悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (62)

第二夜〇仮面 その六

「おじいさんの骨董屋」に辿り着いたのは、観光案内地図を離れてから10分以上たった後だった。

行ったり来たりして二度もその前を通り過ぎていた。店の間口(まぐち)が狭く、両側の建物の隙間に埋もれる様に建っていたからだ。おまけに、掲げていた木製の看板も考えていたものより小さく古びていて、文字が目に留まらない。看板自体がまったくの骨董品だった。目的の店の前に立った時、私は呻(うめ)き声みたいなため息をついていた。
通り過ぎてしまったもう一つの原因は外観にもあった。その骨董屋が、骨董屋には見えなかったのだ(もっとも、一般的な骨董屋がどういうものか知っているわけではないが)。どこか‥・一時代前の喫茶店の造りを思わせた。もともとが本当にそう言うお店だったのかも知れない。私は、赤 青 みどり 黄色のカラフルなステンドグラスが嵌(は)まった木枠のドアをゆっくりと押し開けた。

迎える声は無かった。声の代わりに私をさり気なく迎え入れてくれたのは、店内に流れていた落ち着いたピアノの旋律‥‥‥‥。私はその曲を知っていた。お気に入りでもあった。サティの『ジムノペディ第一番』だ。
傘付きのランプを模した照明が縦長の店内の二ヶ所に吊るされ、陳列された品々を絶妙な明暗のグラデーションで浮かび上がらせている。手狭な場所を想像していたが、意外な程に奥行きがあった。
単なる文字のイメージに過ぎないが、「骨董屋」と言うより寧(むし)ろ「アンティークショップ」と呼んだ方がしっくりくる印象だった。ほど良い調和を保って並べられている西洋の調度類、工芸品などを目でゆっくりとなぞりながら店の一番奥まった所の薄暗がりに顔を向けると、照明の光を反射して、丸い眼鏡のレンズが二つ、その中に浮かんているのに気がついた。

「あ‥あっ、こんにちわ」私は慌てて挨拶する。
丸眼鏡の光がスーッと上に移動した。どうやら腰かけていた人物が立ち上がったらしい。
「随分と若いお客さんだね。こんにちは」そう言いながら奥の薄暗がりから現れたのは、おそらくこの人が「骨董屋のおじいさん」、スラリと背筋が伸びた面長の顔の老人だった。首元までボタンの留められたシャツにベストを合わせ、白髪はきちんと後ろにまとめられ、丸眼鏡のレンズの向こうには品の良さそうな細い目が優しく輝いている。やはりここは「アンティークショップ」であって、おじいさんは「アンティークショップのおじいさん」である‥と思った。

「あなたは先ほどから、店の前を何度か行き来していた様だが‥‥、ここを探していたのかね?」おじいさんが落ち着いた声で質問してきた。
「そっ、その通りです」全部見られていたんだと、顔が少し赤らむのを感じながら私は答える。「ちょっと訳の分からない‥・いえ、かなり訳の分からない事があって、ご相談したくて来ました」
「ほう‥‥‥‥」
おじいさんは店の奥に手招きし、商品かも知れないシャレた感じの木製の椅子を私に勧めた。自分は、年代物に見えるレジスターの乗っかった机とセットで置かれていた椅子に腰かけた。先ほどもたぶんここに座っていたのだ。
「何があったか多少は予測がつくが、取り敢えず伺いましょう」
「ありがとうございます」私はペコリと頭を下げ、椅子に座る時に肩から外して膝の上に置いていたリュックから、「みんなの顔」を慎重に取り出した。
おじいさんはそれを目にするなり、「やはり‥‥‥」と呟いた。

次回へ続く