悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (267)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百五十二

「 モリオ? ‥なのか? 」
ぼくは、地べたに座り込んだ人影に声をかけた。

「 ああ‥ やっぱりおまえも来てたのか‥‥ 」 
いつものモリオらしい返事が返ってきた。言葉に少しだけ投げやりなニュアンスが感じられたのは、葉子先生達と潜んでいた雑木林を出る際、口論して別れて来たせいだろう。
「 そんなに喚き散らして、いったいどうしたって言うんだ? おまえらしくもない‥‥ 」

モリオに指摘され、自分がひどく取り乱していることを覚(さと)らされて、こんな状況の時こそ落ち着かなければならないと自らに言い聞かせた。
ぼくはゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐いてみた。さらに、冷静さを取り戻すまじないみたいに、ゴクリと大きく唾(つば)を飲み込んでから、再度モリオの方を見直した。
そして、この場に居合わせていたモリオが、何かを目撃してはいまいかと思い、彼に近づいて行った。

「 セナが‥ いっしょにここへ来たはずの高木セナが、どこかへ消えちまったんだ‥‥ 」 ぼくは手掛かりになりそうな情報を期待して、モリオに話しかけた。
モリオは地べたに胡坐(あぐら)をかいて、モグモグと口を動かしていた。下したリュックの中から取り出したありったけの残りのチョコレートをその組んだ足の上に広げ、次はどれを味わおうかと指先で吟味(ぎんみ)している最中だった。

「 高木が‥、どうかしたって? 」 そう言って、傍らに立ったぼくを上目遣(うわめづか)いに見るモリオ。
「 ‥ああ 」 まどろっこしい説明をする代わりに、ぼくは自分の左手を彼に示して見せた。左手には今も、セナの両腕がしっかりと巻きついていた。
「 ‥‥それが、高木の手だって言うのか‥ 」
ぼくは、黙って頷(うなず)いた。

「 ふん、そいつが高木のだなんてどうして判(わか)るんだよ? 今この迷路のあちこちにそんなもの‥いくらでも転がってるだろう。みんなここに集められた時からおかしくなっちまって、腕を切ったり切られたり‥‥、自分で切り落としてるバカもいたからなあ 」 そう言ってモリオは、興味を失った様にぼくの左手から目を背けた。
ぼくは、モリオの話に顔をしかめながら、ここに来るまでに通ってきた迷路通路の、そこいら中の仕切り壁に押された無数の血のスタンプを、頭の中に思い浮かべていた。

「 違うんだ、モリオ。 ぼくと高木セナはいつまでも終わらない真っ直ぐな通路に閉じ込められてしまって、そこから抜け出すために空間の裂け目みたいなものにふたりして飛び込んだんだ。そうしたらどこだか分からないがここに出て、気がついたらこの腕を残して彼女の姿が消えてたんだよ 」
「 ‥‥‥そうなのか 」
ぼくの説明に対し、モリオの‥驚くほど気の無い返事が返ってきた。
気の無い割にはさらにモリオは話を続け、そして締めくくった。
「 きっとどこかで死んでるかもな‥‥ でも心配するな。そのうち、生き返って帰ってくるさ。ここはそういう場所なんだからな‥‥‥ 」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (266)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百五十一

足はすでに止まっていた。『空間の裂け目』を抜けるには十分な距離を、すでに前進して来たつもりだった。
しかし、両目はまだ瞑(つむ)ったままで、恐らく慎重に構えすぎたせいもあって、開くタイミングを逃してしまったのだ。
ぼくはゆっくりと‥‥、瞼(まぶた)を開いていった。

「 ‥‥‥‥‥ここ‥は? 」
思わずそんな言葉が口から漏れた。掴(つか)みどころの無い空間が‥目の前に広がっていたのだ。
視界の中の全てが、白っぽい薄明りに包まれていた。迷路の通路と比べてかなり広い空間に違いはないが、どこまでも高くてしかも奥行きが在りそうに見えて、そのくせ全方向の数メートル先が、靄(もや)がかかったみたいに霞(かす)んでいた。
「 セナ‥ もう目は開けたかい? 」 ぼくは傍らにいるセナに声をかけた。彼女は『空間の裂け目』を抜ける前と同様、今もぼくの左手に両腕を絡めたままでじっとしていた。
「 ‥セナ? 」 返事が無かったので、ぼくは首を回して彼女に顔を向けた。

「 えッ??」
ぼくは呆然(ぼうぜん)とした。左の傍らに寄り添っているはずのセナの姿は、そこには見当たらなかったのだ。
そんなばかな!! セナは今もこうしてぼくの左手に、その両腕をしっかり絡めているではないか!!
そう心で叫びながら、ぼくは自分の左手を見下ろした。

「 ええッ!??」
確かに両腕はあった。小学二年生女子の華奢(きゃしゃ)な両腕が、今も確かにぼくの左手に絡みついていた。だが、それだけ‥だった。腕がついていたはずの彼女の体は、どこかに消え失せていた。
「 セナ!! セナ? セナぁああ!!! 」
左手に絡みついているセナの腕をそのままに、ぼくは叫びながら辺りを見回して彼女を探した。後ろを振り返って、さっき抜けてきたであろうはずの『空間の裂け目』の方向を確認するのも忘れなかった。
しかしそこには何の痕跡(こんせき)も‥‥ 存在していなかった。

「 あぁああぁセナ! いったいどこへ行っちゃったんだよ?!
ぼくは叫ばずにはいられなかった。良からぬ想像が、次から次へと頭の中を駆け巡った。涙が溢(あふ)れ出してきて、頬を伝って地面に落ちた。


「 ‥‥まったく、騒々しいヤツだなあ。落ち着いてチョコも食べられやしない‥ 」
「 え?‥ 」
すぐ近くで声が聞こえた。振り返って見ると、五メートル程離れた場所に、地べたに座り込んでこちらを見ている‥白く霞(かす)んだ人影が見えた。

次回へ続く