悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (23)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その八
それが‥‥たとえばテーマパークのアトラクション体験で、ふたり手を繋いでのデートだったらどんなに嬉しかったことだろう‥‥‥‥‥
俺は‥・委員長に手を引かれて、得体のしれない空間に足を踏み入れている。見せかけは学校の廊下だが‥‥そうであるはずがない場所に‥‥‥‥‥。

リノリウムの床が微かに、怪しく光っている。
俺と委員長はその光に一歩一歩足を載せる様にして、ゆっくりと進んでいった。

「‥‥震えてるの?怖い?」委員長が小さな声で言った。
「震えてなんかない。怖かないさ、ただ‥‥‥‥」俺は慌てて答えたが、後の言葉は出てこなかった。まさか正直に、きっと君と手を繋いで胸が高鳴っているからだとも言えまい。
しかし、良く言われる「吊り橋効果」の解釈で、今のドキドキがもしかしたら、この「とんでもない吊り橋」を渡っているせいではないのかと思えてきた。

と‥その時、誰もいないはずの背後で、キュッと床を鳴らす靴の音がした。
振り向く暇(いとま)も無く、何者かが、委員長と俺の間をこじ開ける様に体当たりしてすり抜けて行った。瞬間、何故か白い煙が上がった。
「何⁈」「ゴホゴホ!」
俺と委員長の繋いでいた手が解(ほど)けた。
黒い小さな影法師が駆けている!両手に何かを持って、大量の白い煙を立てながら走り去って行く!
「おい!待て‼」俺は追いかけようとした。
きゃはははははははーー
不気味な笑い声を響かせながら、そいつは物凄い敏捷さで、遥か前方の薄暗がりにあっという間に見えなくなった。

「‥チョーク‥‥‥」
委員長の呟きに、俺は振り向いて彼女を見た。
彼女のブラウスとスカートは、真っ白に汚れていた。
「だっ、大丈夫か?」
「大丈夫‥・どうやらこれ、チョークの粉‥‥」彼女は俺を見て、小さく笑った。「あなただって真っ白よ」
委員長の言う通りだった。

「私達、チョークの粉がたっぷり付いた黒板消しで叩(はた)かれたみたい。大した歓迎だわ」
「よっ、良く落ち着いていられるな。驚かないのか?この中に人がいたんだぞ!」

委員長は、俺の詰問に答えること無く、真っ直ぐ俺を見て静かに言った。
「タイムカプセルはただの容器。入れてある中身を保護する入れ物に過ぎない。この校舎がタイムカプセルなら、やっぱりただの入れ物‥‥‥‥」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「最初から問題は‥‥何を入れてあるかなのよ」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (22)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その七
委員長は‥‥真っすぐに伸びている廊下へと‥・俺の手を引いてゆっくりと歩き始めた‥‥‥‥。

不意打ちの様な委員長の行動に、得体の知れないこの「もう一つの校舎」に閉じ込められたことへの動揺はすっかり消し飛んでいた。
俺は、激しい胸の高鳴りを抑えられないでいる。繋がれている手からそれが伝わって、これまで秘めて来た感情を彼女に知られてしまうんじゃないかと思った。

俺はずっと‥‥‥そして今でも‥‥委員長のことが好きだったのだ‥‥‥‥‥

俺が、委員長と初めて同じクラスになったのは、五年生の時だった。
俺の小学校では二学年ごとにクラス分けがあって、五年生から六年の卒業まで彼女は俺のクラスメイトであり、文字通り「委員長」だった。
彼女は利発で成績も良く、どの先生からも一目置かれる存在だった。
整った顔立ちと長い髪、いつも背筋がピンと伸びた感じで立ち振舞い、どこか育ちの良さを漂わせていた。それでいてお高くとまった印象は与えず、程良い距離を保ちつつ色んな子の面倒を見る。恐らくクラスのみんなは彼女が、「ちょっとだけ年上のお姉さん」であるかの様な錯覚に陥って、慕っていたのではないだろうか。
無論、パワーバランスとして彼女を良く思わない者もいるにはいたが、委員長の印象的な個性のひとつ、誰にでも分け隔てなく「真っすぐ相手を見て」誠実に接するという行為は、彼らを沈黙させるに十分な美徳であった。

俺は、委員長と同じクラスになった五年生の新学期から、すでに彼女を意識するようになっていた。
相手は女子だし、話しかける勇気などあるはずもない。ただ、委員長のいるところでは彼女の視線を絶えず意識していて、男子の仲間と喋ったりふざけ合ったりする時も、大げさに、やや大きめの声を出して、彼女がこちらを見やしないかとチラチラと目の端で窺(うかが)ったりしていた。何かのきっかけを作ることで彼女の方から接近してくるのを期待していたのだろう。
要するに、委員長の気を引きたかった訳だが、その頃はまだ、自分の中に芽生えていた感情がいったい何であるのかなんて考えもせず、馬鹿げた毎日をまったく省(かえり)みることのない愚かな少年だったのだ。

そして、やがて起こる‥・そんな愚かな少年だった俺を更なる愚行に駆り立てることになる‥ある些細な出来事‥‥‥‥
その出来事が、後の小学校生活での俺と委員長のふたりの立ち位置を決定づけてしまうのだ‥‥‥‥‥。

次回へ続く