ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (12)

第三話「秘密基地」 その一
固定相場で1ドルが360円だった頃、百円や五百円がまだ紙幣だった頃、私は小学四年生になっていました。

兄からのお下がりの自転車を時々乗り回すようになり行動範囲も格段に拡がっています。
私の町は吉野熊野国立公園の海岸部の只中にあり、絶景の二つの岬と澄みきった海を持つ自然に恵まれた環境で今思えば最高の贅沢だったのかもしれませんが、その価値に気づくのは随分と後になってからの事でした。

子供の興味の目線はいつも仰角にあるわけではなく、実際はたいがいが俯角の方向にあります。
自然の素晴らしさなどより例えばテレビに映し出されるだけで目の前に存在しないもの、目の前にあっても簡単に手に入れられないもの達に心を奪われているのです。
その日も私は駄菓子屋の前に自転車を無造作に留め、今買ったばかりの紐のついた「くじのハズレ」の飴を舐めながらショウウィンドーを眺めていました。

小さな出窓のようなショウウィンドーに所狭しと積まれたプラモデルの箱。
ひとつの機体が三つに分離して戦うことの出来る高性能戦闘機、ドリルの回転で地中を自在に進むタンクなど、未来への憧れのカタチが箱に入って飾られています。

小さな町ですが子供相手の駄菓子屋が指折り十軒ほど存在していて、駄菓子・玩具・くじ物のほか夏はかき氷、冬にはタコ焼きをだす店もありましたが、なかでも私のお気に入りはA店とK屋でそこにはプラモデルが売られていたのです。

当時の十円の価値は今の百円ほどでしょうか?
数十円の物はともかく大きな箱の高価なプラモデルはいつも眺めるだけの存在で、例えばお小遣いを貯金して買おうと計画しても、半分も貯まらないうちに店頭から消え失せているというのがパターンで、妥協するという事をこういう処で学んだのかもしれません。とりあえず今買えるものを買っておく。
おかげで小さなプラモデルはたくさん買った気がしますがそれはいつまでも満たされない気持ちを味わうだけの存在で、永遠に出ない「アタリ」の商品を眺めながら「スカ」ばかりを引き続ける感覚に似ていました。

フーッとため息をひとつ。
友達と遊ぶ約束もない夕暮れ時、私は自転車にまたがりゆっくりと漕ぎ出します。
季節は初秋、セミの声がいつの間にか遠のき小さなトンボが町中を飛びまわっていました。
プラモデルの事を考えながら走らせた自転車は気が付くと普段はあまり立ち入らない地域に私を運んでいました。

‥と瞬間‥‥微かに耳に届いたピアノの音。

自転車を止め辺りを見回す私。
私がこの後経験した感覚を例えるならば、「白い闇」とでもいうのでしょうか・・・

次回へ続く