悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (145)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その三十

図らずも‥‥『赤い花』の存在を確かめ、水崎先生の行方を突き止めると言う二つの目的を、同時に果たす事となってしまった。それも最悪の結果を目の前に突きつけられて‥‥だ。
もはやこの遠足をできるだけ長引かせ、自分なりに楽しんでいられる状況ではなくなったのだ。

ぼくは口を真一文字(まいちもんじ)に結んで息を殺し、拳(こぶし)にした両手に力を入れたまま、音を立てないよう細心の注意を払って後退りを続けた。視線はもちろん、先生二人の『赤い花の死体』がぶら下がった巨大迷路北側の外壁(そとかべ)にずっと向けたままで‥‥‥‥‥‥
やっと二十メートルほど離れた地点まで来て、壁から十分な距離が取れたと判断すると、即座(そくざ)に踵(きびす)を返して駆け出した。一刻も早く、芝生広場の現状を確かめる必要があった。
元来た道筋をうろうろと辿ろうとは思わない。多少茂みが厚かろうが深かろうが、ここは舗装道路までの最短距離を一直線に一気に突っ切ってしまい、道路に出てから全力疾走で駐車場まで戻った方が、早く着く為には理にかなっている。ぼくは草を搔き分け、大股(おおまた)で真っすぐに進んで行った。
バサバサバササササーー どすん!
草に足を取られて見事に転倒した。すぐ起き上がろうと手をついて体をひねった時、背にして大分遠ざかっていた巨大迷路の外壁が再度視界に入った。

「えっ!」
思わず二度見してしまった。自分の目を疑った。
いつの間にか壁の『赤い花』が二つ増えて、四つになっていたのだ。

予見していた事とは言え、早速の進展に背筋が凍りつく思いがした。冷や汗が出た。
ぼくは首を突き出し、小さくなった壁を精一杯凝視し、次の二つの『赤い花』が一体誰なのか見極めようとした。
「‥‥‥無理か‥」判別できない。かと言って、また引き返すわけにもいかない。しかしその大きさから、子供でないのは確かだ。「大人二人‥‥それも一人は女性?」頭に浮かんできたのは、葉子先生と風太郎先生の顔だった。

ぼくは首を振り、あらゆる想像を取り消した。今あれこれ考えて気を揉(も)むより、とにかく芝生広場へ戻るのだ。戻れば全てがはっきりするはずだ。
そう心に言い聞かせて壁から目を背(そむ)け、ぼくは起き上がった。そしてふたたび舗装道路を目指し、足を動かし始めた。

右に左によろけながらも、絡みつく草を懸命に振り払って歩を進めた。さらに二度ほど転倒はしたが、それでも何とか最短距離を踏破(とうは)し、舗装道路に辿り着いた。
「フウゥッッ」
すっかり厚い雲に覆われてしまった空を仰ぎ、一つ大きく息を吐いた。それ以上の息を整える間を惜しんで、駐車場目指して走り出そうとした時、道路を挟んだ向こう側の茂みの中に大きな白いものが見えた。
「‥くる・ま?」車だ。白い軽自動車が、舗装道路を逸れて茂みの中に突っ込んで、ほとんど横倒しの状態になっている。フロント部分が芝生広場の方を向いているから、国道からこの支道に入って来て、おそらくここで事故を起こしたものらしい。ぼくは回り込むようにして、確かめに行った。
車の中には誰もいなかった。だが、散乱したファストフードの容器や紙コップなどと一緒に、少なからぬ量の血が飛散し、車内のそこら中を赤く汚していた。

「もう‥‥たくさんだ‥‥‥」そう呟いて、ぼくは車から離れた。
何かが途轍(とてつ)もない速さで進行している、そんな気がした。
ぼくは駐車場目指し、芝生広場目指して、全力で走り出した。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (144)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十九

「わらべ‥‥てなあに?」
「童(わらべ)は古い言葉で、子供のことだよ」
「こどもだったら、ソラみたいな?」
「そうだね。でもここに出て来るのは、男の子かなぁ。男の子が、野原に咲いていたバラの花に心惹(こころひ)かれる歌なんだ」
「こころひかれる?」
「そう。すてきだなって思って、お花に恋をしてしまったのかも知れない‥‥‥」
「ふ‥うん‥‥‥‥」
「ソラにはまだ、ちょっと難しい歌かもしれないねぇ」
「ううん。ソラ、このおうた、すきみたい。きにいっちゃった‥‥‥‥‥」


ぼくは‥‥自分の目を疑わざるを得なかった。
出現した更なるその光景。すでに腹を裂かれて逆さまに吊るされていた水崎先生の隣に、同様に腹を裂かれて吊るされた教頭先生の変わり果てた姿‥‥‥‥‥‥‥

流れ出て体全体を染め上げている血は、まだ乾ききってはいない。水崎先生のそれよりはるかに新鮮なのが分かる。逆向きで万歳(ばんざい)をしているみたいに垂れ下がっている両手から、僅かに血の滴(しずく)が落ちて壁際の地べたに茂っている草を濡らした。思わず目を見張ってしまったのは、その両手に指が一本も残っていないことに気づいた瞬間である。十本ともほぼ根元から切断されていたのだ。水崎先生の場合は落ちていた携帯電話と関連づけて、電話をかけるのを阻止する目的で咄嗟(とっさ)に刃物で切りつけ、携帯を握っていた方の手の指を二本切断したのだろうと推測したが、十本全部となるともう意味が分からない。携帯電話も含めて手に何も持たせないし触らせないという『容赦のない警告』のつもりだったのだろうか?
いずれにせよ、二人をこんな目にあわせた者の『猟奇性』がはっきりと表れているのは間違いない。

教頭先生は何時(いつ)何処(どこ)で、こうなってしまう事態に遭遇したのだろう?
ぼくが芝生広場を後にした時、教頭先生は隣接する駐車場にいたはずだ。
‥‥‥もし、もしかしたらあの時‥‥‥かも知れない。ぼくが茂みの中で水崎先生の残した痕跡を辿っていた時、芝生広場の方から喚声とも悲鳴ともとれる賑やかな声が風に乗って聞こえてきた。あの時はそれをてっきり、タキやアラタたちがまた鬼ごっこでも始めたのだと思い込んでしまったのだが‥‥‥‥‥‥

物凄く‥嫌な予感‥が頭の中で渦(うず)を巻いた。すぐに芝生広場へ戻って、確かめる必要がある。
ぼくは後退りを始めた。出来るだけ音を立てない様に細心の注意を払って、ゆっくりと。巨大迷路の外壁(そとかべ)の向こう側には今も当の犯人がいて、こちらに聞き耳をたてている気がしたからだ。

ゆっくり、ゆっくりと後退りをするにしたがって、二人が吊るされている壁が少しずつ遠ざかって行く。
その不気味な光景を眺めながらぼくは、『不吉な連続性』を予見してしまった。
巨大迷路の外壁にはきっとこの後も、腹を裂かれた血まみれの逆さ死体がいくつもいくつも、吊るされていくに違いない‥‥‥‥‥と。

次回へ続く