別冊付録 第四話「死体」の周辺 その二
古式捕鯨発祥の地とされる「T町」ですが、その歴史は四百年前にまでさかのぼると聞いています。しかし、今回取り上げるイルカやゴンドウクジラなど小型の歯クジラ類(以降総じてイルカと呼称します)を捕獲する「追い込み漁」がT町で本格的に始まったのは比較的新しい様で、明治から昭和初期にかけての記録にちらほらと登場します。
「追い込み漁」の方法です。数隻の船で船団を組み出漁し、回遊するイルカの群れを発見すると取り囲むようにして船を進めます。前にも記した通りイルカが音に敏感に反応する事を利用し、それぞれの船のへりを叩いて音を出す、近年は金属の棒を海中に刺しそれを叩く事でイルカの群れの進路を変えさせ、最終的に湾や入り江の中に追い込んで網を掛けて退路を断つのです。
群れごと追い込む漁方ですから、一度に数百頭単位の漁獲が可能になります。
さらに、生け捕りですから湾や入り江内でしばらくの間様子を見る事もできます。
例えばすべてのイルカが水揚げされるわけではなく、地元の「くじらの博物館」は言うまでもなく水族館などの施設に飼育用として運ばれる場合も数多くありました。国内外で飼育されているイルカの大部分がT町で捕れたものだと聞いた時期もあります。
しかしながら少なからぬ数の群れごと一網打尽にするこの段階で、反捕鯨団体の批判を浴びるわけですが、さらにイルカを殺し市場に揚げ解体するに至っては言わずもがなです。
第四話「死体」に書いた、私が小学生の頃港の市場で幾度も見てきた光景流れた血で赤く染まる海水は、反捕鯨活動家の方々から見ればまさに大虐殺の現場そのものなのでしょう。
反捕鯨問題と言うのは様々な要素が綯い交ぜ(ないまぜ)になっている様な気がします。食文化の相違、偏見や宗教倫理観の隔たり、国家や団体のエゴや思惑などなど、真正面から対峙すると途方に暮れる感があります。
次回は、T町の今‥‥例の「トンネル」の話も含めて書いてみたいと思います。
もう少しお付き合いください。