悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (135)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十二

背後に‥‥‥人の立つ気配がした。
舗装道路から茂みを分け入って来たその道筋に、ぼくは今背を向けている。気配の人物はそこを辿って、明らかにぼくの後をつけて来たのだ。

「何か‥‥、ぼくに用が‥あるのかい?」ぼくは背を向けたままで質問した。
しかし、いくら待っても、気配の人物からの返答はなかった。
「いつも君の代わりに喋ってくれる草口ミワは‥一緒に来なかったのか?」そう言いながら、ぼくは目を伏せたままでゆっくりと振り向いた。
そして伏せた目を、目の前にいる人物に向けて上げてみる。やはりそこには予想通り、『高木セナ』が身を竦(すく)める様にして立っていた。

「ずっとぼくを見てただろ? いったい誰だろうと考えたけど、他の事をほったらかしにして長い間ずっと同じものを集中して見ていられるのは、クラスの中では君ぐらいだと思い当たった」
「‥‥‥‥見てたんだけど‥‥‥ 感じてたの‥‥‥‥」高木セナは消え入りそうな声だったが、そこで初めて口を利いた。
「感じてた?」ぼくは首を捻(ひね)った。「何を感じたんだ?このぼくに‥」
「‥‥ヒカリ‥くん‥は、‥‥隠してる‥し‥‥‥、‥初めるつもり‥‥なん‥だって‥‥」
「はあ‥‥‥‥」ぼくは半分呆れて、彼女をちょっと睨(にら)みつけたのかも知れない。
高木セナは竦んだ様に見えていた首を、さらに竦めた。


高木セナ‥‥。彼女との会話は、大体がいつもまどろっこしくて、成立させるのに一(ひと)苦労する。
ぼくが初めて彼女と話した時、ぼくは童謡の『やぎさんゆうびん』の歌詞を思い浮かべたのを憶えている。

白やぎさんから お手紙ついた
黒やぎさんたら 読まずに食べた
しかたがないので お手紙かあいた
さっきの手紙の ご用事なあに

黒やぎさんから お手紙ついた
白やぎさんたら 読まずに食べた
しかたがないので お手紙かあいた
さっきの手紙の ご用事なあに

つまりこの歌詞が示す通り、情報の伝達を試みるものの、いつまでたっても主題に入れず、無意味なやり取りが際限なく続いて行く‥感じがしたのだ。

振り返ってみると、本来の彼女は決して無口ではなかった。
そういう印象が定着してしまったのは、世話を焼きたがる草口ミワらの要らぬお節介のせいで、いつの間にか本人もそれに合わせるみたいに、第三者への伝達を委(ゆだ)ねる様になってしまったのだ。

しかし今にして思えば、ぼくは本来の高木セナとの『やぎさんゆうびん』的な会話が、決して嫌いではなかったのかも知れない。むしろその時の彼女の印象は心のどこかに深く刻まれ、十五年後の‥『人生にとって意味のある再会』に繋がって行く‥‥‥‥‥

そんな事、今はどうでもいい。ぼくは急いでいる。少しでも時間を無駄にしたくないのだ。
「ぼくに用があってここまでつけて来たのなら、その用件をはっきり言ってくれ」ぼくは高木セナをこれ以上萎縮(いしゅく)させない様に、できる限り優しさを装(よそお)って言った。
高木セナは目線をあちらこちらに動かして躊躇(ちゅうちょ)していたが、しばらくしてこう言った。

「‥人がいっぱい‥‥‥死ぬの?」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (134)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十一

ぼくの自意識過剰から来る勘違いではない。芝生広場には、タスクを誘って『虫のコレクション』を披露している風太郎先生を中心に、人だかりができていた。それを遠巻きに眺める(たぶん虫嫌いの)グループがあって、問題の視線はその人垣に巧みに隠れる様にしながら、真っすぐぼくに向けられていた。
誰が、何の興味でぼくを観察し続けているのか立ち止まって確かめてみたいとは思ったが、時間がもったいなかった。今も駐車場で水崎先生の携帯電話から何らかの手がかりを得ようと躍起(やっき)になっている教頭先生と葉子先生が、すぐにも遠足中止の判断を下さないとも限らない。だからぼくも迅速に行動して目的を果たし、さらには迅速に帰ってきたい。
とにもかくにも、まずは先生たちに感づかれずに駐車場を出るのが先決だ。まごまごしていて彼らに見つかりでもしたら、どこへ行くのかと詰問されて止められるのが落ちだ。ぼくはさり気なさを装いながら、急いだ。駐車場を出て舗装道路に入ってしまえば下り坂になっていて、先生たちの視野から徐々に外れていくはずだ。取りあえずそこまではできる限り目立たない様に、ぼくを見ている『誰か』の存在はどこかに置いといて、急ぐのだ。

「‥よし!」駐車場を後にして十メートル足らず坂を下った道路上で、いきなりギヤチェンジしたみたいにぼくは走り出した。やはり僅かでも、時間を無駄にしたくない。
このまま真っすぐ『こんもりした緑の小山』を目指すのではなく、その前に確かめておきたい事があった。
血である。水崎先生が指二本を切り落とされたと言う推理が正しければ、犯行現場では少なからず血が流れ出たはずだ。携帯電話を捜していた時は、着信音‥つまり音を聞く行為に集中していて、血が飛び散った痕跡などの色の変化には無頓着(むとんちゃく)だった。だからもう一度、水崎先生の携帯電話を発見した場所(つまり二本の指を発見した場所)まで戻って、辺りを隈(くま)なく調べてみたかった。
舗装道路から外れて、左側の茂みに入った。モリオやツジウラ ソノと一緒に三人で入って行った同じ箇所だ。草が折れたり倒れたりして、三次元的な道ができている。その道を辿って、あっと言う間に目的の場所に到着した。

ぼくは、ヘビイチゴの草むらの前に屈み込んだ。そして葉と葉の中に手を突っ込んで、まだ記憶にある辺りを静かに掻き分けてみた。
「‥‥あった‥」確かに指が二本、ヘビイチゴの葉と茎の陰にちゃんと転がっていた。
ぼくはそのうちの一本を摘まむと、目の前まで持っていき、至近距離でつぶさに観察してみた。三人でいた時にはできなかった動作だ。
断面に注目する。よく切れる刃物で瞬間的に切断されたのか、きれいである。肉は紫色に変色していて骨らしきものを包み込み、おそらく血液であろう、くすみかけた赤から黒へのグラデーション状の色彩のものが汚く付着していた。
「そうか‥‥。流れ出た血は乾燥したり固まったりするから、時間が経てば経つほど、どんどん変色してしまうんだ」
ぼくは認識を改めた。血の流れた痕跡を見つけるには、鮮やかな赤を捜していてはダメだ。たぶんくすんだ、黒っぽい色を念頭に置いて捜すべきだと。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぼくは精一杯目を凝らし、ヘビイチゴの草むらから全方向の周囲に向けてゆっくりと視線を這わせていった。
「ん??」そして数分後、葉がまばらになった辺りの地面に飛び散った状態で染み込んだ、どす黒いシミを発見した。

パキッッ‥
その時ぼくの背後で、落ちた小枝を踏む微かな音がした。

次回へ続く