悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (189)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十四

「私やっぱり‥、ツジウラさんにいろいろ聞いてみたいな。だって、未来の自分の子供かもしれない人だものね」
ぼくの頭痛が落ち着いてしばらくたって、高木セナが芝生広場を左右に見渡しながら言った。

「ああ、ぼくもだ‥」
実際、ツジウラ ソノにいろいろ聞いてみたいのは、ぼくも同じだった。ただ、高木セナが見た『夢』の通り、ソラの部屋で親子三人で遠足の話をしたその数か月後、ソラは結局遠足には行けず、死んでしまったのだ。いろいろ聞いてみたいのは同じでも、(どういうわけか、大人であるはずの記憶をまったく持っていない様子の)高木セナはそのことをまだ知らず、(大人の記憶がそのままの)ぼくは当然知っているわけで、それぞれの望んでいる『いろいろ聞いてみたい』内容には、計り知れない温度差があったはずだ。
それでもとにかく、ツジウラ ソノの行方を突き止めておいた方が良いに決まっている。芝生広場ではここ数時間、『ヒトデナシ』自体の出現とヤツの仕業だと思われる謎の『子供の声色(こわいろ)や怪しい物音』はすっかり鳴りを潜めていたが、だからと言って、女子がひとり歩き回って平気な場所であるはずがない。

「もしかしたらツジウラさん、つくづくこの遠足が嫌になって‥‥、一人でお家に帰ろうとなんて‥してないよね?」高木セナがぼくを見て、心配そうに言った。
「‥‥かも、しれないな」ぼくもそれは否定できないと思って答えた。ただ‥答える前に、ツジウラ ソノが帰ろうとしている家はどこだろう?もし彼女が本当に『娘のソラ』だったとしら、帰るべき家は一つ、『我が家』のはずだ‥‥などと考えてしまっていた。
「ともかく、彼女を捜してみよう!」ぼくは、沸き出て来る不要な雑念を振り払う様に、きっぱりと言った。

ぼくと高木セナは、芝生広場のあちこちに目を配りながらも、取り敢えずは駐車場に向かうことにした。もしツジウラ ソノがここから脱出しようとするなら、林の中の道か、駐車場から北へ真っすぐにに伸びて国道と繋がっている舗装道路のどちらかを使うことになる。林の中の道は、彼女がいなくなった頃、ぼくたちや他のみんながすぐ近くの雑木林に全員いたので、通り過ぎたなら気づくはずだし、もし気づかなかったとしても、ツジウラ ソノはモリオと一緒に行動していた時、道の途中まで行って『ヒトデナシ』の待ち伏せに合い、奇妙な体験をしている。もう一度この道を選ぶ可能性は極めて低いだろう。だとしたら、残るは舗装道路である。
「舗装道路は、真っすぐで見渡せるから、用心しながら簡単に歩いて行けそうだけど、あそこが一番危険なんだ。『ヒトデナシ』の方からも恐らく、丸見えだからね。現に車で向かって来た何人かがすでに、犠牲になっている」ぼくは高木セナの手をしっかりと取って、リードするように歩を進めた。
「そうね、ここはもう誰も入ってこれないし出て行けない『りくのことう(陸の孤島)』なんだもんね」高木セナは手を繋いでももう恥ずかしがることもなく、僕に合わせて懸命について来た。

気が急(せ)くあまり、途中の窪地を迂回するのを忘れていた。気がついた時には、かなり近づいてしまっていた。風太郎先生の無残な亡骸(なきがら)が横たわる例の場所である。ぼくは慌てて高木セナの真横に並び、身を寄せた。その場所と高木セナの目線の間に体を入れて、彼女に見えないようにしたのだ。
さいわい、通り過ぎてしまうまで、高木セナはずっと前を向いていた。

「ん?」
ほっと胸を撫でおろしながら最後に横目で、風太郎先生の遺体にかけて置いたレジャーシートに一瞥(いちべつ)をくれた瞬間だった。
ぼくは、その様子に何か‥‥ 違和感を覚えた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (188)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十三

