悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (185)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十

「ねえ! ツジウラさんって、本当は何者???」
高木セナの突然のそんな問いかけに、ぼくは黙り込んで、しばらく口を開けないでいた。

「どうして‥‥ ぼくにそんなことを聞くんだい?」
「え?」
高木セナは、当然の流れからぼくにその問いを投げて寄越したのだろうが、ぼくは彼女に、別の問いかけで返していた。大抵は彼女が始めることが多かった、例の『やぎさんゆうびん』的対話である。

「きみが‥『私たち、結婚するの?』て聞いてきた時もそうだった。きみはどうして、ぼくが何もかもを知っていると思うんだい?」
「そっ、それは‥‥」今まで興奮気味だった高木セナは、叱られたみたいに首を竦(すく)めた。そして幾分声のトーンを落として、叱られた言い訳みたいにこう続けた。「‥だってヒカリくんは、まわりの誰よりも大人みたいだし、いろんなことを知ってるし‥‥、いつだって私のお話をちゃんと聞いてくれる‥から」
「そうか‥‥」ぼくはゆっくりと頷いた。少し安心したのかも知れない。
ぼくは彼女が、『本当は小学二年生ではないぼくの素性』に気がついて、その上で質問を繰り返しているのかと思っていたのだ。
実のところぼくは、高木セナの『ツジウラさんって本当は何者?』の言葉に衝撃を受け、今まで深く考えようとしてこなかった根本的な疑問、『なぜ僕は小学生に戻って、こんな遠足に来ているのか?』という事を自分自身に問い直していたのだ。そしてその答えが、もしかしたら高木セナが駐車場のトイレに隠れていた時に見た『夢』の中に隠されていて、彼女がそれを承知の上でぼくに鎌(かま)をかけ、試そうとしているのではないかと勘繰(かんぐ)ったのだった。

「そうか、分かったよ。だったらきみが見た『夢』の細かなところを、もっと聞かせてくれないか?そうしたらぼくもさっきの質問に、もしかして答えられるかも‥知れない」
「‥うん、わかった」高木セナは気を取り直すみたいに瞬きを三回して、ぼくの要求に応えるべく、集中した様子で語り始めた。

「知らない家の二階の部屋‥‥。窓際にあるベッドの上に、『ソラ』て呼ばれてるツジウラさんにそっくりな女の子がいて、窓の外を見てる。部屋の入口のドアの前には、大人になったヒカリくんが寄っかかって立ってて、ベッドの足元の方に置いた椅子に腰かけて、編み物?か何かで手を動かしてる私がいる。きっとヒカリくんと同じで、大人になってるみたいで、私は『かあさん』、ヒカリくんは『とうさん』て呼ばれたり、自分で言ったりしてた。だから普通に考えると、私とヒカリくんは夫婦で、ソラちゃんは私たちの子供?‥ってことになる‥‥‥」
ここで、話している高木セナの顔がやっぱり赤くなるのを、ぼくは見ていた。
「それで、そのソラちゃんがね‥‥、リュックサックを背負って窓の外の道路を歩いて行く小学生たちを見て、『わたしも遠足に行きたいな』て呟いたの。そこからよ、三人して『遠足に行こう』て話になったのは‥‥‥‥」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (184)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その六十九

人は、いつも遅きに失する‥‥‥
失ってはじめてそのものの本当の価値に気づき、後悔する。気づいた時にはもう全てが手遅れ‥‥、遅すぎるのだ‥‥‥‥‥

一人娘のソラを失ってはじめて、『生きていることの意味』が分かった気がした。
娘を授かったことは、生きる意味そのものだったし、人生の道標(みちしるべ)となるものだった。それを僕はいきなり失くしてしまったのだ。
ソラを葬儀で送り出してから‥‥、心の真ん中にぽっかりと空白が生まれた。どうにか代わりの何かで埋めようとしても決して埋まらない、埋めることができない‥‥『ソラという名』の『ソラの形をした』‥‥空白だった。


「こんな遠足‥‥ 来なければよかった‥‥‥‥」
葉子先生が、すでに息をしていないことを知っていたツジウラ ソノは、何かが起こっている事を察知して雑木林の入口まで戻って来たぼくと高木セナに、ただ一言、そんな言葉を呟いた。

後(のち)に、ツジウラ ソノに話を聞こうと、雑木林の中から小走りで芝生広場まで引き返した高木セナとその後を追いかけて来たぼくだったが、すでに姿を消してしまっていた彼女を、見渡す広場のどこにも見つけることはできなかったのだ。
ツジウラ ソノは、ひとりでどこかへ‥‥‥ 行ってしまった。


高木セナが、初めてまじまじとツジウラ ソノの表情を正面から窺(うかが)い、合わせて彼女の口から漏れてきた『遠足‥』の言葉を聞いた瞬間、駐車場のトイレに隠れていた時に見てしまった『夢』の詳細をはっきりと思い出したのだと言う。その『夢』は、高木セナとぼくが『大人になって結婚する』ことを暗示している内容らしいのは、ぼくもすでに承知していた。
最初に尋ねた時には顔を赤らめ恥ずかしがって話したがらなかった『夢』の内容を、今、高木セナは真面目な顔をして、ゆっくり、注意深く、語り始めた。

「気がついたら‥‥、私は誰かのお家の‥部屋の中にいた。部屋にはベッドがあって、ベッドの上にはちっちゃな女の子が座ってて‥‥、頭だけ横を向けて、二階の窓かな?ベッドのそばにある大きな窓から、ぼんやりと外の景色を‥見てたの。
私はどうやら、ベッドの足元にある椅子に腰かけてて‥‥、そこから斜め後ろに目をやると、その部屋のドアは最初から開けっ放しになってて‥‥、開いたドアにもたれるみたいにして、大人になったヒカリくんが、立ってた‥‥‥。
三人で会話し出したんだけど、話したのは、『遠足』のことだったわ。その会話の中で女の子は、ヒカリくんを『とうさん』、私のことを『かあさん』て呼んでたから‥‥、私とヒカリくんは夫婦で、女の子は私たちの子供だって‥‥分かったの。
それで、後で気づいて、本当にびっくりしたんだけど‥‥、その『女の子』の顔がツジウラさんにそっくりの!瓜(うり)二つだったのよ!」
高木セナはぼくの顔を見て、興奮気味にすかさず問いかけて来た。
「ねえ!このことって、何か特別な意味があるの? ツジウラさんって本当は、何者???」

次回へ続く