ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (59)

最終話「夕暮れ」 その十六
「人間は簡単ではない」と思ったこと   6年A組 網野成保

最近、兄が読んでいた本をかりて、ぼくも読んでみました。
「ジキル博士とハイド氏」というとてもこわい本でした。
ふつうの良い人であるジキル博士が、発明した薬を飲んで、悪い人間ハイド氏に変わってしまうという話ですが、ハイド氏はもともとジキル博士が隠していた性格で、心ではハイド氏のように生きたいと願っていたのです。ジキル博士は、ハイド氏になりたい時にだけ薬を飲みます。
どうやら、悪い人間の方が何にもおかまいなしにやりたいことを自由にできるのかもしれません。しかしハイド氏は、ぶつかって倒れた少女をふみつけて行ったり、老人をステッキでなぐり殺したりします。
やがてジキル博士は、薬を飲んでいないのにハイド氏に変わってしまうようになり、もとにもどる薬もだんだんなくなっていき、どうしょうもなくなって死んでしまいます。
本を読んだあと、自分にもハイド氏のような悪い性格が隠れていて、もし本当に薬があってそれを飲んだら、悪い人間になってしまうかもしれないと思いました。世の中の人たちもみんなそうなのかもしれないと思いました。
もしかしたら、話の最後のように、薬を飲んでないのに悪い人間に変わる人がいて、いろいろな事件がおこっているかもしれないと思ったら、とてもこわくなりました。これからは、人間のことを簡単には考えられないなあと思いました。

・・・・当時小学六年生の私が読書感想文を書いていたら、こんな感じになっていたかもしれません。

やはり「人間は簡単ではない」のです。簡単には出来ていないし、簡単に理解することも難しいのです。したがって人間が創り出す世の中もまた然り。それは、私自身「ジキル博士とハイド氏」を読む以前から、恐らくは私に物心がついた頃からすでに薄々感づいていたことなのです。
幾度「人間は素晴らしい」と思ったり「人間は最悪だ」と思ってきたことでしょう。

私は「安心」を手に入れようとしてきました。身のまわりで世の中で起こる不思議不可解な出来事、些細なことからトラウマになりそうな衝撃的なものまで、その起こった理由や原因をはっきりさせて理解し、「安心」したかったのです。

もし今の時点で「ジキル博士とハイド氏」を評価してみるなら、「人間の二重性」を認識させてくれただけでなく、「人間の逃れられない宿命とも言える精神の構造」に気づくきっかけをくれた本であったということでしょうか。さらに人間がかかわる出来事に「安心」を求めるのはなかなか難しい、それどころか自分自身も人間の一人であり、様々な不条理や悪行をまき散らす可能性がある存在で、自分にすら「安心」できないかもしれない・・・・そんな予感めいたことにも気づかせてくれました。

次回へ続く

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