第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十五
ぼくと高木セナの背後へと、例の窪地は遠ざかって行く。
何だ?? この違和感は‥‥・
ぼくは今すぐ振り向いて、違和感の正体を確かめたい衝動に駆られていた。しかし、高木セナと一緒でそれは出来ない。ぼくは懸命に堪(こら)えた。
隠し通せるなら、それに越したことは無い。ぼく以外の人間が、あんな『風太郎先生の無残な末路』を見る必要もないし、知る必要もないのだ。
高木セナの手を握り、黙りこんだまま、駐車場へ向かってただ歩を進めた。違和感への問いかけは答えの出ないまま、いつの間にか胸騒ぎのようなものに変わっていった。
「い‥痛い、ヒカリくん」突然、高木セナが訴えた。「手が、痛い」
「あっ ああ ごめん‥」ぼくは慌てて、高木セナと繋いでいた手を放した。知らないうちに強く握ってしまっていたらしい。
「何か、気にしてる? 気になることがあるの?」
「‥ああ もちろん、ツジウラのことだ。ツジウラのこと、考えてた」ぼくは誤魔化した。
「そう‥‥‥」高木セナは、やや上目遣いにぼくの様子をしばらく窺っていた。
余計なことに囚(とら)われている場合ではないと、ぼくは心のざわめきを押し込め、「行こう」と前を見た。すると、仕切り直しをするみたいに今度は高木セナの方から手が伸びて、ぼくの手を優しく掴(つか)んでくれた。
ぼくと高木セナは、駐車場に到着した。
二人して油断なく辺りに気を配りながら、迷わず北東側にある駐車場出入り口付近、舗装道路が良く見渡せる場所まで行った。
ぼくはリュックの中から、風太郎先生に無断で拝借している例の双眼鏡を取り出した。早速両手で構え、ピントを合わせながら、舗装道路を手前から先へとゆっくり舐(な)める様に観察していった。
「どう? ツジウラさん、いる?」
「‥‥いや」
雲に覆われた空の下、真っすぐ北へ伸びる舗装道路上には、一切の人影はない。ぼくは、道路の左右周辺部まで視野を拡げ、さらに観察を続けたが、ツジウラ ソノを見つけることは出来なかった。
「ねえ、ヒカリくん。ツジウラさんのリュックには、『未来の携帯電話』は入ってないかしら‥」
「え?」高木セナの問いかけに、ぼくは双眼鏡を目から外した。
「だって、ヒカリくんのリュックにも私のリュックにも、知らないうちに『未来の携帯電話』が入っていたでしょ? ツジウラさんが本当に『未来のソラちゃん』だったら、彼女のリュックにももしかしたら、同(おんな)じように入ってるんじゃないかと思って‥‥。入っていたなら、私の時みたいにその携帯電話を鳴らしてみたら、ツジウラさんの今いる場所がわかるかなあって‥‥‥」
「ああ、そうか!」ぼくは、高木セナの発想に素直に驚き、感心した。
だが、それは考えられないと同時に思っていた。ソラは小学校へも上がっておらず、まだ幼かったのだ。確かに自分の携帯電話を欲しがってはいたが、ぼくたち夫婦はまだ早いと考え、持たせなかった。
「未来では‥ソラはまだ小さすぎて、携帯電話は持っていなかった‥‥はずだ。ぼくの頭の中に流れ込んできた記憶ではそうだよ」ぼくは、高木セナに嘘をついたシチュエーションのままで答えた。「だから、ツジウラのリュックに入っているはずが‥ない」
「そ‥ そうかぁ」高木セナは、『本当に残念そうに』残念がった。
ぼくは、そんな彼女の豊かな感情表現を束の間(つかのま)、愛(いと)おしく眺めていた。
‥と、ある記憶が突然、頭の中に蘇る。
そう言えば、未来の高木セナ‥である妻が、新しいスマートフォンへの何回目かの機種変更を済ませた後、古いスマホをソラに与えていたことがあった。ソラは大喜びして燥(はしゃ)いだ。そんなソラに妻は、「それはもう、カイセン(回線)が『死んじゃったスマホ』なんだから、お電話はできないからね」などと‥念を押していた。
次回へ続く