ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (39)

特別付録② 「悲劇と迷走のオリンピック」その一
第五話「月の石」の前半で触れた1964年の東京オリンピックから2016年のリオデジャネイロオリンピックまで、夏の大会だけでも十四のオリンピックが私の人生を通り過ぎて行った事になります。

本来スポーツの祭典であるはずのオリンピックですが、突如としてとんでもない事態に陥ったり、政治的影響を受けて右往左往する様を何度か見て「これがオリンピックの現実だ」という事を痛いほど思い知らされました。
今回はそんなオリンピックについて記してみたいと思います。

1972年ミュンヘンオリンピック。
開催数か月前から始まった「ミュンヘンへの道」というアニメ番組がありました。実写を交えたドキュメントで、ミュンヘンでメダルを目指す日本男子バレーボールチームの成長を追います。
AクイックやBクイック、一人時間差などの攻撃方法を発想し実践していく過程などは非常に面白く、当時のチームのレベルからいってもメダル獲得の期待は番組が回を重ねるごとに高まっていきました。
オリンピックが始まり、実際日本男子バレーボールチームは勝ち進んでいきました。私も可能な限りテレビで観戦し、熱くなったのを覚えています。

そんな時、突然事件は起こりました。

選手村にパレスチナゲリラが侵入、イスラエル選手団を人質にとり宿舎に立てこもったのです。彼等はイスラエルで収監中の仲間の釈放を要求します。
しかし西ドイツ(当時)政府は特殊部隊によるゲリラ排除を決定、要求に応じるふりをして脱出用の飛行機を用意し狙撃手を配置して、人質を連れヘリで移動してきたゲリラ達を待ち伏せします。
結果、人質9名全員が死亡という最悪の事態となりました。
宿舎突入時に殺害された2名と合わせて、イスラエル選手団11名がテロの犠牲となったわけです。

ニュース映像で繰り返し何度も流れたのは、開会式で国旗を掲げ少人数ながら晴れがましく入場行進するイスラエル選手団の姿でした。
オリンピックスタジアムでは全てが半旗となり、オーケストラの奏でる悲痛な音楽の中、追悼式が執り行われました。

追悼式の中継を観ながら、私はこのオリンピックが中止にならない事を願っていました。4年に一度のオリンピックはやはり特別だったし、バレーボールの結果を最後まで見届けたかったからかも知れません。

IOCの決定は、「テロに屈する事なく続行する」でした。
一日以上の中断の後競技は再開され、日本男子バレーボールは見事金メダルを獲得しました。

私の記憶には、日本男子バレーボール活躍の試合とイスラエル選手団の入場行進は今も必ずセットで存在しています。

次回へ続く

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