悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (13)

序〇糞(ふん) その十三
「どっ、どういう事だい?」
男は戸惑った。そして同時に、少年が、少年の姿に見えるこの人物が、一体何者なのかという疑問がさらに強くなった。

「あんたは確かにいいお客になるに違いねえ。より強い刺激を求めて、次から次へとこいつを買い求めて下さるだろうからな」
「‥ああ、確かにそうかも知れない。それで、依存症にでもなるというのかい?」
「おいらが言いたいのは、こいつで見る悪夢は、人間が新しい技術で拵(こしら)えた映像やアトラクションを体験するのとは訳が違うって事だ。こいつを試すのは言わば、他人の脳が放流した混沌の水で出来上がった海原に、ちっぽけで無防備なボートを浮かべて漕ぎ出すようなものさ。あんたは刺激を求めてるわけだから、大波や嵐でも面白がって、転覆もせずに乗り越えちまうだろうよ‥‥・。だがな、あんたの精神のささやかな防壁であるはずのボートの底が少しずつ、ほんの少しずつ、腐食していってる事にあんたはきっと気付かない‥‥‥・」
「‥‥‥そして‥どうなるんだい?」
少年は男の表情をゆっくりと窺い、言った。
「何の前触れもなく、いきなり底が抜けて‥‥あんたは海の底に落ちて行く。恐らく二度と浮き上がってはこれまいよ‥‥‥」

男は、黙り込んだ。

「そういう人間がいたって話さ‥‥」

少年は作業に戻るため、徐(おもむろ)に立ち上がった。そして男に背を向ける際(きわ)、こう付け加えた。
「何もがっかりすることは無い、商品は適度に回してやる。その時はあんたの持ってる端末が、勝手に販売サイトに繋がるだろうよ‥」
「ほっ、本当かい⁈」男がにわかに色めき立った。
「ああ、あんたがここでこうしているのも何かの縁だ。悪い様にはしない‥・気長に待つこった‥‥・」

「‥・そうか‥‥待っていればいいのか‥‥‥・」男が、独り言の様に呟いた。

少年は早速新しい糞を見つけて、棒で突き始めた。
男は、少し後ろから少年の背中をぼんやりと見ていた。先ほどの悪夢の体験を、もう一度思い返してみる。
何と蠱惑(こわく)的な世界であったことか‥‥出来る事ならすぐにでも次を試したかった。これでは、美味しそうな餌の臭いだけ嗅がされて、お預けをさせられている犬の様ではないか、と男は思った。

「‥‥待てば‥いいのか‥‥‥・・」

ふと男がしゃがみ込んだ少年の尻の後ろに目をやると、ちゃんと中身の入った広口瓶が、蓋の開いたまま、草の上に無造作に置かれていた。
どうやら先ほど採取して手に持っていた塊を入れて、バッグにしまわずにそのままにしてしまったらしい。

男の視線が瓶に釘付けになった‥‥‥。

次回へ続く

 

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (12)

序〇糞(ふん) その十二
男が追いつくと、少年は低木の茂みを抜けたところにいて、既に新しい獏の糞を見つけて棒の先で突いていた。
「もう少し話を聞きたいんだが‥‥・良いかい?」
「‥‥‥‥」
男の問いかけに少年は、振り向きもしないし、棒を動かす手を止めることさえしなかった。
「‥・仕事の邪魔はしないさ。何なら、手伝いながらでも」
「昨日は、新月だったよな‥‥・」男の言葉を遮るように、少年が喋り出した。
そ‥そうだったかな‥・と男は相槌を打ったが、月の満ち欠けなど興味が無かったし、知らなかった。それを見透かした様に少年が返す。
「ふん、仕事に追われて月を観る余裕もないか‥‥」

「どれ‥・あんたが知りたいのはこいつの入手方法だろう?」そう言って、漸く少年は男に向き直る。手のひらには今見つけたばかりの丸い塊があった。
「ああ‥手に入るものならもっと試してみたいと思ったんだ」図星を指され、男は正直に答えた。「商売なんだろう?」
少年は頷いた。「販売は専用のサイトでやってる。だがちょっとしたからくりが施してあってね、普通にアクセスできるわけじゃない。誰でもウエルカムてなわけにはいかないのさ‥・客は選ばせてもらってる」
「客を‥選ぶ?」男は訝(いぶか)しげな表情を浮かべた。
「おいおい、誤解するなよ。これも客自身の為なんだ」

少年は、説明してやるといった体(てい)で草の上に座り込んだ。
「金を出せば他人様の悪夢を拝めるんだ、そりゃあ誰だって一度は試してみたいだろうよ。だがな‥‥中には試していかれちまう人間もいる」
「いかれちまう?」
「悪夢に中(あた)る‥・わけさ。他人の悪夢に同調しちまって呑まれちまう‥それでもって精神が病んじまうんだ‥‥」
少年は見つけたばかりの丸い塊を指で摘まみ上げ、光に透かすようにして見つめた。
「こいつにはまだまだ謎がある‥・試す人間との相性もあるだろうし、満月と新月の次の日に採れた悪夢はどうやらひと味もふた味も違うらしい‥‥‥」

少年の話を黙って聞いていた男が、ポツリと言った。
「‥俺は大丈夫さ。さっきの悪夢だって、面白かったくらいだ」
少年がニタリと笑った。
「それは分かってる。あんたが悪夢を見てる間、ずっと傍で観察してたからな」
そしてこう付け加えた。
「あんたみたいなのが‥・一番危ういタイプなんだぜ‥‥・」

次回へ続く