悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (96)

第三夜〇流星群の夜 その十

「もしかしたらお父さんは、体が石の様に硬くなる原因が何なのか突き止めていて‥‥‥、お母さんと同じ時間の流れの中に自分の意思で身を投じたのかも知れない。‥・近ごろそう考えることがあるの」
満天の星空の下、見晴らしの良い丘の斜面に座り込んで寄り添う僕と彼女。僕の肩に頭を傾けたまま、彼女は言った。

「なぜ‥‥そう考えるんだい?」僕は彼女の方を見る事もなく、さり気なく問いかけた。
「離れて暮らし出した頃、お父さんが考え事をしている時によく口にしていた言葉があって‥‥‥」彼女は徐(おもむろ)に僕の肩から頭を起こし、横を向いて僕の顔を見た。僕もそれにつられる感じで首を回し、彼女の視線を受け止めた。
「メドゥーサの首‥」
「え?」
彼女の口から思いもかけぬ言葉が飛び出したので、僕は少々面食らった。
「お父さんが‥『メドゥーサの首は何なのか?』『メドゥーサの首は必ず存在する‥・』と、独り言みたいに頻(しき)りに呟いていたのを憶えているわ‥‥。調べてみたら、『メドゥーサの首』には人を石に変える力があるんでしょ?」
「そう言うことか‥。なるほど。メドゥーサの目は、見た者をみんな石に変えてしまう。つまり君の父さんは、世界の人々を石の様にしてしまうものの正体を見極めようとしていたんだね」

僕はギリシャ神話を思い出していた。小さい頃から夜空の星を眺めて大きくなった僕には、ギリシャ神話への興味は今も尽きる事はない。なぜなら輝く星座の名と由来は、ギリシャ神話に満ち溢れていたからだ。
ギリシャ神話に登場する『メドゥーサ』はゴーゴン三姉妹の末妹で、髪の毛が無数の毒蛇でできているおぞましい姿をしていて、見た者を立ちどころに石に変えてしまう力があった。ゼウスの子、半神の英雄ペルセウスに首を切られて退治されるが、メドゥーサは死んでも、切り離された首にはまだその能力が残っていた。ペルセウスは『メドゥーサの首』をかかげることで大海獣ケートスを石に変え、生贄にされかけていた美しき王女アンドロメダを救う。『メドゥーサの首』はたびたび、ペルセウスの冒険での窮地を救い、後に女神アテナが持つアイギスの盾に取り付けられる。『メドゥーサの首』は敵を石にしてしまう最強の武器でもあり、防具でもあった。

「それで君の父さんは、『メドゥーサの首』の正体をどこまで知り得たんだろうか?」僕は率直に彼女に尋ねてみた。
「実は‥‥、奇妙なメモ書きが居間のテーブルに残っていたの」彼女はそう言って、ジャケットのポケットから折りたたんだ紙切れを取り出し、広げて僕に見せてくれた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」僕と彼女は、しばらくの間二人黙ったままでその紙切れを見つめていた。そこには大小様々、たくさんの数字や記号 アルファベットが走り書きされていて、それらから何らかの意味を見い出すのはどうも難しそうだった。ただ、いくつかの単語も確かに紛れ込んでいる。
「‥‥宇宙線?‥‥‥‥、未知の素粒子‥‥‥‥、始まり‥と終わり‥‥‥、差し伸べられた‥‥‥神の手????どうも僕には、手に負えそうもない」僕は正直に音を上げた。そんな僕に、あるいはもしかしたら自分自身への言葉だったのかも知れないが、彼女はこう言った。
「お父さんは‥‥‥直観と想像力の人‥だった」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (95)

第三夜〇流星群の夜 その九

彼女の家は、小高い丘を頂上付近まで上った見晴らしの良い場所にあった。大きな構えで敷地も広く、住宅地と言えど近所の建物から少々距離を置いて建っていた。それらの条件が彼女の父に、次の決断をさせたのだと思う。
「母さんのことは‥‥‥しばらくの間、誰にも知らせないでおきたい。母さんの体も、ベッドにこのまま寝かせておこうと考えている」

彼女は父親の言葉に最初は戸惑ったが、そこにある意味が理解できる気がした。
父は、母と離れたくないのだ。母はまだ生きていると信じているし、もし知らせたなら、母の体は『放射線の出る遺体』としてすぐに回収されるだろう。そうなったら彼女も彼女の父も、おそらくもう二度と母とは会えなくなる。
「放射線は‥‥大丈夫なの?」彼女は父に確認した。
「取りあえずは近所の人には迷惑が掛からないだろうし、寝室の壁には応急の処置を施すつもりでいる。線量計で放射線量、被ばく線量のチェックも怠(おこた)らない」
「わ、分かったわ。お父さん」彼女は大きく頷(うなず)いて見せた。しかしそんな彼女に、父はこう付け加える。「おまえはここを出なさい。当分の間、神奈川の叔母さんの家に厄介(やっかい)になるといい。父さんからちゃんとお願いしておくから‥‥」
「え?いやよ!私もお母さんと一緒にいたい」
「父さんだってずっと母さんの傍にいるわけじゃないさ。放射線の影響を考えると、それはどうも無理そうだからね。毎日少しの時間でも母さんの様子を見て、そして考えたい。考えたいんだ‥‥。自分がこれから何をすべきか‥‥‥‥」
「それなら私だって同じ。お母さんのいるこのお家にいて、お父さんと二人で考える」
どうにも引き下がりそうにない彼女に父は悲しそうな目をして首を振り、「父さんも母さんも、おまえを一番大切に思っている。これからもずっとだ。お願いだから父さんの言うことを聞いておくれ‥‥‥」

結局彼女は、父親の言葉に従う事にしたらしい。
「時々なら母さんに会いに来るといい。止めはしないさ」

そして、その二ヶ月後‥‥‥‥。
彼女が叔母の家で生活する様になってから、毎日欠かさず父親と取り合っていた連絡が、不意に途絶えた。心配して自宅に駆けつけた彼女は目撃する事になる。寝室のベッドの上で母と行儀よく並んで横たわり、すでに石の様に硬くなって動かなくなった父の姿を‥‥‥‥‥

父が母と同じ現象に見舞われたのは、彼女にとってやはり相当なショックだったらしい。だがそれ以上に彼女が感情を揺さぶられたのは、父と母の二人の手が繋がれている事に気づいた時だった。
その光景は「今も目に焼きついていて‥‥この先も消えることはない‥‥‥」と、彼女は涙を流しながら僕に語った。
おそらく彼女の父は、もし自分にもその時が来たらどうすべきかを考えていたに違いない。少しずつ動きが緩慢になっていく症状を自覚した彼は、まだなんとか体を動かしていられるうちにベッドまで行き、彼の妻の傍らに身を置いたのだ。そして、少し宙に浮いたままで硬くなっていた妻の片手に自分の片手を絡め、しっかりと握りしめた‥‥‥‥‥‥

彼女はきっと永遠に、二人をそのままにして置きたかったはずだ。
ところがすべての事実を知った彼女の叔母は、迷わず救急に通報した。
駆けつけて来たのは新しく大掛かりに組織された自衛隊の特別処理班で、彼女の両親の体はあっと言う間に家から運び出され、特別な車両に乗せられていった。
「お父さんとお母さんはずっと一緒‥‥。誰にも二人は引き離せない」一部始終を離れて見ていた彼女はそう呟いたそうだ。実際、彼女の父と母の体は手を繋いだまま石の様に硬くなった状態だったので、運び出される時も車に乗せられる時も、二人は『ずっと一緒』だった‥‥‥‥。

次回へ続く