悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (137)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十四

高木セナの『夢の話』を聞いても、ぼくは別段驚きもしなければ動揺もしなかった。話の内容が、いつもの彼女のそれより随分と抽象的で分かりづらかったせいかも知れない。
「ぼくは‥‥おとなになっても、バスは運転しないと思うよ‥‥」そんな言葉がつい口を衝いて出た。

彼女の見た夢の内容はともかくとして、彼女が最初に口にした『ヒカリくんは何かを隠してる‥』という指摘は当たっていた。それには正直に答えようと思った。
ぼくは、拾い上げたままでまだ手の中にあった例の『指』を、手を広げて高木セナの目の前に差し出した。「確かにみんなに隠していた事はある。これが何だか分かるかい?」
竦(すく)めていた首を伸ばし、高木セナはそれを凝視した。
「‥‥‥‥ゆ‥び?」消え入りそうな声で彼女は答える。びっくりして叫びだしたり目を背けたりすることはなく、身動(みじろ)ぎひとつしないそんな高木セナの反応は、ぼくの予想通りだった。
「驚かないのかい?‥‥やっぱり君は変わってるよ」ぼくは常(つね)日頃から、彼女が他の子たちとは全く異質の感性を備え持っていると考えてきた。そして、間違いなくそれがぼくの、彼女に対する最大の興味だった。
「驚いてるよ、驚いてるよ、‥‥‥驚いてる‥」彼女の瞳の大きな両目が、ゆらゆらと揺れた。
「この指は、足元の草むらの中で見つけたんだけど‥‥、十中八九、水崎先生の手から切り落とされたものだ。ぼくはその事を先生にも、モリオやツジウラ ソノにも、誰にも言わなかった」
「どうして?‥どうして?」
「みんなに言って騒ぎになったら、遠足がたちまち中止になってしまう。それが嫌だった‥‥」
高木セナがぼくを不思議そうに見た。明らかにぼくの説明に納得した様子ではない。そして、「もう‥‥人が、水崎先生が‥死んでいる‥‥のに?」と、ぎりぎり聞き取れる擦(かす)れた様な声で言った。

「死んでるかどうかなんてまだ分からないさ!水崎先生がどうなって今どこにいるか、それをこれから確かめようとしていたんじゃないか!」思わず語気が荒くなった。ぼくは苛立っていたのだ。
「時間がないんだ!君はもう芝生広場に戻りなさい」今までで一番身を竦めた状態になった高木セナに、ぼくは言い放った。

怖ず怖ずと後退(ずさ)りして行く高木セナ。そんな彼女に向かってぼくは、注意喚起の意味を込めてこう付け加えた。
「水崎先生の指を切り落とした何者かの存在を忘れてはいけない。そいつは確かに存在していて、今もその辺の茂みの中に潜んでるかも知れないんだ。‥ちなみに‥‥林の道で君の腕に傷を負わせた犯人も、同じヤツだとぼくは考えてる」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (136)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十三

「一体‥‥何を言ってるんだ?」
高木セナの途方もない言葉に、ぼくは呆れた。だから、こう続けた。「夢でも見てるのか?」と‥‥。

「うん‥。お弁当食べた後‥夢を見たの」と高木セナは答えた。『やぎさんゆうびん』ではなく、会話が見事に成立した。
ぼくは沈黙してしまった。そして、いつかも同じ様な言葉を聞いた覚えがあると思った。
確か‥小学一年生の秋だったか‥‥。ぼくはその時も高木セナと同じクラスだったのだが、授業中に彼女が突然、教壇に立つ教師に向かってこう言った。「夢を見たよ‥先生」
「どうしたの?高木さん。居眠りして寝ぼけてるの?」教師は呆れ顔で高木セナを見た。
しかし彼女は眠っていたわけではない。後ろから見ていたぼくが保証する。それに後々彼女から聞き出した言葉から推察すると、彼女が見たと言っている『夢』とは、どうも『彼女自身の頭の中に突然浮かんできた映像』の様なものらしい。

「おじいさんが飛んでった。女の子も飛んでった。エプロンのおばさんも飛んでった。みんなどうなっちゃうの?」
「高木さん、やっぱり寝ぼけてるのね。誰も飛んでったりしないわよ。目を覚ましてちょうだい」
教室中が爆笑につつまれた。

学校から帰ってから知った事だが、町の商店街で人身事故があったらしかった。暴走した車が通りすがりの老人と幼女を跳ね飛ばし、女性店員を巻き込みながら店に突っ込んで止まった。三名が死傷する結果となった痛ましい事故だった。
「ヒカリも気をつけるのよ」と母親からその話を聞かされ、ぼくはすぐに『高木セナの戯言(たわごと)』を思い出した。そして何時(いつ)起きたのかと母に尋ねてみて、背筋が寒くなった。事故が発生したのは、教室で高木セナが「夢を見た」と言い出したのとほぼ同時刻。いや正確には、その一時間ほど後だったのである。
これは、単なる偶然の符合(ふごう)に過ぎないのか‥‥、それとも‥‥‥‥‥
「よ‥げん?」
高木セナは未来に起きる事を夢に見て、言い当てたのだろうか?

「お星さまは今までのこと‥、お日さまはこれからのこと‥を夢で見せてくれるの」やはり後々、高木セナはそんなふうに言った。つまり、夜見る夢は過去の出来事を、昼見る夢は未来の出来事を映し出してくれるという意味らしい。

「一体どんな‥‥夢を‥見たんだ?」
ぼくは高木セナのそんな能力を完全に信じているわけではなかったが、聞かないわけにはいかなかった。
夢を思い出しているのか、高木セナはしばらく黙っていたが、ぼくの目の色を窺(うかが)いながら恐る恐る語り出した。
「‥‥みんなを迎えに来た‥‥帰りのバスの中だった。でも‥誰も乗ってないの。運転手さんしかいないの。座席には‥リュックとか水筒とか‥帽子は置いてあるんだけど誰もいない。そのリュックや帽子をよく見てみると、赤いもので汚れていて‥‥さっきから床が滑るのでそっちもよくよく見てみると、一面が真っ赤に染まっているの」夢の映像をなぞる様にそこまで言って高木セナは言葉を切り、ゴクリと大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
「私‥‥運転手さん大変ですって声を出した。みんながいません、床が血でいっぱいですって‥。でも運転手さんは何も言わないし何もしてくれない。私、運転手さんに止めてくださいって詰め寄った。その時ちゃんと運転手さんの顔を‥見たら‥‥‥‥‥‥」彼女が言いよどむ。
「顔を見たら?」ぼくは催促する様に相づちを入れた。

「運転手さんの顔が‥‥‥、すっかり大人になった‥ヒカリくんの顔‥をしてた」

次回へ続く