悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (159)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十四

林の中の道の途中、行く手を阻む『ヒトデナシ』に果敢に突進していったタキとアラタ。その行動をただ見届けることしかできなかった残された五人が、突然目の前を通り過ぎて行ったモンシロチョウの群れに目を奪われ、彼らが立つ道の前方で繰り広げられたはずの言わば『決定的瞬間』から図らずも目を離してしまった。
しかしそれは僅か、ほんの二、三秒の間だったらしい‥‥‥‥‥


「あれ?どこ行った? あれれれれ??」モリオが、上擦(うわず)った声を出した。「タキは?アラタはどうなったんだ? あの『男』はどこ行った?‥‥」「‥‥みんな消えちゃった」ツジウラ ソノも呆然とした様子で呟く。互いに硬く抱き合っていた三人の女子達は、全員引きつった表情で、周辺のあちこちに隈(くま)なく目と首を動かしていた。
だが‥どこにも、誰もいない。ついさっきまで誰かがいたと感じられる‥草の葉一本、石ころ一つの微かな痕跡すら発見できなかった。
五人が五人とも揃って目を離してしまった隙に、タキとアラタと『ヒトデナシ』までが、忽然(こつぜん)と消え失せてしまったのだ。

「こ‥これってもしかして‥‥、神隠しってやつか?」モリオが、ぼそりと言った。

「何それ?タキくんもアラタくんも、死んじゃったってこと?」モリオの言葉に反応したのは女子達だった。「先に進んだら、私たちも神隠しになるの?」「いやだ!いやだもう!」一人がべそをかいてその場に座り込んでしまった。他の二人もつられて座り込む。「‥‥‥‥‥‥」ツジウラ ソノだけが、ただ無言で立っていた。
結局そのまま、彼らは林の中の道の途中で、まったく身動きが取れなくなってしまったらしい。


事態が‥さらに複雑になったのは、しばらくしてやはり林の中の道を芝生広場から避難して来た生徒十数人の後発の一団が、彼らと合流してからだった。
「この道の先に行ったら、また『犯人』が待ち伏せしていて、何か恐ろしい目にあうかもしれないんだ‥」と立ち往生(おうじょう)していたモリオたちが説明するのに対して、後から追いついた一団の一人が、「この道を行って、芝生広場からできるだけ遠くへ離れなさい‥って葉子先生が言ったんだ‥‥」と、すっかり青ざめた顔で訴えた。「それに『犯人』はずっと、たぶん今も芝生広場にいるはずだし‥‥」別の一人が付け加える。
モリオは反論する。「いや、さっきは確かにこっちにいたんだって。本当だよ!」
そこにいる全員が黙り込んでしまった。お互いがお互い、嘘の情報を言っているとは思わなかったが、妥協するわけにもいかなかったのだ。

「私、広場に戻って‥‥、葉子先生に報告してくる」沈黙を破って、そう提案したのはツジウラ ソノだった。
「そうだな、それしかない。‥‥俺も行くよ」モリオが賛成し、同行を申し出た。
この膠着(こうちゃく)状態を一刻も早く解消すべく、みんなをそこに残して早速、二人は芝生広場への道を戻り始めた。
「急ごう!」そう言ってツジウラ ソノが走り出し、「やっぱ走るんだよな‥」と、同行を申し出た事を少し後悔したみたいに呟いて、モリオが後に続いた。

百メートルほど走って‥‥、モリオが、同行を申し出た事をかなり後悔し始めた時、なぜか理由も無くほとんど無意識に、走りながら後ろを振り向いたそうだ。そして彼はその時、道の途中に残してきた、遠ざかって小さくなっていくみんなの中に紛れた‥‥、とんでもないものを見つけてしまったのだった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (158)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十三

