悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (50)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十五

はたして‥‥どれくらいの時間が経過していたのだろう‥‥‥‥‥‥
視界に入るものの輪郭と色彩が徐々に戻り始め、今自分の居る場所と自分の置かれている状況が認識できる程になった時‥‥マイム・マイムの音楽放送が止んでいるのに気がついた。

俺は生きていた。
さらに、信じられない事に‥‥全身の痛みが消えている。
よ‥良かった‥‥‥助かったんだ‥‥‥‥‥‥
いや‥‥待てよ?もしかしたら死んだのに‥それが分かっていないだけかも知れないじゃないか‥‥‥‥そう考えた時、背後から声が聞こえた。
「これですっかり、もとに戻ったよ‥」

「もとに‥・戻った?」俺は振り向いた。
彼ら子供たちが少しの距離を置いて、全員で俺を見ていた。そして俺が振り向く事を待っていたかの様に、すぐにその内の数人が動き出した。細長い板状のものをそれぞれ二人がかりで抱えてこちらにやって来て、俺のまわりの前後左右に四枚、等間隔にそれを据(す)えた。
据えられたのは鏡であった。校内のあちこちに姿見(すがたみ)として掛かっていたものを持ち出して来たのだろう、鏡の中には椅子に腰かけたままの俺の全身がすっぽりと映し出されていた。
「‥え??」

俺は自分の目を疑った。思わず椅子から腰を浮かせ、正面に据えられていた一枚にふらふらと近づいていった。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
確かに戻っていた。顔や体には傷一つ見当たらない。しかし、「戻った」の本当の意味はそれではなかったのだ。
鏡に映っていたのは少年。信じられないといった表情でこちらを向いている、見覚えのある小学生の頃の俺の姿だったのだ。
「俺はいったい‥‥どうなったんだ?」
「こんなものを身につけていたから、虫に食われたんだ」彼らの一人がそう言って、粘土でできた例の巨大排せつ物のオブジェの側を指差した。
そこにあったのは無造作に床に積み上げられた肉片。おそらく俺の全身から削ぎ落とされた皮と肉。赤い血にまみれ、黄色い脂肪でてらてら光ったそれらにはまだたくさんの虫たちが食らいついたままになっていて、もはやはっきりとした虫としての特徴を有していない大小様々な黒い異形たちが今もなお、かつて俺の一部だったものを攻撃し続けていた。
「‥こんなものを身につけていたから‥‥‥‥‥」俺は呟いた。そして、その言葉の意味を推し量った。

俺が小学生に戻ったのなら‥‥‥‥削ぎ落とされた血肉は、つまりは成長して今に至るまで俺が少しずつ身につけ、身につける事によって縛られていった(彼ら子供たちにとっても一番気に入らないものでもあろう)知識や常識 良識の類(たぐい)だとでも言うのだろうか‥‥‥‥‥‥。
否、違う。委員長との事だ。虫が関わっているんだ、そうに決まっているではないか。
思い当たるんだ。鏡に映る自分の姿が、表情が、教えてくれている。
あの日‥・だ。あの日から始まった事‥‥だ。あの小学六年生の夏休みが終わって最初の登校日だ。あの日あの場所でヘアバンドを外した委員長の頭にハゲを見つけ、彼女を笑い者にしたあの時から始まり‥‥‥そしてそれ以降、忘れるどころか年々大きくなっていった感情‥‥‥‥‥‥‥

「後悔‥‥・」
俺は鏡の前に跪(ひざまず)いた。

後悔だ。
きっと削ぎ落とされた血肉は‥‥俺の今まで纏(まと)ってきた、纏い続けてきた「後悔」で出来ているんだ。
後悔が、やがて裁きを求め、罰として虫の苦痛を連れて来たんだ‥‥‥‥‥‥‥。

「この顔が‥‥‥後悔が始まったあの日の顔かも‥・知れないな」そう言って俺は、鏡の中の自分の顔に静かに手を置いた。

 
「はっ」俺は我に返って息を飲み込んだ。
突然、委員長を見た最後の光景を思い出したのだ。
「委員長!」俺は叫んでいた。
「委員長はどうなった⁉」そう叫んで、彼女が立っていた教壇を見た。

