リアリティー回想記 「高野聖」 後編

原作、泉鏡花の「高野聖」は執筆以前から書棚にありました。
このシリーズ連載ですでに漱石の「夢十夜」を原作として扱ったこともあり、何気に読み直してみようと手に取ったのが運命的でした。

まず物語の起点(若者が旅僧から不思議な話を聞かされる場所)となる越前敦賀。
ご存知の通り福井県(若狭湾沿岸一帯)は原発銀座と呼ばれるほど原子力発電所が集中し、敦賀原発は古くから運用されていて有名でした。
そして物語前半に漂う不吉な影。たとえば「山したの方には大分流行病(はやりやまい)がございますが、この水は・・・」「川の水を飲むのさえ気が怯けるほど・・・」「ここいらはこれでも一ッの村でがした、十三年前の大水の時、から一面に野良になりましたよ、人死にもいけえこと。ご坊様歩行(ある)きながらお念仏でも唱えてやってくれさっしゃい。」
旧道を行く僧の前に現れる蛇、蛇。道をふさぐ大蛇をまたぎ大森林へ。そこは山蛭で充満(いっぱい)の森。
発想はパズルを組み合わせるように原発問題へと飛んでいきました。

私の漫画のエンディングに引用した「およそ人間が滅びるのは・・・それが代がわりの世界であろうと、ぼんやり。」の部分は原発事故そのものを暗喩していると思えてネームを一気に書き上げました。
もっとも困難だったのは実際の原発事故がどのようなものかと想像し描く事でした。物語のクライマックス、原作では妖しい美女の住む孤家のまわりでおこる嘶き声、話し声の怪異。私は原発事故で否応なく村を追われた人々の生霊もしくは残留思念を、障子に映る夥しい人の群れとして表現しました。

よろしかったら泉鏡花の原作をお読み下さり私の作品を再読いただければ、よりいっそうご理解いただけると・・・。

次回は「サトル」です。

リアリティー回想記 「高野聖」 中編

スリーマイル島原発事故から7年、1986年チェルノブイリ原子力発電所の事故が発生します。(直後、ソ連政府は事故を内外に公表しなかった。)近隣の国々をも巻き込み騒然とさせるその惨状は、メディアでも大きく取り上げられました。
日本においても原発の危険性が様々論じられる大きなきっかけとなりました。

広瀬隆氏(独特の切り口と展開で問題を浮き彫りにしていくノンフィクション作家)の新旧の著作が書店に並ぶことになったのもこの時期だったと思います。
私が広瀬氏の「東京に原発を!」の文庫版を購入したのはシリーズ連載「リアリティー’88」が始まる前でした。

話は遡りますが、私が小学生の頃、故郷南紀の小さな町が原子力発電所建設問題で大揺れに揺れた体験があります。
隣町が誘致に動き、私の町は真っ向から反対。結局話は立ち消えになりましたが、傍観者である私にとって田舎とはいえ(田舎だからこそか?)大人たちの様々な声と思惑がぶつかる何とも座りの悪いこの体験は、今も頭の隅に残り続けるものとなりました。
本を手に取ったのもその事に少しでも整理をつけたかったのかもしれません。

「東京に原発を!」は、原子力発電所の安全性が保障されるのなら、わざわざ利便性の低い遠隔地に建てて、長大な送電線(設備)を巨額の費用をかけて張るより、最大の電力消費地である首都圏(東京)に建てるべきだという逆説的な意味のタイトルです。
原子力政策に対する数々の疑問、疑念がそこにはありました。

期を置かずして全くの偶然ではありますが、集英社内で広瀬氏自身による講演会があり、私もその末席を汚すことを許され、この良くも悪しくも未来のカギを握るかのような未知のモンスターに自分なりのアプローチができないものか、本気で考えを巡らすようになりました。

そしてここに幻想小説の名作、泉鏡花の「高野聖」がまったくの出会い頭に登場するのです。

次回は「高野聖」後編。完結です。