第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十五
ぼくは、雑草が生い茂る地べたに突っ伏したまま、これからどういう行動を取るべきか考えていた。
正体不明の風太郎先生と彼に導かれたツジウラ ソノが、この巨大迷路の廃墟に向かっていたならば、先回りは出来たはずだ。ぼくの予想が外れていなければ、彼らは間もなくここに姿を現すに違いない。
今、自分から十数メートル前方に横長に連なる外壁(そとかべ)は、巨大迷路廃墟の南側にあたる。左に直角に回り込めば西側で、例の『林の中の道から見えた最初の赤い花』があった場所だ。そしてその正体である『水崎先生の腹を裂かれた死体』が逆さに吊り下げられていた壁で、ぼくが最初にそこを訪れた際、教頭先生の死体と、見知らぬ男女の死体も、後から次々とぶら下がっていった。
不思議なのは‥ぼくの頭の中にはどういう訳かそうやってここを訪れる以前から、巨大迷路の記憶がちゃんとあって、その記憶に間違いがなければ、西側とは正反対の、ここを右に回り込んだ東側に、巨大迷路の出入り口があるはずだった。
「巨大迷路の廃墟に用があってここに来て‥、中に入ろうとするなら、当然その出入り口を使うだろうな‥‥」
その出入り口とは、入口と出口が仕切り壁一枚で隣り合う形で設けられた形式になっていた。つまり入る時も出る時もここ一ヶ所、巨大迷路に出入りできる唯一(ゆいいつ)の場所なのである。
ぼくがここ南側の外壁の前で待ち伏せしていて、もし彼らが廃墟の西側に到着して、ぐるりと北側を通って東側に回り込んで行ったなら、ここだと見逃してしまうおそれがあることに気づいた。
「東側の‥出入り口が良く見える場所に移動しておくか‥」ぼくはそう呟いて、伏せていた草の地べたから身を起こそうとした。その時だった。
パシッ ザササッ サクッッ
ぼくのいる場所のすぐ左手の、丈の高い茂みの陰から、突然人が現れた。風太郎先生である。
ぼくは間一髪(かんいっぱつ)起き上がるのを止め、地べたの雑草の中にふたたび身を沈めた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぼくは微動だにせず、上目遣いの眼球を動かすだけで、現れた風太郎先生の姿を追う。彼は、ぼくのほんの四メートル前をぼくに気づくことなく、横切る様に歩いて行った。幸運だったのは、彼の視線はここに現れてからずっと、十数メートル前方の廃墟の外壁に向けられていた。そして彼の通り過ぎた後、すこし離れて追随(ついずい)して来たであろうツジウラ ソノが、その姿を現した。
ツジウラ ソノも視線を廃墟に向けたまま、ぼくの四メートル前をぼくに気づかず横切って行く。一歩、二歩、三歩‥‥‥ にわかに彼女が立ち止まった。
すぐ後ろにいるぼくに気づいたか?! いや、そうではなかった。廃墟の外壁のあまりの『異様な光景』に、目と体が釘付けになってしまったのだ。彼女の後姿のリュックを背負った両肩が、ガクガクと震え出したのが見え、そうだと知れた。
当然だろう。普通の人間なら、卒倒しても不思議ではない。外壁のあちらこちらには、腹を裂かれて真っ赤な臓器をはみ出させた逆さまの死体が、いくつも吊るされていたのだから‥‥‥‥‥
ヒクッツ!
息が詰まる様な音がした。ぼくは、ツジウラ ソノが過呼吸の発作を起こしたのだと思った。彼女を救うため、すぐに地べたから起き上がって彼女に駆け寄り、彼女の手を掴んでこの場所から連れ出さなくてはならない。咄嗟(とっさ)にそう考え、ぼくは体を動かそうとした。
しかし、それはぼくの大きな勘違いだった。
次にツジウラ ソノから聞こえて来た音は‥‥ 紛れもない彼女の歌声 ‥だった。
次回へ続く