タキとアラタが、『ヒトデナシ』と思われる男の真正面目がけて全力で駆け出して行ったという様子をモリオの口から聞いた時、ぼくの頭の中には一つの記憶が蘇っていた。

そうだ、あれは遠い日の‥‥いつかの放課後。
生徒たちがランドセルを背負い、三々五々、校庭を横切って帰って行く中、タキとアラタともう一人‥(そのもう一人は誰だったか、顔も名前も思い出せないが‥‥)がふざけ合っていた。ふざけ合いはいつの間にか追っかけっこ状態になり、その『もう一人』がタキとアラタを追いかける『鬼ごっこ』になった。三人のはしゃぐ声が校庭に響く。
やがてタキとアラタは校庭の隅のフェンスに追い詰められ、追いかけていた『鬼』が、もう逃げられまいと言わんばかりに両手を広げて、ゆっくりとふたりに近づいて行った。
この時タキとアラタがとった行動が、モリオが語っていた先の描写とまったく同じだったのだ。
近づいて来る『鬼』の真正面目がけて、タキとアラタがふたり一緒になってに突進していったのだ。『鬼』はハッとして足を止め、向かって来るふたりをしっかり受け止めて捕らえるべく、腰を落として身構えた。
ところがである。待ち構えていた『鬼』の子の体(からだ)100センチ手前でタキとアラタが突然右と左の二手(ふたて)に分かれ、『鬼』の子の両脇をそれぞれが走り抜けて行ったのである。『鬼』にとってそれはまったく予想だにしない変化だったのだろう、結局自分の両脇を走り抜けて行くタキとアラタどちらにも咄嗟(とっさ)に反応はできず、ただ、あれよあれよと見送ることしかできなかったのだ。
つまりタキとアラタは、茫然と立ち尽くすだけの『鬼』を尻目に、まんまと逃げ果(おお)せたわけで、考えるにこれは、ふたりが鬼ごっこなどで時おり仕掛けるらしい、見事に息の合ったトリックプレーであったのだ。

ぼくは、『タキとアラタの命知らずの突撃』が、大方(おおかた)この『いつかの放課後』と同じ展開に違いないと踏んで、彼らのトリックプレーの成功に期待を寄せつつ、モリオの話の続きに耳を傾けた。

「オレたちみんな驚いたよ。タキもアラタも恐ろしさのあまり頭がおかしくなっちまったか、もうヤケクソになって、そいつに体当たりでもするのかと思ったんだ‥‥‥‥」モリオはそこで口を噤(つぐ)み、なぜか訝(いぶか)し気な表情を浮かべた。
「なんだよ、どうした?タキとアラタはホントに体当たりでもしたか?‥」ぼくは少し冗談めかして、モリオに催促してみた。
モリオは訝し気な表情を顔に貼りつけたまま、「‥‥‥ふたりが『ヒトデナシ』にぶつかる‥って思った瞬間‥‥‥」と言って、また黙る。
「瞬間‥どうなった?タキとアラタが右と左にでも分かれたか」
「えっ? あッ! 確かに分かれた!そうだった!でもどうしておまえが知ってんだ?ヒカリ」
「あいつらが時々使うトリックなんだ。見たことがある。‥それでふたりとも、『ヒトデナシ』のわきを無事に通り抜けられたんだろ?」
「‥‥‥‥それが‥‥、ちゃんと見てなかったんだ‥‥‥」
「はあ??見てなかったって、何でだよ?」
「何でって‥‥」がっかりしたぼくの質問に、モリオは釈明しようとしたが、彼に代わって言葉を続けたのは、傍らで聞いていたツジウラ ソノだった。
「それは、私たちの前を‥‥、蝶々(ちょうちょ)が横切ってったから‥よ」
「はあ???」訝し気な表情を浮かべるのは、今度はぼくの番だった。

「タキくんとアラタくんが『ヒトデナシ』のすぐ手前で右と左の二手(ふたて)に分かれてくのを見た次の瞬間、突然モンシロチョウが十匹くらい現れて、モリオくんや私、他の子たちのすぐ目の前をゆっくりゆっくり、フワフワと横切って行ったの。たぶん全員がそれにすっかり気を取られてしまったんだと思う。蝶がどこかへ飛んでってから我に返って前を見直したんだけど、その時にはもう道には誰もいなかった。タキくんもアラタくんも‥、暗い陰みたいな『ヒトデナシ』の姿も‥‥‥全部がいつの間にか消えてなくなってた‥‥‥‥‥」ツジウラ ソノは遠い目をして、ぼくにそう言って聞かせた。

次回へ続く