悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (270)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十五

「 まったく‥ 呆(あき)れ果てたヤツだ‥‥ 」

「え?」
突然、声が聞こえた。ぼくは思わず首をあちこち動かして、声の主を捜してしまった。だが、ぼく達が今歩いている直線通路には、もちろんぼく達以外の誰の姿も見当たらなかった。
「どうかしたの? ヒカリさん」 セナが声を掛けてくる。
「‥‥‥いや‥ 間違いだ。気のせいだった‥‥みたいだ」 ぼくはセナに答えた。しかし、その言葉が終わるか終わらないかの内に、また声が聞こえた。

「 いつまで誤魔化(ごまか)し続ける‥つもりなんだい? 」

「うっ!」 ぼくは目を大きく見開いて、立ち止まっていた。
声は、ぼくの頭の中で響いた気がしたのだ。
「ヒカリさん?」 急に立ち止まったぼくに驚いてやはり足を止めたセナが、不審げにぼくを見た。

「なっ なんでもない。‥ごめん、進もう」 ぼくは飛び上がるほど驚いた。なぜなら、ぼくの口が勝手に動き、勝手に言葉を発していたからだ。
そしてさらには、ぼくの体全部が勝手に動き出し、元通りセナの手を引いて、何事も無かった様に歩き出したではないか!?
ぼくはパニックになった。顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も絶叫していた。しかし実際は、そんなことは一ミリも起こらず、何食わぬ顔をして平然とセナと手を繋ぎ、前進を再開している自分がそこにいたのだった!!

「ふふ‥ 落ち着けよ。そんなに取り乱すほどのことじゃない」

再(ふたた)び、いや三度(みたび)声が聞こえた。やはり声は、ぼくの頭の中だけに響いていた。

「おれとおまえは一心同体。おまえはおれの存在などあまり顧(かえり)みることは無かっただろうが、おれはいつだっておまえと一緒にいたんだぜ‥‥」

やはりそうか!この声の主は例の『もう一人の自分』で、ぼくが恐れていたことが本当に起こってしまったのだ!
ああ‥ ぼくは『こいつ』に人格を乗っ取られてしまったらしい!

「おいおい、落ち着けって言ったろ。繰り返すが、おれとおまえはずっとひとつなんだ。おまえは今まででも、おまえの都合のいい時だけ、おれを平気で利用してきたじゃないか。それにそもそもおれとおまえの関係は、人格を乗っ取られただの、乗っ取られなかっただのと‥そういう単純明快(たんじゅんめいかい)な話ではないんだよ」

うるさい! 黙れ!黙れ! ぼくの体を返してくれ!!

「うるさいのはおまえの方だろうが! 本当はもう何もかも知っているくせに何を知らない振りをし続けてるんだよ? 何が‥今度頭痛が始まったら我慢して思い出してみる‥だ!よく言うぜ! そもそもあの頭痛自体は、おまえがおまえ自身を誤魔化すためにわざわざ創り出した、下手(へた)くそな口実みたいなもんじゃないか!!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (269)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十四

「聞こえてる? ヒカリさん!」
「ああ、聞こえてる」
まるでそんなやり取りを二人でするみたいに、ぼくとセナは目で合図を送り合い、互いに頷(うなず)いていた。
ぼくは、通路の前方に耳を欹(そばだ)てると同時に、上方(じょうほう)にも視線を向けた。通路には天井など無かったが、仕切り壁の右から左へ、あるいは左から右へと渡って繁殖しているツタが目隠しをしているせいで、空は斑(まだら)に覗(のぞ)けるだけだったが、前方斜め上方、ツタの葉と葉の隙間に、空を覆う雲の一部をバックにして、太い木の柱が立っているのが辛うじて見えた。その柱はきっと、巨大迷路の丁度真ん中に立っている展望櫓(てんぼうやぐら)を支える四本の柱の一本に違いない。

「行こう。このまま進もう‥」と そう口にする代わりに、ぼくはセナにもう一度頷いて見せた。
気がつけば‥今ぼく達がいる通路は、迷路に相応(ふさわ)しくないほど真っすぐで、前方が薄闇に溶けて見えなくなるくらい奥行きがあった。左右両側の仕切り壁にはずっと、ふんだんに『血のスタンプ』の装飾がなされていて、他(ほか)の場所とは違う特別感も漂っていた。
一歩一歩足を繰り出していくごとに、幽(かす)かだった歌声は、徐々に音量を増していく。『曲名は確か‥ 』と予想はしていたが、それが正(まさ)しく予想通りのものであることも、はっきりしていった。
さらには聞こえている歌声が、複数の人間の合唱であることも分かってきたのだった‥‥‥‥‥

「いよいよ‥ ていう、感じなのかしら?」 セナが、ちゃんと言葉を口に出して囁(ささや)いた。そして繋(つな)いでいたぼくの手を、力を込めて握った。彼女の手のひらは汗ばんでいたが、その汗はもしかしたら、ぼく自身の手から出たものだったかも知れない。
「ああ‥ もしかしたら、歓迎してくれているの‥かもな?」 ぼくは彼女の緊張を(もしかしたら自分自身の緊張を‥)和らげるために、少し冗談めかして言った。

ぼく達は前進した。しかし、その直線通路は一向に終わりを告げる気配が無かった。いくら目を凝らしても前方を見通すことができず、右もしくは左へ折れる曲がり角も、分岐点も皆無だった。
しかし、流れて来る歌声の音量だけは、着実に大きくなっていくのは確かだったが‥‥‥‥‥

いったい、どこまで続くんだ?? ここはやはり、巨大迷路廃墟の中ではない、別の場所なのか?!
そんな考えが、頭を過(よぎ)った。
ぼく達はまんまとヒトデナシの誘いに乗っかって、ヤツの仕掛けた罠に落ちてしまったのだろうか‥‥‥‥‥

次回へ続く