第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十三
突然訪れた‥娘『ソラ』の死。その打ちのめされるほどの悲しみは、何も生みはしなかった。
むしろ僕から、生きる意欲を奪い去り、これからの人生の意味さえも見失わせた。
ソラがいなくなって生じた『空白』は、日々の生活のいたるところにつきまとい、悲しみの涙に暮れる僕と妻の心を疲弊(ひへい)させていった。
このままでは駄目になってしまうことは目に見えていても、人や信仰に頼りたくはなかった。仮に何かでその『空白』を埋めようとしたり、蓋(ふた)をしたり隠したりして誤魔化(ごまか)したとしても、それは、かつてソラが確かに存在したことの紛れもない証(あかし)に相違ない『ソラの空白』に対する明らかな冒涜(ぼうとく)であって、安直で愚かな弱さからくる裏切り行為だと考えるようになっていたのだ。
つまり、ソラを失ってみて骨の髄(ずい)まで身に染みて理解したことだったが、この世の何をもってしても『ソラの空白』は絶対に埋まらないし埋めることはできない。世の中がひっくり返る様な奇跡でも起きて、ソラが元通り生き返りでもしない限り‥‥‥‥‥
「・・‥‥大丈夫、もう大丈夫だ」
頭痛が治まっていったので、ぼくはゆっくりと身を起こし、傍で心配そうに覗き込んでいる高木セナに声をかけた。
「ごめん。私のせいね‥ 私が変なこと聞いたから‥‥」彼女は少し、べそをかいていた。
「違うよ、違う。急に疲れが出たんだと思う。何せ、いろんなことがあったから‥」ぼくは嘘をついた。
この遠足に、小学二年生の姿で身を置いることに気づいてからの、『いったい‥ここはどういう場所で‥‥、ぼくは‥どうなっているのか??』という率直な疑問。遣り過ごしてきたこの疑問に、初めて真正面から向き合おうとした時、頭痛が起きたのだ。それはやはり、高木セナの、「ヒカリくんは『別の記憶』はないの?」という質問が切っ掛けだった。
もう、あんな‥頭の中がどうにかなってしまいそうな酷い痛みは、ごめんだ。ぼくはあっさりと、自分がどうして遠足にきている?とか、自分はどうなっている?とか、考えるのはよそうと思った。そう‥、自分でも不思議なくらいあっさりと、何の躊躇(ちゅうちょ)もなくだ。そうすることが至極(しごく)当然だとさえ、考えていたのかも知れない。
「君にだけは‥、正直に言っておくけど‥‥」ぼくはいきなり、高木セナに向かって切り出した。この場の今だけでも、適当に収めておこうと、謀(はか)ったのだ。「ぼくには、大人だった記憶があるんだ。たぶんそれらは未来の記憶で、そこでは、君とぼくは夫婦だったし、ソラという娘もいた。全部、君の見た『夢』の通りだ」
やはりいきなり、そんな話を切り出された高木セナは、目をまんまるにして聞いていた。
「だったら! もっもしかしてヒカリくんは、未来から来たって?いうこと??」彼女は興奮して聞き返してきた。
ぼくは冷静に、あくまで冷静に、首を横に振った。
「そんなこと、あるわけないよ。ぼくが、大人になってるみたいな記憶があるのは‥、いつの間にかそういう記憶が、勝手に頭の中に流れ込んできたせいなんだ」
「ええっ? 勝手に、頭の中に??」彼女は、今度は目を白黒させた。
「そんなに驚くことないさ。君だって、時々『夢』で未来のことを見てるじゃないか」
「あ‥ そうか‥‥‥」高木セナは我に返った様に頷いていた。
ぼくもつられて、大きく頷いた。
彼女に話した内容は、適当に考えた嘘だった。これでまた、『ずっと遣り過ごしてきた例の疑問』への問いかけは、先延ばしにできた。あの嫌な頭痛を体験しなくて済むのなら、それに越したことはない。ぼくは心底、そう思っていたのだ。
次回へ続く