悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (131)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十八

着信音が途切れてまた再び鳴り出す、そんな仕切り直しが三回繰り返されていた。

ツジウラ ソノの言葉通り、ぼくたちは着信音が鳴っている時はその音に意識を集中させて、音の聞こえてくる方向にゆっくりと慎重に、出来得る限り雑音を立てない様に茂みの中を進んだ。音が途切れている時は再開するまでの時間を、自分の周囲の草を踏みつけて折ったり、その辺で拾った手ごろな棒を振ってなぎ倒したりしながら、前進するためのスペースを作っておくのに使った。
そうして仕切り直しが五回目を数えた時、ぼくたちは舗装道路から十メートル以上茂みに入り込んだ地点にいた。約束通りに虫捕り網の竿(さお)を高く掲げて、先生たちに今いる場所を示している。

「近い‥‥よな‥」モリオが言った。
「ああ‥‥かなり近い‥」ぼくは答える。明らかにぼくたちは、『水崎先生の携帯電話』のすぐ近くにまで来ていた。
次の着信音が鳴り出したら、かなりの確率で、場所を特定する事ができるだろうと思えた。
「次で‥見つける」
「ああ‥見つけるさ」
そんなモリオとぼくのやり取りを聞いて、「ねえ‥」とツジウラ ソノが提案してきた。
「ここだと思えるところにすごく近づいたら、声は出さずに‥黙って指を差しましょ。三人それぞれが別々に、指を差して知らせるの」
「‥なるほど」モリオが、そしてぼくも、彼女の提案の意図を察した。「もし指差してるところが三人とも同じだったら‥‥・」
「探し物はそこにある」三人が声を揃えていた。次の着信音が聞こえてくるまでの、僅(わず)かな時間でのやり取りだった。

そして、これを最後にしてみせるという決意の『仕切り直し六回目後の音』が、野ばらのメロディーが流れ出した。

集中していた。
モリオも、ツジウラ ソノも、もちろんぼくも‥‥‥‥‥
みんな、スローモーションの様に動き出す。それぞれの間合いが、狭(せば)まっていくのが分かった。

近い‥近いぞ‥‥近い‥‥‥。ぼくは立ち止まり、目をつぶっていた。そして暗闇の中で耳だけを頼りにするみたいに、ゆっくりと右手を上げてその人差し指を、音のする方に向けた。
他の二人が動きを止めた気配を感じた瞬間、指差した手をそのままにそっと目を開いていった。

自分の手と‥‥、ツジウラ ソノの手と‥、モリオの手が見えた。みんな同じ場所を指差していた。
目の前の、実ができる前のヘビイチゴがびっしりと地面に密集している草むらだ。
三人で顔を見合わせ頷いた。探し物はそこにあるのだ!

ガサガサガササッッ
三人同時に屈み込み、ヘビイチゴの葉を搔き分けた。着信音は途切れていたが、もう関係なかった。
「あ!」モリオが声を上げた。そして葉の中からそれをゆっくりと摘まみ上げた。「あった‥ぞ‥‥」
薄いピンク色の、中折れ型の携帯電話だった。折れた状態ではなく、開いていた。
緊張感がとけたモリオは、その場に座り込んだ。「よかった‥」そう呻(うめ)いてツジウラ ソノも座り込んだ。
ぼくは‥‥、葉の中に手を突っ込んだままの姿勢で、固まっていた。今手に触れているものの正体を、知ろうとしていた。
それはふたつあった。最初は二匹の芋虫(いもむし)かと思った。しかし触ってみると硬く、生きてはいなかった。葉と葉の隙間から垣間見えた3センチ前後の長さのそれらは青白い色をしていて、それぞれ片側の先には‥‥、良く手入れされたきれいな爪(つめ)がついていた‥‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (130)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十七

着信音が流れた。それはまるで擦れ合う草木の葉が奏でた、束の間のメロディーの様だった。

童(わらべ)はみたり‥ 野なかの薔薇(ばら)‥‥
ゲーテの詩、日本語訳詞のあの心弾む『野ばら』の歌い出しの部分‥‥‥

駐車場で聞いていた時よりも、音は遥かにはっきりしていた。
近いのだ。音の源(みなもと)は確かに近くにある。
ぼくは左手前方に顔を向けていた。フィールドアスレチック施設跡地を突っ切る様に北へと伸びた舗装道路、その両側に漠(ばく)として広がる草木の茂み。聞こえてくるのは明らかに左側のエリアからだ。ぼくは草葉が乱雑に入り組んだ視界の中を、なんとか十メートル先辺りまで、目線を這(は)わせていった。モリオも、ツジウラ ソノも、そして路上の少し離れた場所にいる教頭先生も、やはりそちらに顔を向けている。
「あっちだ‥」モリオが指差した。ツジウラ ソノが頷いた。
「そうだな‥」ぼくも頷いた。
「行こう」ぼくは二人に、携帯電話探索の開始を告げた。

舗装道路のわきには数メートル置きに反射板のはめ込まれた80センチ程の白いポールが立っていて、それが道路と道路以外との境界を明らかにしている。ぼくたちはポールを横目に、茂みの中へ足を踏み入れていった。
ガサガサガササ‥ザザササパシ‥パチン!
足に絡む草を踏みつけ、丈の高いものは手で掻き分けながら前進した。思ったよりも大きな音がして、そのせいで肝心の着信音が途切れ途切れになって、ちゃんと聞き取れなくなった。
「おい、もっと静かに進んでみようぜ。さもなきゃ着信音が聞こえないよ」立ち止まってそうみんなに声を掛けた。そして三人とも動きを止めた時、本当に着信音が途切れている事に気がついた。
道路から声がした。「君たち!携帯の呼び出し回数が決まっていて、留守番電話に接続されてしまうらしい。今、先生が掛け直してくれているから。何回も掛け直して、できるだけ途切れさせない様にしてもらうから」と教頭先生が、葉子先生の状況を中継してくれた。
やがて再びの着信音が流れ始めた。
早速ぼくとモリオが動き出そうとした時、後ろにいたツジウラ ソノが声を掛けてきた。
「ゆっくり‥‥ゆっくり‥‥進みましょう。できるだけ草の音を立てずに‥進んでみましょう」
ぼくは、ツジウラ ソノが意見を述べた事に少し驚いて振り向いた。彼女は続ける。
「今はただ、音を聞いて、ただ、音に集中して、音がどっちから聞こえて来るか、どっちへ行けば大きくなっていくか、それだけを考えてゆっくり、ゆっくり、着実に、音に向かって近づいて行くの。音が一番近く聞こえる場所にそれは必ずあるのだから‥‥」
「わ‥わかった」とモリオが言った。
まったくもって彼女の言う通りだと、ぼくも頷いた。

ぼくは、ツジウラ ソノが『物事の本質を見抜く力を持っている』と思ったのと同時に、人に対してこう言う感覚の印象を持つ事を、自分が今まで度々(たびたび)体験してきているのを思い出していた。
それは、幼い娘との思い出‥‥‥‥、突然目の前から消えてしまった『ソラ』との‥何気ない日常のやり取り‥だった。

ツジウラ ソノは、ソラに似ている‥‥‥‥‥
改めてそう思った。

次回へ続く