと思います」そう言ってぼくは葉子先生と教頭先生の前で、立てた虫取り網を高く掲げた。これから入ろうとしている茂みには高い木も生えてはいたが、ポツンポツンと一本一本が離れていて少なく、大部分を占める草むらでならこの高さがあれば十分目印になる。「これをこうして立てていれば、ぼくたちが今どこにいてどこを探しているのか、遠くからでも一目瞭然です」
葉子先生と教頭先生は案の定(あんのじょう)感心した様に掲げられた虫取り網を眺め、その後少し困った顔をしてお互いを見合った。

というわけで、水崎先生の携帯電話捜索の許可が出た。
葉子先生は駐車場に残って、水崎先生の携帯電話を鳴らすために電話を掛け続ける。ぼくたちは教頭先生の先導の下(もと)、舗装道路を縦(たて)に行き、着信音が聞こえる辺りの茂みにはそこから横に入って探す。見つからなければまた道路に引き返して、また違う場所から横に入る。見つかるまでそれを繰り返すと言う手筈(てはず)になった。

「取りあえず、この辺にいようか‥」舗装道路の上、前を歩いていた教頭先生が振り向いて、ぼくら三人の進行を止めた。そしてここからだと見上げる位置にある駐車場にいて、ずっとこちらの様子を窺っていた葉子先生に向かって手を振った。
「葉子先生、お願いします。電話を掛けてみてください」
ぼくとモリオ、そしてツジウラ ソノの三人は身構えた。すべての音を聞き逃すまいと、茂みに向かって耳を澄ませた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (128)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十五

駐車場の北側から一望できる、今は見る影もないフィールドアスレチック施設の広大な跡地。その放置されたまま荒れるに任せ無造作に生い茂っている草木の中に、ともすれば掻き消えてしまいそうな微かな音ではあったが、奏(かな)でられている旋律が、葉子先生の携帯電話の呼び出しに応えているものであるのは疑いようのない事実であった。
「シューベルトの野ばら‥‥」葉子先生が呟く。「確かに水崎先生の携帯の着メロだわ。何度も聞いたことあるもの‥‥・」
念には念を入れる様に、葉子先生は携帯のボタンを押して発信を止めた。案の定(あんのじょう)、流れていた『野ばら』はピタリと止み、辺りに静寂が訪れた。
そしてしばらく、二人の先生もツジウラ ソノもぼくも、互いの様子を覗うみたいに黙り込んでいた。おそらくそれは、聞こえて来た着メロが『水崎先生の携帯電話の存在』を示しているのは確かだが、必ずしも『水崎先生自体の居所』を教えているものではない事に皆が気づいてしまったからだろう。

「水崎先生はこの茂みのどこかに‥‥、携帯を落としてしまったのかも知れない‥」口を開いたのは教頭先生だった。しかしその発言が酷(ひど)く非現実的なものだと思ったのか、教頭は首をひねりながらこう続けた。「でも‥彼女がこんな草や木の伸び放題の場所にわざわざ入って行った理由が分からない‥‥」
みんなが揃って、目の前に広がるまるでちょっとしたジャングルのような茂みを改めて見下ろした。

何かあった‥‥‥‥。
水崎先生に何かがあった。そう判断するのが妥当かも知れない。しかし、そんな不吉な考えを誰もが、とりわけ教頭先生と葉子先生は認めたくなかったのだろう。ふたたびの沈黙が訪れた。

「おーい、ヒカリ」
その時、ぼくを呼ぶ声がした。見ると、モリオが駐車場に姿を現してこちらに向かって歩いて来ていた。まだ少し寝ぼけまなこで、手にはお弁当を食べた場所に置いて来たぼくのリュックが下げられている。どうやらそれをぼくに届けようと、探しながらここまで来たらしかった。
「モリオ!ちょうどいい所へ来た!」ぼくは彼の呼びかけにそう答えると、すぐに先生たちに向き直り、「携帯電話が落ちているんなら、とにかくそれを探してみましょうよ。もしかしたら水崎先生の居所の手掛かりが何かつかめるかも知れない。今来たモリオくんにも手伝ってもらいますから」と言った。
「賛成。私も手伝います」傍にいたツジウラ ソノが手を上げて賛同した。
「ちよッ、ちょっと待って あなたたち!こんな草木に覆われている広い場所から、小さな物を探し出すのは大変よ」葉子先生が反対した。教頭先生も、「そうだ。もしケガをしたり、迷子にでもなったらどうする」と反対した。
それを聞いてぼくは、首を横に振った。
「携帯電話の着信音は微かだけど、ちゃんと聞こえています。決してそんなに遠い場所にあるわけではないと思います。葉子先生が呼び出しを続けていてくれれば、身軽なぼくたちがその音を辿って行って、すぐにでも見つけ出してみせますよ」
ぼくは自信ありげにそう答えていた。実際は‥何の根拠も有りはしなかったのに‥‥‥‥‥

次回へ続く