悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (225)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十

予見していた通り‥‥、目を覚ましたセナはそれまでの『高木セナ』ではなく、娘の死を含めてぼくと共に様々な時を乗り越えて来た、『大人のセナ』だった。
かと言って、大人の記憶が甦(よみがえ)ったのと引き換えに、『遠足での体験』を忘れ去ってしまったわけではない。彼女に言わせると、「リアルな夢を見続けていたあと、目を覚ました時」みたいに、大体を憶(おぼ)えている‥‥らしかった。

「どうして私も ヒカリさんも‥ 小学生になってるの?」
目覚めたセナにいくつもの質問を用意していたぼくを差し置いて、彼女の方から先に質問が飛び出して来た。
ぼくは、「飽くまでも自分の想像なんだけど‥ 」と前置きして、迷い込んだこの『時空』が、『いつかみんなで小学生になって、いっしょに遠足に行こう』などと、死ぬ前のソラと冗談めかして話した、そんな『約束の場所』なのかも知れない‥‥と答えた。
「 ‥そう‥‥ 」とセナは納得したでもなく、つかぬ言葉を漏らした。そして、遠足に来てからの記憶を一つ一つ精査でもしているかの様な長い間を置いてからぼくの目を真っすぐ見据(みす)え、こう言った。
「ツジウラ ソノさんは‥‥ 本当にソラ?」

「え?」
ぼくは、まるで虚を突かれたみたいに驚いてしまった。そして、その問いの内容の重さに、初めて気がついた。
「こ‥ これといった‥絶対的な確証は、ないんだ。だから、はっきりした答えを求めて、ツジウラの後を追ってここまでやって来た‥‥‥」ぼくは正直に答えた。
いくら約束していたからと言って、確かに『死んだ人間が生き返り、小学二年生の姿をして、転入生としてクラスのイベントに参加している』など、これが『奇跡』ならばその荒唐無稽さにも程(ほど)がある。『奇跡』と言うよりむしろ、『この山に棲む魔物』の力による『呪い』に近いのではないかと思った‥‥‥‥‥

「私にはこの遠足が、最初からまったく別の意味を持つイベントだった‥気がする」セナは小さな声だったがはっきりと、そう言った。
目覚めたばかりの『大人のセナ』には、物事の全体像を俯瞰(ふかん)できる冷静な目が備わっているのかも知れない。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
どちらも次の言葉を継(つ)げず、沈黙の時が流れた。そしてその沈黙は結果的に、ぼくがセナへと用意していた質問をひとつ提示する、ごく自然な機会となった。
「ところで‥‥ 君が気を失う寸前に口にしたことを憶えているかい?」
「え?‥」
「君はあの時、風太郎先生に向かって、『わかせんせい』と言ったんだ」
「えっ? あッ!」 途端にセナの顔色が青ざめた。おそらく、風太郎先生の首だけが回転してこちらを向いた場面を思い出してしまったのだ。肩が震え出し、彼女は両手で顔を覆ってしまった。
「ごめん‥ 嫌なことを思い出させた」 ぼくはそんなセナの肩に手を置いた。「‥大丈夫?」
肩の震えは治まらなかったが、彼女は勇気を絞(しぼ)り出すみたいに「大丈夫!」と返事をし、さらに先を続けた。

「あれは間違いなく、池ノ端南(いけのはたみなみ)病院の若先生! 小学校時代の私の記憶にある『風太郎先生』とは、似ても似つかないわ!」
「えっ?!」
「風太郎先生だけじゃないの! 教頭先生だって、葉子先生だって、たぶん水崎先生も! みんながみんな記憶にある小学校の先生じゃなくて、ソラがお世話になって来たいろんな病院の先生方と、置き換わってるの!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (224)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百九

日常生活で何気なく通り過ぎてしまう些細な出来事の中にも、『先入観』や『偏見』で目が曇らされ、知らぬ間にそのものの本質からかけ離れた『間違った認識』を持ち続けていた‥ということが、人には度々(たびたび)ある。
高木セナが気絶する直前に、風太郎先生のことを『若先生(わかせんせい)』と呼んだのは、そんなことの一つだったのだろうか?
「‥それとも、わけが分からなくなるほど、ただ気が動転してしまっていたのか?‥」ぼくは膝枕(ひざまくら)の上で眠る、高木セナの顔を見ながら呟いた。

先程まで波の様に押し寄せていた頭痛は、収まっていた。
風太郎先生は迷路の何処(いずこ)ともなく姿を消し、直線通路に高木セナと二人残されたぼくは、幾分冷静さを取り戻していた。
何はともあれ、高木セナの口から出た言葉の真意は、本人が意識を取り戻してから聞いてみるのが一番の得策であることに間違いはない。しかし、彼女を揺さぶってまでして目覚めさせる気は、ぼくにはなかった。彼女は今、この遠足に来てから初めての安らぎを手に入れているかも知れないし、もしかしたら‥『得てしてその意味への問いかけがつきまとう予知夢』と違って、差し障(さわ)りのない、子供らしい長閑(のどか)な夢を見ているかも知れないではないか‥‥‥‥

「‥‥‥‥‥‥・ 」 高木セナの顔から逸らした目線が、傍に置いてあった彼女のリュックを捉えていた。
ぼくはそれに手を伸ばし、ゆっくりと引き寄せた。そして「中を見るよ」と一応彼女に断(ことわ)ってから、ファスナーを開けた。
ぼくは、リュックの中から、高木セナのスマートフォンを取り出していた。

「これを使えば、もしかしたらセナはいつも‥みたいに‥‥‥」 ぼくはそう言って彼女のスマホを、彼女が枕にしているぼくの膝元辺りに置いた。そしてすぐさま自分のリュックを背中から外し、その中から今度は自分自身のスマホを取り出した。
ダメ元(もと)でも、試してみる価値はある。ぼくは自分のスマホを手に取り、( 大人の手ではなく子供のそれである分 )不器用にもどかしく両手を使って、操作し始めた。

操作を終えて僅(わず)かばかりのタイムラグ。やがて高木セナのスマホから、ポロロンロォン ポロン ー ー とピアノの音色が響き出した。彼女が着信音にしている『サティーのグノシエンヌ』である。
彼女はこの曲がお気に入りで、一時期、目覚まし時計の音としても利用していたことをぼくは思い出していたのだ。
グノシエンヌが流れ続けている。必ず効果はある。ぼくはそう信じていた。小学二年生の高木セナはまだこの曲を知らないだろうが、今の彼女の中に眠っているであろう本来のポテンシャルが、必ず大人の彼女を揺り動かす。着信音は続く‥。現に気絶する前、彼女は『若先生』という言葉を口にしている。それは既に『大人の彼女の眠り』が少しずつ綻(ほころ)びを見せている証拠ではないのか????
メロディーは続いていた‥‥‥‥‥‥

「‥う」
その時、小さな呻き声が確かに聞こえた。「セナ?!」と、ぼくは彼女の顔を包むように手を遣り、「セナ!!」と、彼女を見つめた。

彼女は薄目を開けてぼくの顔を不思議そうに見上げ‥‥‥、そして「ヒ‥ ヒカリさん?‥」と言った。

次回へ続く