悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (32)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十七

俺は歩き出した。
委員長も黙って後に続いた。一切の気配が消え失せた廊下の静寂は、委員長の恫喝(どうかつ)が生み出したものだった。邪魔するものは何も無かった。

廊下の突き当り、目当ての教室の前にはすぐにたどり着いた。
出入りするスライド式のトビラは、教壇側と後ろ側の二ヶ所。俺達は後ろ側の前に立ち、トビラにはめ込まれた小さめのガラス窓から中の様子を窺(うかが)った。
「‥‥‥‥‥‥」
照明は消えているが、廊下などと同じように床や壁自体が発光しているのだろう、仄(ほの)かな光が澱んでいる。
「人がいる‥‥子供たちが席に座ってるわ」委員長が小声で言った。
俺は、ガラスに顔を押し付けて凝視した。確かに、整然と席に着いている子供たちの後ろ姿が見える。
「こっこいつら‥‥・授業でもしてるのか?」

鍵は掛かっていない。音をさせないよう、ゆっくりとトビラを開けていった。
体が抜けられる幅ができると、やはり音をさせないように足を踏み入れる。
俺と委員長はまるで参観日の父兄の立ち位置で、教室全体を後ろから眺めていた。
教壇に先生の姿は無い。よって、先生の質問にこれ見よがしに手を高く上げる生徒もいなければ、萎縮して背を丸く窄(すぼ)める生徒もいない。
しばらくふたりで眺めていたが、子供たちは席に着いたまま全員微動だにしなかった。
「‥‥‥人形‥・だわ」委員長が教室に入って初めて声を出した。普通のトーンだった。
実は俺も気づいていた。子供たちだと思い込んでいたものの形が、みんな微妙に歪んでいて、どこか正しいバランスを欠いていたのだ。
一番後ろの席の「人形」の一つに近づいてよくよく見てみると、全身が灰色の粘土のようなもので覆われている。手で触れてみると、覆われているだけではなく、人形自体が全部、工作用粘土で出来上がっていることが分かった。

委員長が机に手を置き、席に座っている人形を順番に観察しながら、机の列と列の間をゆっくりと歩き出した。
「騙されたわ‥‥よくよく見るとけっこう稚拙な造形じゃあないの。こんなもの作ってたくさん並べて‥‥・一体何の意味があるのかしらね‥‥‥‥」

「これは‥山崎で‥‥‥‥‥こっちはまだチビだった頃の木村だ‥‥‥‥‥‥」
「え⁈」

子供がお遊びで作った様な、一見出鱈目な造形。しかし俺には、なぜかその一つ一つの個性がちゃんと理解できた。中には、的確に特徴を捉えていて、そっくりだと思うものもあった。
委員長が驚いた顔で、俺を見ている。
「もしかしてこの人形たちは‥‥‥‥当時のクラスのみんなを‥‥模(かたど)ったものなの?」
「‥‥‥‥‥‥‥」俺は返答が出来なかった。その通りだと言いたかったが、自分にどうしてその事が分かっているのかが、分からなかったからだ。

「‥‥・あなたが‥‥‥‥作ったのね」委員長が小さな声で言った。

次回へ続く

創作雑記 (3)

今回は、新型コロナウイルス感染の影響下、思わぬ形で再会したテレビドラマについて記してみたいと思います。
三月下旬或いは四月上旬頃からだったか‥緊急事態宣言の中、各放送局が撮影の滞った連続ドラマの枠の差し替えに使った古いタイトルの「編集特別版」なるものが、いくつか放送されていました。
その中の一つに、「野ブタ。をプロデュース」があったのです。
出演は亀梨和也、山下智久、堀北真希。脚本は木皿泉。最初の放送は2005年、日テレ系夜九時からで、今回と同じ枠でした。
思いがけない再会に感慨を覚え、結局最終回まで観させていただきました。

脚本家の木皿泉は、御夫妻の共同ペンネーム。私が最初にその名を認識したのは、2003年やはり同じ枠で放送された「すいか」でした。私は痛く気に入り、私的に丁度辛い時期ではありましたが毎週その時間だけは幸せな気持ちになれたのを覚えています。
ユーモアとウイットに富んだエピソード。どんな奇抜な設定においても、日常から離反せず地に足がついていて、社会の中に潜んでいる毒や不条理から決して目を背けること無くストーリーは綴られていきます。まるで、「生きるってのは‥・こういうことだろ?」と囁かれてるみたいでした。
「野ブタ。をプロデュース」然り、2010年放送の「Q10(キュート)」もまた然りでした。

創作雑記に何故こんなことを書いているかというと、テレビドラマにしろ小説にしろ、偶然の出会いの積み重ねが、いつの間にか創作の糧(かて)やエネルギーになっていると今回感じたからです。

そしてもう一つ。昔のドラマでは無いですが、こちらは新型コロナウイルス関連のNHKの特番「ウイルスVS人類3」を視聴した時の心動かされた出会いです。
番組は百年程前の世界的なパンデミック「スペイン風邪」を扱ったもので、1918年には日本でも45万人の死者が出たそうです。
スペイン風邪で人生観を変えられたという与謝野晶子の一文が、そのエンディングで流れました。
歌人、作家、思想家であり、数々の評論を残した女史の次の文章は、当時と重なる今の世情に対するあまりにも的確な提言に聞こえて、聞き流すことが出来ませんでした。そのまま引用させていただきます。

私は今、この生命の不安な流行病の時節に
何よりも人事を尽して天命を待とうと思います。
「人事を尽す」ことが人生の目的でなければなりません。
私達は飽迄(あくまで)も「生」の旗を押立てながら、
この不自然な死に対して自己を衛ることに
聡明でありたいと思います。