悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (276)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百三十一

すべては‥ ソラを失ってしまったという現実を受け止め切れないでいる‥おまえの弱さから始まったんだ。

やつは重々しくそう前置きして、ぼくがあれこれと無駄な反応を示しながら話を茶化してしまうのを制した。

受け入れ難い娘の死に‥おまえもセナも、悲嘆に暮れる毎日が続いた‥‥。
しかしおまえらが、枯れるまで涙を出しても、娘の名を何万回叫んだとしても、ソラは戻らない。『死』は不可逆であり、決して覆(くつがえ)ることはないからな‥。だからいつだって『悲しみ』は残された者の活力を消耗させ疲弊させていく形の無い『供物(くもつ)』なんだよ。
だが、勘違いするなよ。おれは、そんなおまえやセナを、馬鹿げてると非難しているわけではない。おれ自身にしても‥‥、ソラへの『供物』は必要だったんだからな‥‥‥。

ほう‥ やつもやつなりに、娘の死を悲しんでいたということか。

悲しむのは当然だ。そしてその悲しみはやはり当然のごとく、簡単に消え去る様なものではないだろう。だが人は‥ 先立たれた人間は、誰もが容赦(ようしゃ)なくその後の人生をまだまだ生きて行かなければならない。悲しみを抱えながらもな‥‥。時としてそれは、膨大な時間、膨大な年月だったりする‥‥‥
おまえにも、その覚悟はあった。妻であるセナをこの先、しっかりと支えて行かなければならない。そのためにも、強くならなければと‥心に誓ったはずだ。おまえは実に誠実な人間だったよ。おれはいつもおまえの一番すぐ傍でおまえを見ていたが‥、おまえの妻や娘に向けられた真っすぐな眼差(まなざ)し、家族に対する愛は、いつでもどんな時でも本物だった。そいつはおれが保証してやるよ

な‥ 何だ? やつはぼくを褒(ほ)めているのか? こいつは驚いたな‥‥‥

ああ、おれだって褒めたい時は褒めるさ。だが、貶(けな)したい時も遠慮(えんりょ)はしない。よく聞いておけ。
おまえの誠実さは確かに素晴らしかった。しかし、素晴らし過ぎたんだよ。特に『ソラの死』に対する誠実さはな。
ソラを失ってからのおまえは、その深い『悲しみ』がゆえ、もうそれ以上ソラを失いたくなかった。生前のソラに対する記憶や思いを一切合切(いっさいがっさい)大切に囲い込み、『他のいかなる不純物』にも代わりをさせようとしなかった。悲しみを紛らわすことの出来たであろう細(ささ)やかな希望や楽しみ、先人たちが優しく手を差し伸べる信仰などをことごとく拒絶した‥‥‥‥
そして‥とうとう、心の真ん中に拵(こしら)えてしまったんだよ。とんでもないものをな。これ以上にない『純粋な空白』だ。ソラの形(かたち)、輪郭(りんかく)をした‥『ソラと言う名の空白』を‥な。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (275)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百三十

ソラを失ってからのおまえは、クリスマスシーズンがやって来る度(たび)、クリスマスで浮かれる世の中を酷(ひど)く憎むようになっていたよなあ‥。クリスマスだけじゃなくて正月も、ゴールデンウイークなんかの行楽シーズンもいらいらしていた。つまり世間がいかにも幸せそうに、家族ぐるみでお出かけだの買い物だのに浮かれ騒ぐのを見ているのが、どうにも我慢できなかったんだ。
おまえはもう‥『娘や息子といっしょに楽しい時を過ごし、思い出を作っていく』そのために奔走(ほんそう)する当事者ではなくなっていた。これからは傍観者のままで‥ずっと、そういう時を過ごして行かなければならないわけだ‥‥‥

分かったような口を利くやつだ。『進言』などと言い出すから何を聞かされるかと思ったら、そんなつまらないことか‥‥‥

分かったような口を利いてるんじゃない。分かっているんだ。おれはおまえと一心同体だからな。
おまえが最近口にする独り言や、隠れてつく悪態は、ひとつ残らず知っている。例えば、クリスマスソングとイルミネーションで溢れた街角を、コートの襟を立てながら吐き捨てた一言は、セナが聞いていたら嘸(さぞ)かし嘆き悲しむことだろうぜ。

うるさい! 今さら何だって言うんだ! それをつまらないことだと言ってるんだ!

つまらなくはないさ。そういう行き場のない『妬(ねた)み』みたいな感情はそのまま解消されることはないからな、治まりはしないのさ。治まるどころかその矛先(ほこさき)は社会全体へと向けられていく。
おまえが毎日、新聞を読んだり、リビングでニュース番組を観ているだけで、まだまだ未熟な人間社会への不平不満なんかは否(いや)が応(おう)でも降り積もっていって、おまえの感情をますます刺激する。だから日増しに、おまえのお決まりの繰り言も熱を帯びていき、ついには『恨(うら)み辛(つら)み』から『怒り』の感情までが露(あら)わになったあげくの悪態の数々が、キッチンに立って後片づけをしていたセナの耳を時折(ときおり)汚すようになってしまったんだ。

「言いたいことはそれだけか!? これ以上聞かせるつもりなら、ぼくは耳を塞(ふさ)ぐ!」‥などとやつに忠告しようとしたが、耳を塞いだところで、頭の中に直接響くやつの言葉は遮(さえぎ)りようがないことに気づいてしまった。

そんでもって、ここからが本題だ。

やつの『進言』は、いよいよ佳境(かきょう)に入るらしい。ぼくは思わず天を仰いだ。天を仰いで唾(つば)を吐(は)こうとしたが‥‥ その唾を‥ゴクリと飲み込んだ。

次回へ続く