序〇糞(ふん) その九
この道は いつか来た道
男を見下ろしながらも、女は歌うことをやめない‥・
「‥姉さん‥‥一緒にいるのはやはり‥‥‥母さんなのかい?」
口を衝いて出た言葉は、男にとってもはや意外なものではなかった。
女は問いには答えず、ゆっくりと車椅子を前に押し出し、ゆっくりとその取っ手から手を離していった。
車椅子が大きく前に傾く。
ああ そうだよ
お母さまと 馬車で行ったよ
丘の頂上から、男が見上げて立っている場所に向かって、車椅子が落下し始めた。
最初はゆるゆると、徐々に速度が上がっていき、バウンドしながらガタガタと上下左右に大きく揺れだした。乗っているローブを被った人物も、まるで奇妙なダンスを踊っているかのように座席から体を浮かせ小刻みに跳ねまわった。
「だめだ!」
このまま加速していけば只事ではなくなる。
男は車椅子を止めようと、登り傾斜面を走り出した。
ダン!ダゴン‼
片方の車輪が何かに乗り上げ跳ね上がった。車椅子が宙に浮き大きく傾いた。
「母さん‼」
間一髪、男が身を挺して車椅子をねじ伏せた。両手でパイプの部分を摑(つか)まえ、足を踏ん張って全体重をかけて、その動きを止めた。
ローブの人物が慣性で前屈みのまま立ち上がり、男の右肩口に頭を乗せた。
被っていたフードが外れていた。
右に首を回した‥男の目前に‥‥顔があった。
死があることは何故か予見していた。しかしそこにあったのは、あまりにも滑稽(こっけい)な死であった。
すでに干からびきった老女の顔。目は落ちくぼみ、口は裂けたように大きく開いている。
最初、それらが何かは分からなかったが、見覚えがあった。編み棒である。
手編みに使う編み棒が、まるで前衛的なオブジェを創造したかのように、顔中無数に突き立てられていた。
次回へ続く
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