悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (275)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百三十

ソラを失ってからのおまえは、クリスマスシーズンがやって来る度(たび)、クリスマスで浮かれる世の中を酷(ひど)く憎むようになっていたよなあ‥。クリスマスだけじゃなくて正月も、ゴールデンウイークなんかの行楽シーズンもいらいらしていた。つまり世間がいかにも幸せそうに、家族ぐるみでお出かけだの買い物だのに浮かれ騒ぐのを見ているのが、どうにも我慢できなかったんだ。
おまえはもう‥『娘や息子といっしょに楽しい時を過ごし、思い出を作っていく』そのために奔走(ほんそう)する当事者ではなくなっていた。これからは傍観者のままで‥ずっと、そういう時を過ごして行かなければならないわけだ‥‥‥

分かったような口を利くやつだ。『進言』などと言い出すから何を聞かされるかと思ったら、そんなつまらないことか‥‥‥

分かったような口を利いてるんじゃない。分かっているんだ。おれはおまえと一心同体だからな。
おまえが最近口にする独り言や、隠れてつく悪態は、ひとつ残らず知っている。例えば、クリスマスソングとイルミネーションで溢れた街角を、コートの襟を立てながら吐き捨てた一言は、セナが聞いていたら嘸(さぞ)かし嘆き悲しむことだろうぜ。

うるさい! 今さら何だって言うんだ! それをつまらないことだと言ってるんだ!

つまらなくはないさ。そういう行き場のない『妬(ねた)み』みたいな感情はそのまま解消されることはないからな、治まりはしないのさ。治まるどころかその矛先(ほこさき)は社会全体へと向けられていく。
おまえが毎日、新聞を読んだり、リビングでニュース番組を観ているだけで、まだまだ未熟な人間社会への不平不満なんかは否(いや)が応(おう)でも降り積もっていって、おまえの感情をますます刺激する。だから日増しに、おまえのお決まりの繰り言も熱を帯びていき、ついには『恨(うら)み辛(つら)み』から『怒り』の感情までが露(あら)わになったあげくの悪態の数々が、キッチンに立って後片づけをしていたセナの耳を時折(ときおり)汚すようになってしまったんだ。

「言いたいことはそれだけか!? これ以上聞かせるつもりなら、ぼくは耳を塞(ふさ)ぐ!」‥などとやつに忠告しようとしたが、耳を塞いだところで、頭の中に直接響くやつの言葉は遮(さえぎ)りようがないことに気づいてしまった。

そんでもって、ここからが本題だ。

やつの『進言』は、いよいよ佳境(かきょう)に入るらしい。ぼくは思わず天を仰いだ。天を仰いで唾(つば)を吐(は)こうとしたが‥‥ その唾を‥ゴクリと飲み込んだ。

次回へ続く

我為すことことごとくこれ蛇足也 其の七

ゴールデンウイークの一日

映画『真珠の耳飾りの少女』のことを考えていました。
若きスカーレット・ヨハンソン演じる娘が、フェルメール一家の暮らす家に使用人として雇われ、すったもんだあってから、彼女がフェルメールの代表作の一枚である『真珠の耳飾りの少女』のモデルを務める事になるというお話でした。
「‥確か、クリムト‥が登場する映画もあったっけ‥‥‥」 発想がそんな風に跳びました。
映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』がそうでした。主人公の老婦人が、彼女の叔母であるアデーレをモデルにクリムトによって描かれた名画『黄金のアデーレ』を、駆け出し弁護士の協力を得てオーストリア政府相手に訴訟を起こし、見事に取り戻すお話でした。
黄金週間(ゴールデンウイーク)にクリムトは相応(ふさわ)しいなどと、訳の分からない考えに取りつかれた私は、クリムトの画集を引っ張り出しました。
お目当ての『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像』を探してパラパラとページをめくってみると、黄金ではなくて、白い絵が目に留まりました。それは、クリムトの姪にあたる少女ヘレーネを描いた『ヘレーネ・クリムトの肖像』でした。私は、白の中に浮かぶその横顔が好きでした。

私は‥その絵をしばらく眺めた後(のち)、今度はノートを引っ張り出して、ヘレーネの横顔を模写し始めてしまったのです‥‥‥‥‥
ゴールデンウイークのとある一日は‥そういう一日でした。

蛇足の極(きわ)みですが‥この時期の連休を『ゴールデンウイーク』と名付けたのはどうも映画会社で、宣伝のためだったらしいです。

尚、横顔の模写は後々、ペン入れみたいなことを施(ほどこ)してからお目に掛けたいと思います。