突然訪れた‥娘『ソラ』の死。その打ちのめされるほどの悲しみは、何も生みはしなかった。
むしろ僕から、生きる意欲を奪い去り、これからの人生の意味さえも見失わせた。

ソラがいなくなって生じた『空白』は、日々の生活のいたるところにつきまとい、悲しみの涙に暮れる僕と妻の心を疲弊(ひへい)させていった。
このままでは駄目になってしまうことは目に見えていても、人や信仰に頼りたくはなかった。仮に何かでその『空白』を埋めようとしたり、蓋(ふた)をしたり隠したりして誤魔化(ごまか)したとしても、それは、かつてソラが確かに存在したことの紛れもない証(あかし)に相違ない『ソラの空白』に対する明らかな冒涜(ぼうとく)であって、安直で愚かな弱さからくる裏切り行為だと考えるようになっていたのだ。
つまり、ソラを失ってみて骨の髄(ずい)まで身に染みて理解したことだったが、この世の何をもってしても『ソラの空白』は絶対に埋まらないし埋めることはできない。世の中がひっくり返る様な奇跡でも起きて、ソラが元通り生き返りでもしない限り‥‥‥‥‥


「・・‥‥大丈夫、もう大丈夫だ」
頭痛が治まっていったので、ぼくはゆっくりと身を起こし、傍で心配そうに覗き込んでいる高木セナに声をかけた。
「ごめん。私のせいね‥ 私が変なこと聞いたから‥‥」彼女は少し、べそをかいていた。
「違うよ、違う。急に疲れが出たんだと思う。何せ、いろんなことがあったから‥」ぼくは嘘をついた。

この遠足に、小学二年生の姿で身を置いることに気づいてからの、『いったい‥ここはどういう場所で‥‥、ぼくは‥どうなっているのか??』という率直な疑問。遣り過ごしてきたこの疑問に、初めて真正面から向き合おうとした時、頭痛が起きたのだ。それはやはり、高木セナの、「ヒカリくんは『別の記憶』はないの?」という質問が切っ掛けだった。
もう、あんな‥頭の中がどうにかなってしまいそうな酷い痛みは、ごめんだ。ぼくはあっさりと、自分がどうして遠足にきている?とか、自分はどうなっている?とか、考えるのはよそうと思った。そう‥、自分でも不思議なくらいあっさりと、何の躊躇(ちゅうちょ)もなくだ。そうすることが至極(しごく)当然だとさえ、考えていたのかも知れない。

「君にだけは‥、正直に言っておくけど‥‥」ぼくはいきなり、高木セナに向かって切り出した。この場の今だけでも、適当に収めておこうと、謀(はか)ったのだ。「ぼくには、大人だった記憶があるんだ。たぶんそれらは未来の記憶で、そこでは、君とぼくは夫婦だったし、ソラという娘もいた。全部、君の見た『夢』の通りだ」
やはりいきなり、そんな話を切り出された高木セナは、目をまんまるにして聞いていた。
「だったら! もっもしかしてヒカリくんは、未来から来たって?いうこと??」彼女は興奮して聞き返してきた。
ぼくは冷静に、あくまで冷静に、首を横に振った。
「そんなこと、あるわけないよ。ぼくが、大人になってるみたいな記憶があるのは‥、いつの間にかそういう記憶が、勝手に頭の中に流れ込んできたせいなんだ」
「ええっ? 勝手に、頭の中に??」彼女は、今度は目を白黒させた。
「そんなに驚くことないさ。君だって、時々『夢』で未来のことを見てるじゃないか」
「あ‥ そうか‥‥‥」高木セナは我に返った様に頷いていた。
ぼくもつられて、大きく頷いた。
彼女に話した内容は、適当に考えた嘘だった。これでまた、『ずっと遣り過ごしてきた例の疑問』への問いかけは、先延ばしにできた。あの嫌な頭痛を体験しなくて済むのなら、それに越したことはない。ぼくは心底、そう思っていたのだ。

次回へ続く