第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その三十四
ツジウラ ソノが『感じたまま』だと言った『ヒトデナシ』のイメージは、突拍子(とっぴょうし)もなく非現実的で、分かり易いのか分かり難いのかも判らなかった。
だがぼくは、そんな彼女の感性から目を背けようとは思わなかった。
それはたぶん、水崎先生の携帯電話を茂みの中で一緒に探した時、彼女の的確なアドバイスに関心させられた経験があったからだろうし、彼女のことばに耳を傾けているとなぜかしら『幼いソラ』とたわいもない会話を交わしていた過去のひと時が思い出されてならなかったから、かも知れない‥‥‥‥‥
「何かで素性を隠そうと、していたのかな?例えば、すっぽりと全身を覆う黒っぽいものを被(かぶ)っていたとか?」ぼくは質問した。
「そういうのでは絶対に‥なかったと思う」ツジウラ ソノは遠くを見るみたいに目を細め、口を固く結んでしまった。
「もしかしたら、人間ではないのかも知れない‥わね。だから『ヒトデナシ』と呼ばれていたのかも知れない‥‥」突然、囁(ささや)く様な弱々しい声が聞こえて来た。声の主は、目を閉じて草の上にうつ伏せに横たわっている葉子先生だった。当然さっきからのぼくたちの会話を聞いていたのだ。
「人間‥ではないから、『人で無し』ですか。本当にそのまんま、文字通りだ」ぼくは葉子先生の方に身を乗り出す、そしてずっと思っていた事を皮肉交じりに聞いてみた。「でも、教頭先生がそいつに襲われた時『ヒトデナシだ。ヒトデナシが出た』て叫んだのって、その場にそぐわない奇妙な反応だと思いませんか?」
「‥‥‥そうね」葉子先生は目を閉じたまま、静かに言った。「教頭先生はきっと、小さい頃からずっと『ヒトデナシ』を恐れていたのよ」
「小さいころから?」「それって、どういうことですか?」葉子先生の傍らにいたフタハとミドリが、ぼくの代わりに質問してくれた。
背中の傷の痛みを堪(こら)えていたのか、間を置く様な少しの沈黙の後、「今度の遠足がこのハルサキ山に決まった時、教頭先生が聞かせて下さったお話なんだけど‥‥」そう前置きして、葉子先生は語り始めた。
「教頭先生が幼かった頃だから‥‥随分と昔ね。近隣のお年寄りたちはみんながみんな、ここを別の名で呼んでいたと言うの」
「別の名?」ぼくたち全員が声を揃えた。
「そう‥、ハラサキ山。腹を裂くと書いて『腹裂き山』て‥‥」
「なっ、何だそれ!」モリオが、顔をしかめて言った。しかし、モリオよりももっと顔をしかめ、驚いた顔をしていたのはこのぼくだった。
ぼくは、芝生広場に戻る前に巨大迷路の廃墟で目撃してしまったあの光景を、細部まで鮮明に思い返していたのだ。ここにいるみんなにはまだ報告していない、見事に腹を切り裂かれ、まるで赤いバラの花弁の様に内臓をはみ出させて外壁(そとかべ)に逆さまに吊るされていた水崎先生と、そして教頭先生本人の変わり果てた姿を‥‥‥‥‥‥
次回へ続く