悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (266)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十一

ぼくの心の殻(から)を粉々にしかねない外部から(おそらく無意識下から)の謎の圧力と、ぼくの心が辛(かろ)うじて保持していた反発力とが、突如(とつじょ)として拮抗(きっこう)し始めたのだ。
その途端、砕け散るはずだったぼくの心の殻はドロドロに変質し、様々な意識や無意識下の感情を内在する混沌(こんとん)とした『境界ゾーン』と化したのだ。
そして、その『境界ゾーン』の内側にいつの間にか形を成していたのが、失った幼い娘の輪郭を持った『空白』。何をもってしても決して埋めることの出来ない『絶対的な空白』だった。
ぼくの心はその真ん中に、『ソラの空白』を生み出していたのだ。

果たして‥、ぼくの心は崩壊してしまったのだろうか? それともそれを免(まぬが)れて、新たな境地を得たのであろうか?

いずれにしても、出現した『ソラの空白』がぼくに教えたのは‥‥‥
どんなに嘆(なげ)いても、どんなに願おうとも、失ったものはもう永遠に戻らない‥‥‥という現実。
残っているのはただ‥‥心の中の‥ソラの輪郭をしただけの‥‥
完全なる空虚
この世のどんなものもを以てしても、決して埋めることの叶わない‥‥
完全なる空白

日々、ソラを失ったことを思い知らされる『ソラの空白』だった。
しかし、それでもぼくは懲りないでいたらしい。
ただの輪郭だけでも、ソラの形をしているなら、ぼくは大切にしようと思った。
愛そうとさえ、考えた。あれこれと、愛し方を模索した‥‥‥‥‥‥

そして‥‥ そんな時からだ。
ぼくのソラへのあらゆる感情は、結局『ソラの空白』にはじき出され、空白の周りにある『境界ゾーン』に、すべて吸収されていったのだ。すでに蟠(わだかま)っている‥意識や無意識が綯(な)い交(ま)ぜになった『混沌』のドロドロの中へと‥‥‥‥‥‥‥

今回の遠足のシナリオは‥‥、そんなぼくの心にある『混沌のスープ』の中から誕生した‥‥気がしてならない。
そこにはどうやら、ぼくの本心があり‥‥、ぼくの後悔があり‥‥、ぼくの願望が‥‥‥見え隠れしている気がする。だって、もしそれが当たっているのなら、すべてがぼく自身の心の中の風景なのだろうか‥‥。
だ‥けれども‥‥ やはり念を押すと‥‥、やはり身に覚えのないことは、本当に身に覚えがないのだ。知らなかったことは、本当に知らなかったのだ。
身に覚えがある気がしても、知っている気がしても‥‥、身に覚えはなくて、知らなかったのだ。

見ていたのに、見ていなかった。聞いていたのに、聞いていなかった。そんなのは‥よくあることだ。だけど、実際には、眼に映っていた光景は、網膜に像を結んでいただろうし、届いた音の波は、鼓膜を振動させていたに違いない。
人とはたぶん、そういうものだ‥‥‥‥‥‥‥ 

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (265)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十

自分で言っておきながら‥‥ ぼくの解釈は全部が全部出鱈目(でたらめ)で、見当違いな代物(しろもの)である様な気がしていた‥‥‥‥‥


セナの予知夢はそのほとんどが、これから起こる出来事を見事に言い当てていて、ぼくは小学生の頃からそんな彼女の能力に心酔(しんすい)していた。
ただ‥、意味が明快な夢と違って、正しい解釈を必要とする難解な内容のものも必ずあって、そんな時、まだ小学生だった高木セナから「こんな‥へんてこな夢を見た‥」と話を持ち掛けられたのが、彼女に興味を示し始めていたぼくであった。
当然その時のぼくも彼女と同じ小学生であったわけだが、まだ発達途上の頭をあれこれと絞って、彼女の前で稚拙な推論を披露してみせたものだった。
結局‥そんな度重(たびかさ)なるやり取りが、ぼくと彼女との距離を少しづつ縮めていって、今に至ったわけなのだろうが‥‥‥‥‥

だからぼくには、どんな時であっても、セナの信頼を裏切る気持ちは毛頭(もうとう)ない。
当然今もそうであったし、これからもそうであり続けるだろう。
しかしながら、『ぼくが運転手を務める血まみれ送迎バス』の夢の解釈は、なぜかそういう訳にはいかなかったのだ。それはどうしてだろう?‥‥‥‥‥

さっき、セナに夢の解釈を話して聞かせている時、ぼくの心のどこかに、『見て見ぬふりをしている』という奇妙な感覚が存在していた。もっと言ってしまえば、『本当はすべてを知っているのだけれども、知っていてはいけない事なので、知らない事にしておこう』と自分自身が勝手に判断を下している感覚だ。

ぼくは、この遠足に参加していることを認識した当初から、実は『この遠足で起こる、すべてを知っている‥』あるいは『この世界で起こる、何もかもを承知している‥』という感覚が、心のどこか奥の方にすでに存在していたのを微(かす)かに憶えている。それは例えば、届けられた新聞に最初から挟まっている折り込み広告の束(たば)みたいに、ぼくの記憶の襞(ひだ)のところどころに勝手に挟まっていて、いつの間にか今まであった記憶と馴染(なじ)む様に徐々に同化していった‥本来ならば身に覚えのない記憶だったはずのものである。

娘のソラが旅立って以来、ぼくは生きる意味を見失い、それでも残された妻のため、ひいては自分自身のこれからのために精一杯、粛々(しゅくしゅく)と生きて来たつもりであった。しかし、そんな日常の中に身を置き続けることで、自分の心は知らぬ間に硬い殻(から)を纏(まと)い、その動きもただ内(うち)へ内(うち)へと向かう傾向に陥ってしまったのである‥‥‥‥‥‥‥

そんな時、ぼくの心の硬い殻に向かって突然、外からの謎の圧力が生じた。その圧力は日に日に大きなものとなり、このままでは、ぼくの心の殻は粉々に砕け散るだろうと恐れおののいた末(すえ)に覚悟を決めた時‥‥‥‥‥‥
その外部からの謎の圧力と、ぼくの心が辛(かろ)うじて保持していた反発力とが、突如(とつじょ)として拮抗(きっこう)し始めたのだった。

次回へ続く