教壇には‥‥‥‥‥‥
少女がいた。
放心した様子で、床にへたり込んで俯(うつむ)いている。
どう見ても、小学生にしか見えない華奢(きゃしゃ)な身体つきの少女であった‥‥‥‥‥。

「‥・委員長」
俺には分かった。彼女は、あの時の委員長だった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (49)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十四

やめろぉ!やめるんだ!
俺は叫んだつもりだった。しかし、傷の痛みを堪(こら)えて歯を食いしばっていたため、口は動いていなかったし声も出ていなかった。
委員長の髪が引っ張られた。スカートが引っ張られ、ブラウスの袖が引っ張られた。
委員長の首が傾き、体が傾き、取り囲んでいた「彼ら」子供たちの中に飲み込まれる様に見えなくなった。
たくさんの鋏(はさみ)が、たくさんの何かを断ち切る音が響き出した。

「やめろォォ‼」たまらず叫んだ今度の声はちゃんと出ていた。

「何あわててるの?」「落ち着きなよ」「あの子は君を困らせてたじゃないか‥‥」
いつの間にか俺の周囲にも彼らがやって来ていて、椅子の上で膝を抱えて虫の攻撃と痛みを耐えている俺の顔をみんなで覗き込んでいた。
「さあ‥その虫たちを取ってしまおう」彼らは手に手に太めのペン状のものを掲げた。それは‥‥丸刀、平刀、三角刀‥‥・様々な刃先を持つ彫刻刀であった。
「虫たちを、噛みついている傷ごと、まわりの肉ごと全部削ぎ落としてしまえば、すぐに元気になるよ。また前みたいに元気で遊べるよ」

何を言ってるんだ??‥そう思った。
俺がそう思っている間に彼らはすでに動きだしていて、それぞれの彫刻刀を振りかざし構えた。
「ほっ本気なのか?おい?おい!冗談じゃないぞ!おい!」
俺は椅子の上から身を沈めて逃げようとしたが、なぜか体が動かなかった。手も足も固く力を入れた状態のままでピクリとも反応しない。長い間力を入れ過ぎて体の感覚が麻痺(まひ)してしまったのか????このままではされるがままではないか!焦った俺は何回も瞬きをし、彼らを止めようと堪(たま)らず声を上げた。
「おまえら‼」
しかしその声が上がった瞬間にはもう、体のいたるところに彫刻刀の鋭い刃が突き立てられていた。
ぞぞぞぞぞぞぞぞおおおーーーーおぉぉ
肉を削ぐ音が独特の振動と共に耳の奥まで伝わって来た。今までとは比較にならない痛みが全身を貫いた。
絶叫(ぜっきょう)。絶叫。絶叫。否、絶叫していない。絶叫出来ていない。顔にも首にも虫が食らい付いていたというのか、彼らは俺の喉(のど)と右頬(みぎほほ)に彫刻刀の刃を突き刺し、叫ぶために必要な一連の動作をする能力を俺から奪い去っていたからだ。
頬に刺さった刃は口の中まで物の見事に貫通していて、刃先が舌に当たった。
血の味、血の臭い、血のぬめり。それは決して口の中だけで感じているのでは無く、俺の全身から立ち昇る血けむりに自ら包まれていく感触であっただろう。
正常では到底受け止め切れない絶望的な痛みの中‥‥しだいに意識が混濁していく‥‥‥。

俺はこのまま‥‥‥きっとこのまま‥‥‥‥‥‥
その刹那(せつな)、フラッシュバックの様に頭に浮かんだ映像があった。
大量発生したイナゴの大群が、緑の草原を見る見るうちに死の荒野に変えていく光景‥‥‥‥‥

次に浮かんだのは、流れて渦巻く黒い雲‥‥‥‥
違う、雲ではない、鳥だ。野生化して大繁殖したセキセイインコの群れが、夕暮れの空を一斉に飛翔しているのだ。

そして最後に浮かんだのは、記憶にある一枚の絵。あるいは複数の絵の部分部分が一枚に寄せ集まったものかもしれない‥‥‥‥
「ブリューゲルの絵画」に違いない。それは分かった。
その一枚が、「マイム・マイム」の曲に合わせてざわざわと‥‥蠢(うごめ)き出した‥‥‥‥‥‥

俺の意識は‥‥‥ホワイトアウト‥した。

次回へ続く