悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (139)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十六

ぼくは作業を続けた。
雑念を振り払い、考えついた手順の作業を黙々と続けて、水崎先生の行方を突き止める事こそ今の自分にできる最善の時間の使い方だと心に言い聞かせていた。

切断された指が落ちていた場所‥起点『A』から、『B』『C』『D』と、流れ落ちた血や倒れたり擦れたりしている草などの痕跡を発見しつつ、辛うじてそれらを繋(つな)いで、『J』まで辿る事に成功していた。繋いできた線は決して真っすぐではなく、蛇行したり大きな回り込みをしながら、出鱈目(でたらめ)に茂みの中を彷徨(さまよ)っていたが、それでもなんとか、起点『A』から二十メートル以上茂みの奥へ、おそらく北西の方向へと移動して来たはずだ。
しかし、この作業がいつまで続くのか見当がつかない状況に、正直心が折れそうになっていた。

「ふぅ‥‥」ぼくは、天を仰いだ。
あれだけ清々(すがすが)しかった青空に、いつの間にか厚い雲が垂れ込め始めていた。春の陽射しを受けた草花の眩(まばゆ)い輝きが、見渡した視界の端の辺りから徐々に奪われて行こうとしていた。
「お天気まで‥‥時間が無いとぼくを急(せ)かしてるみたいだ‥」そんな言葉を呟いて、ぼくは作業を再開した。日が陰ってしまうと、ますます痕跡を見つけにくくなるだろう‥‥‥‥‥

「キッッ-キ-キャァァァ-ァァ---ァ-」
「ん??」ぼくは動きを止め、耳をそばだてた。
突然、風に乗って、おそらく芝生広場の方から、交錯する幾つもの叫び声が聞こえてきたのだ。
「悲鳴?‥歓声か?」女の子の黄色い声であることは間違いない。芝生広場に目をやるとその辺りはすでに日陰に飲み込まれていて、ここからは見上げる位置にあるのではっきりと確認はできないが、随分と大勢があちこちを賑やかに走り回っている気配がしていた。
「ははあ、そうか!」ぼくは想像力を働かせ、すぐに納得した。菜の花畑の時みたいに、タキやアラタたちがまた鬼ごっこでも始めたのだ。どうやら今度は女子たちも誘って、大勢ではしゃいでいるらしい。女子が参加すると、男どもというのは弥(いや)が上にも気合いがはいるもので、いつもより高いモチベーションで女子たちを追いかけまわすタキやアラタたちのお道化た姿が目に浮かんだ。
「まあ‥さっき見かけた時みたいに、こんな大自然を満喫できる場所に来てまで芝生の上にトレーディングカードを広げてゲームに興じている小学生よりは、遥かに真面(まとも)で健全だ‥‥」
そんな下らない事を言っている間に、ぼくの今いる茂みも、見る見る日陰に飲み込まれていった。

「‥え?」
日陰の領域が伸びて行くのを目で追っていて、その先のまだ日なたの領域に、明らかに周辺から浮き上がって見えるこんもりとした場所‥があるのに気がついた。それは、例の巨大迷路の廃墟だと見当をつけていた『こんもりした緑の小山』であった。自分でも知らぬ間に、こんな手の届きそうな距離まで接近していたのだ。
「そうか‥‥。赤い花の存在を確かめる目的もあったんだっけ‥‥‥」

ぼくは当面の予定を急きょ変更し、赤い花の存在を確かめるべく、『こんもりした緑の小山』へと足を向けた‥‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (138)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十五

高木セナが姿を消した後、ぼくはその場に佇み‥‥後悔していた。

時間がないと考えながらの彼女とのやり取りに、ついイライラしてしまったのだ。彼女に注意を促すためとは言え、あんな嫌な言い方をする事はなかった。

『ソラの葬儀』の日‥‥‥。祭壇には約束の花で飾られた小さな棺(ひつぎ)と、愛しい笑みを浮かべた幼い遺影があった。
そして‥‥、列席者の一人となった『大人になったセナ』の姿を‥はっきりと思い出していた。
一切の感情を喪失した抜け殻の様な彼女は辛うじて前方に目を向け‥、子供の頃と変わらぬその大きな瞳にただ‥虚(うつ)ろを映していた。

そんなセナを見て、あの時ぼくは誓ったはずではないか‥‥‥‥‥‥‥


「‥‥すまない‥」飲み込めずに小さく言葉が漏れた。
持っていた『水崎先生の指』が手をすり抜け、ポトリと足元の草むらに落ちた。

「ダメだ。時間がないんだ」ぼくは頭の中にある全ての記憶を追い払う様に、大きく首を左右に振った。屈み込んで、落とした指を拾い上げ、ついでに残りのもう一本も回収して、二本一緒にズボンのポケットへと仕舞い込んだ。「水崎先生が無事ならこの指だって、後でくっつけることができるかも知れない‥‥」
とにかく一刻も早く、流れ出た血の跡を辿って水崎先生の居所を突き止めるのだ。

ぼくは腰を落とし、指を発見した草むらの二、三メートル周囲の地面や下草、茂った葉っぱの表面などを隈なく、目を皿のようにして観察していった。一人の大人の体が、血を流しながら移動したのだ。見落とさなければ必ずその痕跡を見つけ出せるはずだ。

「‥ん?‥‥‥‥」
僅かに草がよじれて、裏返った場所があった。おまけに小さな水玉状の赤黒いシミまである。痕跡に間違いなさそうである。
ここを取っ掛かりにして、移動していった方向を特定できないだろうか? 例えば、指を発見した場所を『A』として、今痕跡を見つけた地点を『B』とする。『A』と『B』を直線で結んで、多少の誤差角度を考慮しつつその延長線上に新たな痕跡が存在したなら、大まかな移動方向の特定が可能なはずだ。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
しかし物事はそう思い通りには運ばなかった。『C』となるはずの次の地点が、なかなか見つけられなかった。
時間がないという焦りが、再び甦(よみがえ)って来た。‥とその時、焦る気持ちと同時になぜか『携帯電話をかける教頭先生の姿』が頭の中に浮かんできた。
「待ってください、教頭先生!遠足中止の決断はもう少し先に‥‥‥」独り言が出た。

そうなのだ。全ての判断を下すのは、この遠足での一番の責任者である教頭先生なのだ。彼が、遠足存続か中止かの鍵を握っている。

「‥教頭先生が‥‥いなくなればいいのに‥‥‥‥‥」 イライラ混じりにぼくは、そんな言葉を呟(つぶや)いていた。

次回へ続く