第二夜〇仮面 その二十二
「沼で待つ!」
スマホへの着信。ディスプレイに表示された認識不能のドット集合体の羅列の中、拾い出した五つのカタカナらしき文字は確かにそう解釈できる「意味を成した文章」に見えた。
そして、私はその解釈を信じた。なぜなら、「胎内くぐりの洞窟を体験した直後」の私だったからに他(ほか)ならない。胎内くぐりを体験する事で、「きっと何かが変わる」、「必ずや事態が変化する」と言う根拠のない期待が何時(いつ)しか芽生えて膨らんでいき、はっきりと自覚しないまま、現状を打破したいと願う私の「心の拠り所(よりどころ)」となっていたのだろう‥‥‥‥‥。
「認識できないでいた並行世界に、何か決定的な異変が生じたんだ!みんなが沼で私の現れるのを待っている!」
さらにはその解釈に身勝手な憶測も加味されて、私の頭の中は湧き立っていった。居ても立っても居られなくなった。
私は山を下りて行った。まだ身体のあちこちが痛かったし、特に顎(あご)のあたりには明らかな違和感が残っていた。それにあたりはすっかり日が暮れきった夜である。しかし、心が逸(はや)った。できる限り急ぎたかった。
胎内くぐりの洞窟の出口からの下り道は入り口への道とは別ルートになっていて、幸い、勾配が比較的緩やかでジグザグに折り返す回数も少なかった。夜の暗さは空に輝く満月が、足元が危うくならない程度に照らしてくれた。
来た時よりもずっと奥まった位置ではあったが、思っていたよりも早く「山道」まで下りることができた。後は沼のある「ひるこ神社」まで、この山道を戻るだけ。
「待ってて!みんなぁ!」
小走りとはいかないまでも、一生懸命足を動かした。僅かなでこぼこや小石に転びそうになりながらも、気持ちには張りがあった。いつの間にかスカートのポケットに手を突っ込み、来る途中で別々に拾った二つの「お菓子の包み紙」を一緒くたにして、強く握りしめていた。
やがて山道の右手に、どす黒いシルエットとなって神社の鳥居が見えてきた。私は微塵(みじん)の迷いもなく、その鳥居をくぐった。
「月‥‥‥‥‥」私は思わず足を止めてしまった。
満月‥。空にある‥満月の光‥‥が、沼全体を銀盤のごとく浮かび上がらせていたのだ。
それは、夕暮れ前の景色とはまったくの別物の、別世界の、幻想的な光景だった。
私は沼に見とれながら、やはり黒いシルエットとなった拝殿を迂回して石碑のある所まで行った。みんなが待っているとしたら、水際のこの場所である気がした。
だが、そこには誰もいなかった。沼の水に向かって続いている敷石を目で追ってみたが、どの石の上にもやはり人影は見当たらない‥‥‥‥‥‥
「‥え?」
目で追っていた敷石の連なりが水の上で途切れているその先‥‥‥、ずっと先の‥‥沼の真ん中辺りにあった何かが視界の隅に入った。
私は改めてその何かに視線を向ける。
「ぅ‥うそ‥‥‥‥」
信じ難い事だがそれは人に見えた。沼の水面(みなも)の上に人が立っている。いち‥にい、さん、しいぃ‥ご‥‥、それも五人いる‥‥‥。
それは紛れもない‥‥みんなの姿だった。
次回へ続く